aruto250の日記: 人間はみんな自動的に動いているだけなんじゃないか 15
相貌失認の例なんかを見ると、脳には人間自身に知覚できないレイヤーで自動的に処理をこなす機能があり、脳に障害を負った人の話などを見聞きするに、おそらくそういう、自身の知覚の外で何かを自動的に処理する機能というのは無数にありそうだ。
そう考えると、もはや人間の「思うこと」、「考えること」なんて、そうした知覚外のレイヤーで処理を行う大小の機能によって自動的に作られたものでしかないのではないか。こういうとまるで「哲学的ゾンビ」の話しみたいになってくるが、そんな穏当な思考実験ではない。何しろ、例に挙げた相貌失認だって、逆に考えれば、人間の顔を識別できている人たちも、なぜ自分は人の顔の見分けがついているのかを自覚できていないのだ。たとえばもし「どうやってその人を見分けたのだ」と問えば、「目や鼻の形や、輪郭などで判断したのだ」などと、まるで自分が主体的な意識の操作によって記憶を引き出してきたかのように考えるだろう。しかし実際にはそうではなく、脳の自動的な処理により浮かび上がった「これは誰々さんだ」という情報を利用しているに過ぎないのだ。にもかかわらず、自意識の上では、主体的に意識をコントロールして結果を得たかのように感じてしまう。
これは、その他のことについても同じことが言えてしまうのではないか。実際には、自動的に浮かんできた情報を線でつないだだけのものを、自分で主体的に思考して得た意見だと思ってしまっているだけなのではないか。そもそも人間の意識、思考などというものは、生物として生存に有利な「高精度の推測能力」を得るために作られた、自動的な反応を統合してストーリーを与える「錯覚」の総体みたいなものなのではないか。何かの実験で「腕を動かすための脳波が、腕を動かすことを決断するより先に観測された」みたいな話があるが、これなど人間の意識は自動的な反応をつなぎ合わせただけのものに過ぎないと考えれば、何の不思議もなくなってしまう。
ネットの議論では、「常識で考えて当たり前のことにも同意できないようでは話になりませんね」などと言っている人をよく見かけるが、そもそも「常識」なんてものが数ある中で、なぜ「その常識」が常識であることに同意できたのかまで意識している人は見たことが無い。もしこれが、「自分では主体的な思考(すなわち理性)によりたどり着いた意見のつもりで、自動的な反応をつなぎ合わせてできただけの何かを語っている」状態が端的に現れたものだとすると、政治どころか思想や哲学の議論でさえ、実態は単なる「遺伝子の闘技場」なのかもしれない。
「利己的な遺伝子」の話なんて、もっと肉体に近い、思考とか思索といったものに対してずっと下位のレイヤーの話かと思っていたけれど、実は私たちの思考にがっちり食い込んでいたのか。「哲学的ゾンビ」の話を考えている私たちは、自分の意識が存在することを疑っていないし、実際に意識はあるのだけど、その意識を一枚めくってみたら、その下にはゾンビがいたことになる。
小脳がなくても意識はある (スコア:2)
意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論 [amazon.co.jp]を読んだことがあります。良く憶えてはいませんが、小脳を手術で取り除いた患者の話 [google.co.jp]が印象的でした。
小脳はなくても意識にはほとんど影響がない、ということらしいです。しかし、小脳がないと、歩くだけでもいちいち考えないと体が動かないらしく、無意識での動作のようなものができなくなってしまう。小脳にはすごい性能・機能があっても、意識したりするには、小脳だけでは不十分、というか、効率的に動作するには、意識は邪魔なのか・・・。
Re:小脳がなくても意識はある (スコア:1)
小脳の話、リンク先で読んでみました。
小脳の話もですが、後段の話も興味深いですね。夢の話など読むに、やはり自動的な処理を統合したストーリーと、そのストーリーに対しても働く自動的な処理のフィードバックループが回り続けているのが「意識」で、そのループが寸断された、あるいは数回のループで終わってしまう状態が「夢」なのかな(だから整合性のとれない、統合されていないイメージになる)という印象を持ちました。
しかしまあ、我々の意識は、それら分厚い知覚外の自動処理の層を通してしか現実を認識できないのかと思うと、まるで全長数百メートルの宇宙船か潜水艦の奥深くにある、2m四方ほどの操縦室兼居住区画が、我々の自覚できる「意識」のすべてなのかな、というイメージが浮かびそら恐ろしくなります。ああ、そしてその小部屋のなかにいる乗員にしてみれば、夢も現実も、操縦席のモニタを通してしかわからず、区別がつくものではないのだなあ。
トリガー (スコア:1)
腕を動かすための脳波って、単に先にトリガーがプログラムされててそれが起動しただけなんでは?
目覚まし時計で起こされたからといって目覚まし時計に支配されているわけじゃないし。
ほとんど自動的で処理を行っているというのはそう思う。
でも目を閉じて歩けるのは数秒とかなのでプログラムが尽きると自動では行かなくなるっぽい。
自発性こそ自意識と考えているのかもしれないけど、どう判断するかに意識が働いていて切っ掛けはどうでもいいんでは?(自動でトリガー掛けてもいいし)
意識は後から追認しているだけ (スコア:1)
という研究成果をネタにした小説が数年前にいくつかありましたよ。
ひとつは山本弘さんの「七パーセントのテンムー」です。
Re:意識は後から追認しているだけ (スコア:1)
内容を思い出せないのですが、そのタイトル、読んだことがあるような気が…。数年前に山本弘が立った場所に、今ようやく私は立ったのかも知れないですね。
そう言えば小川一水にも、脳波で遠隔操作するロボットに、反応速度を改善するための自動処理をどんどん登録したところ、いつの間にかロボット自身が意識を持った「私」になってしまったという話がありましたね。あれはこのことを言っていたのだなぁと今になって気付きました。
Re: (スコア:0)
自分もそれを思い浮かべた。
筈なんだけど、何故かイメージとして出てくるのは「ドグラ・マグラ」だったりする。
一言で言うと (スコア:0)
自意識の定義って何?
Re:一言で言うと (スコア:1)
自覚的な精神活動、辺りですかね…。
もっと適切な言葉があると思うんですが、どうも語彙が乏しくて…。
Re: (スコア:0)
「自覚しているといつから錯覚していた?」
# 言いたかっただけです
Re: (スコア:0)
ちょうど「月は無慈悲な夜の女王」を読み返したところ。
ウィルスにはなくて、牡蠣にもないと思われ、猫には多分あるもの。
人間はどうかって?あんたのことは知らんよ、同志(タワリシチ)。
でも俺にはあるよ。
って主人公が言ってた。
逆チューリングテストと言うべきか、人間は自分以外の「もの」に
自意識があるかどうか判定する手段を持たないんだよね。
さらに言うと自分の自意識ってのが一番判定できない。
Re:一言で言うと (スコア:1)
最近はバズワードと化しているディープラーニングですが、正確な答えを得られたとしても、AIがなぜその答えを得た(それを答とした)のかが判らないのが問題なんだとか。
でもそれって、人間の自動処理となにも変わらないよなぁと。むしろ人工知能としてそれこそが正しい方向性というか。
残念ながら (スコア:0)
我々の現在の科学はそうであるともそうでないとも言えない段階でしかないのです。
IAT (スコア:0)
ムカデ、ハチ、ノミといった虫の描かれたカード群と
アサガオ、ヒマワリ、ハイビスカスといった花の描かれたカード群を合わせて群1とします。
気持ち悪い、不快、嫌いといったネガティブな単語が書かれたカード群と
心地よい、香気、好きといったポジティブな単語が書かれたカード群を合わせて群2とします。
群1と群2からカードが選ばれ、実験参加者はそのカードの組み合わせによって
○か×かを示します。
この実験の結果は、群1と群2の前者同士、後者同士の組み合わせの時に○を示すより、
前者と後者、後者と前者の組み合わせの時に○を示す方が時間を要する傾向がある事、
花と虫への好意の差と判断に余分にかかる時間が関係する傾向がある事を示しています。
当然、花より虫に好意を寄せているなら、結果は反対になります。
これはバイアスに関する実験でIATと言います。
だから、思考する事が100%自動ではないものの、
自動的に情報を線で繋ぐ事(バイアス)も多々あって、
多くの人はその事に無自覚だとは思っています。
そして自覚してもバイアスから逃れられるものでもありません。
もちろんあなた自身も思考の自動性から逃れる事はできませんから、
常識を振り回す人間の意見を自動的な物だと否定できると同時に
あなたの意見も同じ理由で否定される事になります。
人間はみんなと書いているのですから、自分自身を外に置く意図はないと思いますが。
人間と知覚の間に自動的なフィルタが入っているのは、錯視でも十分経験可能です。
Re:IAT (スコア:1)
自分が自動的な思考から逃れられていると思ったこともないし、また自動的な思考に基づく意見を否定するつもりもありません。と言うか、自動的な思考に(すなわち感情や体に)従うことは非常に大事なことだと思っています。
ただ、ひとつ主張があるとすれば、できるだけ多くの人に、自分が自動的な思考に振り回されているかも知れないこと、自分の意見がどこに端を発しているものなのかに注意深くなって欲しい、ということくらいですかね…。
ところで錯視についてですが、確かに心理学上の大問題ではあった記憶ですが、研究者でない自分としては、視覚的な錯覚はどうも表面的なレベルのことに思えてしまう(まあ素人なのでヤバさに気が付かなかったというだけか)一方、相貌失認(例にしやすいのでこればかりですが)のような、より思考や意識に近いところのものだとヒヤリとしたものを感じますね。
人間の「思うこと」、「考えること」 (スコア:0)
人間の「思うこと」、「考えること」は別の言い方をすれば「言語化」ですから、
認識と言語化の間にワンクッションあるのは考えてみれば当然のような気もします。
友人の顔を「認識」して、それが誰だったか固有名詞を「言語化」するわけですから。
腕を動かすことを決断したと自覚する場合も、思考は言語によって構成されるので
言語化を必要とする分だけ時間の遅れが有るのではないでしょうか。
本当の決断されたタイミングを、腕に電気パルスが発信された瞬間だとすると
それが言語化されて自覚されるのはどうしても決断よりも後になります。
わたしは「思考すること」と「思考を自覚すること」は別のレイヤーの出来事で、
両者をブリッジする処理は遅くてラグがあると考えて納得することにしました。