dotkuwaの日記: なにが真似か?
プログラミングを習い始める時、いわゆる「写経」なんかの段階をへて、
自分で何かしようとする時、多分、なにかの既に出来ているプログラムの
真似をすると思います。
そこで問題となるのが、
・真似るべき所を真似ず、どうでも良いところを真似る
事です。「なるべく踏襲しよう」として、しかし何か自分の独自性を出そうと
して、どうでも良いところを踏襲し、真似ないとまずいところを変えてしまう
事が有ります。
何でそうなるかというと、多分、
・自然言語で考えた独自性の青写真を“そのまま”プログラミング言語で
実現しようとするから
では無いかと想像します。自然言語で「真似ないとまずい」と表現されるところ
が必ずしもプログラミング言語で「真似ないとまずい」ところとは限らない
からです。
「自分は技術志向はとらないから、この真似の仕方でいいや」と思うのは、“妙な”
言い方で、プログラミング言語で真似をすべき点は、文系だろうと理系だろうと
何ら変わらず、プログラミング言語で真似すべき点を、自然言語のそれで代用する
のは、単なる**誤り**です。
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自分など、8ビットパソコンにバンドルされたBASICで始めましたが、今では
バッシングの対象でしかないそのBASICも、真似ないとまずい箇所が少ない
言語であったのは確かです。
真似ないといけない箇所とは、それなりの記述の簡単さ、修正時点の簡単さ、
テストの容易さなどの為に必要な切り口なのは事実ですが、間違いなくその
箇所が増えると、習得はそれだけ困難になります。
8ビットパソコンBASICのバッシングされる理由も、現在なら当たり前の切り口に
欠けているからでしょう。
しかし、
・悪い癖とは、プログラムの書き方では無く、複数の真似ないといけない箇所に
接して、初学者なりに合理化し、自分だけでいいように「なにが真似か?」を
自然言語にすること
です。
単なる「プログラムの書き方」で悪い癖が付くと思うのは、プログラミング言語を、
自然言語と同じだと見ているからです。それは違うと思いますが、自分勝手に
合理化し血肉にしたことは一生残ると思います。
ですので、「写経」の次程度の段階では、選ぶべきプログラミング言語は、
・真似ないとまずい箇所が少ない
言語を選ぶと良いのかも知れません。その後、順を追ってオブジェクト指向などに
挑戦するのも良いと思います。
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