astroの日記: 毒男、喪男的ネガ自虐に関する考察
なぜ、毒男(特に喪男)はネガティブかつ自虐なのだろうか。
確かに独り身だからといって、必ずしもネガティブとは限らない。
その差は何所にあるのか。
まあ考えても答えなんかわからないが、自分はこう考える。
男というのは本来何かにすがって生きようとはしないイメージが強い。
だが、それは虚構ではないだろうか。
男と女の性差における精神構造の違いなどは専門ではない私には
さっぱり判らないが、やっぱり多かれ少なかれ人間とは完全な単体
としては生きられないのではないだろうか。
言ってみれば、「できそこないの群体」であろうか。
その足りないものを「補完」するのが外的要因、言ってみれば別の
人間であると。
それが異性か同性かはあまり関係ないが、マジョリティとしては
異性にそれを求めるのではないか。
簡単な書き方をすると、男でも女も関係なく、他人に甘えたり
頼ったり依存したり、支えられたいという気持ちはあるということだ。
通常であればそれは友人であり、親であり恋人であり配偶者なのかも
知れないが、少なくとも経済的、社会的に独立した大人が親に
依存するのは考えられない(してる人はお子様ということである)
友人は基本的に第三者である。そこには血縁もないし、それこそ
ソウルメイトと言えるほど深い関係になっている友人というのは
なかなかいないものだ。
また、友人に甘えたりといった弱さをみせる人も少なかろう。
そうなると、そういった対象は、配偶者か恋人ということになる。
だが、独り身にはそれがない。
仕方ないので、それを自分で作り出さなくてはならない。
言ってみれば独り身とは不完全な存在なのかもしれない。
その不完全な存在を、精神上無理やり補完するために、ネガティブな
思考によって仮想的な自分を内部に作り出し、それを自分で慰めることに
よって自分を慰めるのではないだろうか。
いわば精神的自慰行為(マスターベーション)なのかもしれない。
もちろんそれ以外に生きがいや心を向けられるものがある人は
そんなことはしなくてもいいだろう。
だが、周りの人間が自慰行為に対してとやかくいうのは無責任で
あるといわざる得ない。
少なくとも、指摘する側は、それを解決できる対象ではないのだから、
その言葉には責任もなにもない。
それを指摘することによっって、指摘した自身は慰めたつもりにでも
なっているのかも知れないが、それこそ自己満足に過ぎない。
もう疲れたのでこの続きはまた思いついたら。
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