backyarDの日記: 小学生のころに習った英語は中学では役に立たなかった 5
日記 by
backyarD
父親の職場に海外から毎年、アメリカ人の人が来ていたので、職員の子供を集めて英会話教室が開かれてた。
小学5年生くらいから参加。先生は毎年変わる。日本語は全くしゃべれないといっていいレベル。
1980年代。当時まだ小学校では英語は習わないので「えぁぽー…… なに?リンゴの絵?ってことはリンゴ?」
「ぺんそぉ …… ん?鉛筆のことをこう言うの?」「ぐりーぶにん …… 毎回言ってるけど、どうも挨拶っぽいぞ……」
みたいな感じで英語に触れてた。当然発音は上記のようになる。
正直、単語と読みが一致してなかった。「てぇぃぼぉ」が「table」とリンクしたのは中学入ってから。
そして中学校。
えっ?英語の先生、発音全然違うんだけど、アップルじゃないんだけど!?えっ?そうなの?
自分がおかしいの?なんでみんな笑うの?
こうなる。
英会話教室は高校2年まで続いたけれど、週1回のその時間と、学校では別の言葉として使い分ける必要があった。
大学でも工学部で教養課程の英語の先生からは「工学部の人は『機械的に』訳してくれればいいですから」
と嘲笑まじりで言われる始末。
やっとネイティブにならった発音が役に立ったのは就職して海外系の製品作りに携わってから。
いまはどうなんだろう。もう少しましになってるのだろうか。
娘に聞いてみよう。
工学部の人は『機械的に』訳してくれればいいですから (スコア:2)
こういうの鬱陶しいですよね。頭の中に意味で存在していると一対一対応はないじゃないですか。
Re:工学部の人は『機械的に』訳してくれればいいですから (スコア:1)
まぁ、行っていた大学が、工学部は二次試験に英語の無い大学だったので、
おそらく全国から選りすぐりの「英語の出来ない理系」が集まっていたのかもしれません。
先生もそうとうイライラしていたのだと思いますが、こういう余計なひと言が学ぶ側の
意志を削ぐというかなんというか。
つらいものがありますよね。どっちも。
そこかな (スコア:1)
全員が全員とは言わないが、個々の事情への無理解ゆえに異質なものを嘲笑して貶める姿勢が、
コミュニケーション英語の普及を一番妨げてるな。方言を嗤うのと同じか。
受け手側のメンタリティ(受け手側がそういう文化に属する・体験を重ねているので、
何気ない一言をそう受け取ってしまう)の問題も絡むので、一概にその場の相手側だけの問題とも断言し難いが。
#文化の問題だし、信頼関係の問題になってくる場合もある
#ただ解決は個々人の意識に頼らざるを得ない
Re:そこかな (スコア:1)
そうですね。うまくまとめられないけれど、おっしゃりたいことわかります。
また自分も、幼さゆえの正義感のようなものや正論で武装しがちな傾向もあり、
そもそも、英語の先生がまともな発音を使えないことへの憤りなどもありました。
今となっては「しゃーねーな」と思えますけど、当時はそう割り切れなかった……
まくだーなる (スコア:0)
>その時間と、学校では別の言葉として使い分ける必要があった。
「日本マクドナルド」で慣れっこです。
そんなことを気にしてたら、マックでハンバーガーも食べられない。
コンビニでトイレにだって行けなくなる。
さらにインド人と付き合うようになったら、それどころじゃねーし。
「あの頃の俺とは違う」と断言できるくらいには英語力も成長したはずなのに、
いまだに全然聞き取れねえでやんの。カタカナ英語なんて可愛いもんだ。