chuukaiの日記: 子供を守ることと表現の自由
表現の自由には発信者としての表現の自由と受信者としての表現の自由の2種類があります。漫画の場合は作者や出版社が漫画を作って世に出すような、発信者が持つ表現の自由と、読者が漫画を買って読むような、受信者が持つ表現の自由があります。
表現の自由は、いわば、発信者と受信者が社会という市場の中で表現物をやりとりする自由でもあります。このような市場では、未成年者は不適切な表現物を自立的に取捨選択できず、飲み込まれる弱者であるので、国・地方自治体等が取引を制限することにより未成年者を保護すべきで、それが未成年者の表現の自由だというのが私の考えです。
漫画表現の規制と社会規範 官に「拡大解釈」の歴史あり(朝日新聞)より
「子どもを守る」という目標の前では、「表現の自由」はかすみがちになる。だが、だからこそ、漫画や児童書の規制を入り口に、権力が表現をコントロールしようとしてきた歴史を、もう一度かみしめたい。(樋口大二)
朝日新聞が言う『「子どもを守る」という目標の前では、「表現の自由」はかすみがち』という表現は、「子供を守ること」という目標が表現の自由とは別個独立にあって、送り手の表現の自由を規制する理由になっているかのようです。しかし、前述の私の考え方では未成年者の表現の自由そのものの性質として制約を受けざるを得ないのだから、「子供を守ること」が表現の自由の存在とは別の存在であるように表現するのはおかしいと言うことになります。
ただし、ある種の表現物を未成年者の手の届かないようにすることが目的とはいえ、「ある種」の範囲が定まらないことには困るし、受信者の表現の自由を規制することはすなわち発信者の表現の自由をも規制することになるので、「拡大解釈」がなされないようにすることは当然だと思います。
私見ですが、東京都青少年健全育成審議会は、有害図書の指定を持続的に行っていて、今まで適切に運用されてきたみたいだから、「拡大解釈」はされないんじゃないかなぁ。楽観視しすぎ?