dotkuwaの日記: 学校の先生 4
学校の先生は生徒に比べて圧倒的に豊富な知識が
有ります。そのせいで、先生なのでしょう。
しかし、やった事の無い分野を促成で習った先生
はそうでは有りません。底が浅いのです。
そういう先生はねたが尽きると、
・(それをして問題無い妥当性の何の証明も無く)
他の既存の教科の内容でなぞらえて見たり、
・(それを言う妥当性の何の証明も無く)
実際に出来ているやり方を否定して見たり
します。
傍証しか無いですが、そういう知識を曲げ続け、しかも
禄を食む教師は居たと確信します。
その傍証とは、
・複数の特に互いに関係のあった訳でも無い新人が
何の妥当性の証明も無く、「新しい、より良いやり方」
(プログラミングの分野なのにそれには触れない)
を提唱し、
・お金をを稼ぐ責任を持った上長にそれを認めさせ、
主導まで認めさせた、
事で有り、それに対し、コボラーなど自分ら旧人は、
・「新しい、良いやり方」を持たない能力の低い人間だが、
・「新しい、良いやり方」を実際にやるのはお前らだ、
・なんで、「新しい、良いやり方」が出来ないんだ。
とか言われ続け、評価も下げられた事実です。
前提が偽なら、提唱する側は万能で、される側は無能に
なるのは必定です。
でもこの様な事を、新人だけで出来るはずも無く(特に
それを、収益に責任を持つ上長に認めさせるのは)、
それを主に提唱した学校の先生がいたはずです。
それ以外の人間はすべて敗者です。たとえ最初は良かった
(昔の)新人も、収支に本当に責任を持たなければならない
となったら、もうヤバいです。
この様な曲学阿世は、先生の圧倒的な知識差により
普通は起こらないはずです。しかし実際に起こったのは
促成栽培教師のなせる業でしょう。
日頃から忙しい先生が、専門外で、専門になぞらえる事
も不適切な分野で、さらに生徒に比べての圧倒的な知識差を
得る事は、原理的に不可能です。
その様な先生がどういう行動に出るのかは、着目すべき
だと思います。
テストを初めに書く (スコア:1)
テストを初めに書くと、初心者に分かり易いという触れ込みも、
誰が言っているのか考え物です。
テストを初めに書く様なプログラミングは、自分の感触では
手続き型プログラミングより階梯が上で、代数も未だ定まって
居ない、大きな全体のテストは小さい部分のテストの集合で
有る事も保証されて居ない、
にも関わらず、
「常識より困難な要素(テスト付きプログラミング)と、
常識より容易な要素(初心者が分かり易い)」を安易に
結びつけるのは疑問です。
しかも、プログラミングを初めに書いて全体の様子を確定
させてから単体テストに入るのと違い、初めにテストを書く
のはより困難なのに、初心者にとって容易だと主張して
得なのは、
生徒に比べて圧倒的な学識の差を持たない、促成栽培の
教師のみです。
テスト付きプログラミングは「将来の課題である」と
言って過言で無いチャレンジングな課題で、それはそれで
文句の付けづらい分野ですが、それと初心者にとって容易
だという事は自明では有りません。
もっと酷い事 (スコア:1)
掛け算の順番を、世の中の通常より厳しく教えている先生がいます。
プログラミングの学習となると、それがもっと酷い事になり得ます。
そして、
・学校の先生の立場としての提唱
・前提が偽
・掛け算の指導ほどあからさまにやらず、特定の人間のみを被害者に絞る
事をされると、反駁するのに人生の数割をすりつぶす必要が出ます。
(権威者がするとそうなるのはプログラミングに限った事では有りませんが。。)
しかし、掛け算の指導は事実で、プログラミングの分野では更にその様な
やり方の締め付けが可能となるのも事実です。
自分が思う「偽」 (スコア:1)
ある新基軸のプロジェクトを、
・参加者全てが虚心坦懐に、
・権限的にも金額的にも出来うる限り制限を少なくして、
5年やって成果がゼロなら、その新基軸は「偽」と言って
良いと思います。
(学問的厳密性を問われると別ですが、普通はです。)
ここで、プログラミング関連のベースラインを、IT系の
専門学校で習う事とします。
#自分は出自がコボラーで、VB6やPHPはすでに他の人が
#作った常識的なシステムを保守する所から入ったので
#このラインだと思います。
20年仕事をやってきて、後の15年は、さんざん後輩の人間
から老害だの古いだのコボラーだのコボラーだのコボラーだの
言われて来ましたが、
その「新しい事」は、
・致命的に技術的負債をばらまく
・他人に丸投げ、背乗り
・エスパーやNTの存在に決定的に依存
・今の料金で近い将来すらもやってもらえる見込み無し
・規模10倍にするのに金額1000倍
が厳密に100%で、すべて上記定義の「偽」でした。
コボラーが非難される理由はほんのわずかも有りません!!
その「新しい事」は単なるペテンです。
その様な事を精々5年選手くらいの後輩が思いつくはずも無く、
絶対に実践を試みた学校の先生がいたはずです。
#なんでその結果に恥じ入って四七伊のでしょうか??
しかしさすがに、この期に及んで、またぞろ実践を試みるならば、
しかるべき地位の公務員に刑事告発の義務が課せられるでしょう。
#実験は決して実践では無い!!!
命を取るか、野帳を取るか (スコア:1)
普通の場合、偽を前提とした提唱をしてきた場合、
偽か判る前に、腹を立てて否定するのが
普通で、それが知の巨人に権限を不当に独占させる
理由でした。
自分の場合、訳あって腹を立てる方を選べなかった
ため、円環の理の繰り返し回数が所定に達し、
あたかも、命を取るより野帳を取る様になって
しまったのは、勿論偶然でしたが、それが結果的に
「科学的」になったのは幸いでした。
このエッセイを書けたのは何よりでした。