dotkuwaの日記: よい属人化とわるい属人化 9
特にIT部門では、属人化について“悪しきもの”として捉えます。「属人化を廃して、みんなが
出来るようにならないとならない。」とかいいます。
しかし、長くその分野をやってきて、他の人よりうまく出来るようになることも“悪しきもの”と
するのは、さすがに変です。
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自分には、なんでIT部門で属人化について、“悪しきもの”と捉えるかについては、1つ心当たりが
有ります。
それは、“IT部門に特別にある、本当に悪しき属人化”の存在のせいだと思います。
そのせいで、本来ならはげみともなるべき“属人化”の部分すらも、悪し様に言われるのだと思います。
その悪しき属人化とは、
・(プログラム設計書の様に)自然言語を使って、プログラミングを正しく表現する便法
を使った時に起きます。
その便法とは、
・ある人間を一人選び、その人がいちいち「このプログラミングの事がらはこういう風に言う」と決める。
・言い方については、機械的では無く、技術的にも文書的にも的確な言い方を、都度考えて決める。
・統一を保つ為、他の人は、その決定に立ち入らない。
というものです。
これを励行する限り、自然言語で、プログラミング言語で自然に記述する事がらを確実に記述することが
出来ます。
(逆にこの体制を作らない限り、その様な記述は出来ないと思います。)
いにしえの汎用機の時代など、白衣を着るような立場の人が(自分は実際に見たことが有ります)、
一つのシステムに必ず居て、それにより“生きた”プログラム設計書を維持し続けました。
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もちろん、現代の世でこの様なことが続けられる訳は有りません。なにより、これこそが時間が経つにつれ
“本当に悪しき属人化”に必ずなる元です。
なぜなら、その人にはだれも逆らえず、逆らうと根本的に干されて、どうしようもならなくなるからです。
また長い時間が経ち、その人が衰えた場合は、さらに非道いことになるでしょう。古き王を倒す過程で、
よい属人化すら全て排斥の対象となることも(実際に)有ります(有りました)。
何が悪いかというと、毎度ですが、
・自然言語で、プログラミング言語で自然に記述する事がらを記述しようとする
からです。
それに尽きると思います。
属人化が悪いのは (スコア:1)
「その人」がぶっ倒れたり鬱になったり定年したりすると全員が死んじゃうから。
だから複数人で回せるようにしとかないとね。(平時は「一番できる人」1人で動かしていてもいざと言う時スクラムできれば良い。みんなできる、までは不要というか過剰)
そうすると決定責任は「その人」じゃなくて組織になるよね。
って流れで理解してる。
言語がどうとかは考えた事がないなあ。
Re:属人化が悪いのは (スコア:1)
あとはまあ、業務が一人の能力(優秀かではなく専門技能という意味で)に依存ってのが属人化だと思う。
意味としては以下同じではあるけど、自分の文章にするとこんなん?
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もし、能力が成長して基本一人がいるだけで回るのであれば、他の人も能力が成長(もしくは複数人であたること)で対応できるのが成長。
もちろん特定ジャンルに秀でるはあるけど、それも複数人そろえてないと、企業としてはおかしいもの。
たとえば、火力発電所を再点火するのに、名人が必要って聞いたら「おかしい」って感じますしね。
大統領だって首相だって入れ替る。自分や同僚の仕事もそうであっても当然、そうじゃないと変、ですからね。
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とはいえ、気楽に使い捨てられたくはないけどね。
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re: (スコア:0)
> 言語がどうとかは考えた事がないなあ。
こいつの日記の過去ログ見ろよ。同じような繰り言ばかりずーっと言い続けてるから。
Re:属人化が悪いのは (スコア:1)
プログラマーはまるで、新聞の販促員に目を付けられた一人暮らしや、
適正が有るからといって幻獣と戦わされた学生の様に、損をしています。
それが指呼の間にすべて直るなら何も言いませんが、そうじゃない以上、
繰り言と言われようと、ほざきだと言われようと、言います。
ただ、自然言語とプログラム言語の対比(変数を認める/認めない、未定義の
単語の扱いなど)において、自然言語はいいですが、『プログラム言語』というの
は確かに突出していて鼻につく言葉です。
かといって人工言語だと、エスペラント語とかもひっかかるので違います。
“有限言語”? “夢限言語”?
なにか鼻につきにくい、殊更にソフトウェア関連に限らない、『自然言語』
の対義語が有るといいのですが。。。
属人化は悪くないし避ける必要もない (スコア:1)
ただ、全ての属人化を避けねばならない!
と思わせる様な、最高にたちの悪いある種の
属人化が有る、と言っているだけです。
属人化を避けるには (スコア:0)
お金がかかります。
ふつうの属人化 (スコア:0)
と続けたくなるのはオッサンだからかなあ。
まあ、なんであれ、「目の前の事がうまくまわるんなら、いい属人化、まわらないなら悪い属人化」というだけなんじゃないかと。
自分も含めて、まあそんなもんです。
決断が非属人化しているのは勘弁してほしいんだけどね。
敬虔といってもいい行い (スコア:0)
>目の前の事がうまくまわるんなら、いい属人化
という基準なら、
・ある人間を一人選び、その人がいちいち「このプログラミングの事がらはこういう風に言う」と決める。
・言い方については、機械的では無く、技術的にも文書的にも的確な言い方を、都度考えて決める。
・統一を保つ為、他の人は、その決定に立ち入らない。
はとびっきりいい属人化だと思います。コストは掛かると思いますが、最高の品質を作り続けることが
出来ると思います。
ただ、「いちいちこういう風に言うと決める」人が、身びいき(とくに子供の世代に対して)をしなけ
Re:敬虔といってもいい行い (スコア:1)
補足ですが、なんで決済文書にプログラム言語を混ぜる
と危険が減るかというと、
・基本設計は自由度の高い自然言語で記述するとして、
詳細設計までさらに自然言語で記述されると、無限の
自由度となる。
・基本設計までは自由度の高さを許容するとしても、
その次の工程では、データの流れを文書として合意する
こととし、そのデータの流れで表現できない追加仕様・
修正は別料金とする。
ことが可能になるからです。日経コンピュータの記事の範囲
でしか知りませんが、最近だと裁判になると専門家(作る側)
の責任(何かあった場合、事前にそれをコントロールする
責任)をより強く言われる傾向にある様ですが、
もしそうなら、料金を千倍万倍もらわないととても引き受け
られなくなり、なんらかの歯止めが必要になるのも事実で、
そういう傾向にも合致すると思います。