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bashの日記: 理解について

日記 by bash
1. 理解には段階がある
一度理解したと思った事柄でも、のちの経験や、知識によって、より深く、ひろく意味が広がることもあるだろう。
さらには、別の名前をつけることもあるかもしれない。
こういった経験がある程度深まったときに、理解は次の段階へ進んだ、という事ができるかもしれない。
2. 理解の段階が違うもの同士は理解しあう事が無い
おそらく、同じ境遇を経て同じ経験をしたもの同士は必然的に理解の段階が似通っているので理解しあえることがあるかもしれない。
会話しているもの同士の理解の段階が違う場合、会話としては成り立つかもしれないが、こんにゃく問答のようになるのではないか、と思う。
こんにゃく問答にしないためには、より深い理解をしているものが、浅い理解をしているものにあわせて、表現の度合いを調節する必要がある。
初心者の質問に対して、玄人が回答する場合、えてしてこの状態になる。
回答者の回答に対して質問者がキレるような事があるが、それの裏には、先日書いたような、自分と相手が平等だという思い込みがあるかもしれない。
3. 笑いの裏には無知がある
人は理解できない事に対して不安になる。
そういった人はえてして、冗談を飛ばして、笑い飛ばす事によって不安を吹き飛ばす
(で、えてして、笑った事によって理解したと勘違いする。)
相手が冗談に走った場合は注意が必要である。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson

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