cooperの日記: 学校と教育 1
NHK スペシャル「学力向上へ、常識を打ち破れ」を見た。
学力向上を目指し、「C 判定(できない子)」を減らすために、教育者サイドにも競争の原理も持ち込む、公立小学校の取り組み。成果(=大学合格)を求め、学校運営にビジネスの手法を取り入れている日比谷高校では、授業内容に対する生徒からのシビアな評価が教師にフィードバックされる。一方で、過去につまずいてしまった経験を持つ生徒に対し、手厚いケアで基礎からの「学び直し」を推進する秋留台高校にも、入学希望者が溢れた...
以前から気になっていたテーマなので、齋藤孝よろしく、座標軸思考法で考えてみた。すでにこの座標軸が破綻している気がするけど、構わず進める。
学力が高い
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秀才ゾーン │ 理想ゾーン
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没個性的 ────┼──── 個性的(... なのか ?)
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普通ゾーン │ 一芸ゾーン
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学力が低い
今の教育の基本的な流れは、普通ゾーンにいる層を、秀才ゾーンに押し上げようとするものと言って差し支えないだろう。それは、一般的な保護者が望む「成果」でもあるし、社会的にも、そのゾーンに位置する人間が求められているのは確かで、ここに人材の需要と供給のバランスが集中している。
一方の「学び直し」は、この座標軸から外れてさらに左下に位置する層を、普通ゾーンに押し上げる動きと言える。涙なしには語れないような、教師と生徒の熱い心の交流が数多く生まれるのはこのゾーン。
普通ゾーンから一芸ゾーンへの動きに関しては、各種高専、芸大美大、はたまたタレント養成事務所や職人への弟子入りまで様々な道があるけれど、普通→秀才よりもその壁は厚い。一芸とはそもそも、素質に負うところが大きいからだろう。
最後に残った、理想ゾーンは明らかに層が薄い。薄いけれども確実に存在し、時としてオピニオンリーダーであったりもする。このゾーンを目指すような教育は日本では一般的ではないかもしれないが、海外ではまさにこのゾーンの人材が求められているのではないか。
# ああもう想像ばかりで具体性に欠ける...
こう考えると「普通 → 秀才」という流れは、日本人的な横並び意識と価値観にほど良くマッチし、社会的な受け皿もそれを前提に成立しているというあたり前のことがわかる。だけど、細部に目を転じてみればそこには、教師や生徒、保護者の区別なく、生の人間としての葛藤や苦しみ、悩みと同時に成長があることもわかる。
全体ばかりを見れば細部が見えなくなり、細部ばかりを見れば全体が見れなくなる。教育には常に、このダイナミックな視点の切り換えが求められるのだと思う。
でもこれってプログラミングやプロジェクト管理とも共通することだよな、と考えていくと結局、人間とは死ぬまでずっと、人から教育を受け、人を教育し、共に悩み、成長していく動物なんだろうなぁというあたりまえの結論に行き付くのであった。トホホ...
追記:
いろいろ訂正。
追記:
さらにねじれを訂正(したつもり)。
あのぉう (スコア:0)
全角スペースを使うといいかと。