dotkuwaの日記: 関数型プログラミングで実害を受けました 5
学術研究で一般人が名指しで被害を受けても、どうも
法律的に甘受しないといけない面があるようです。
自分は間違いなく関数型プログラミングという錦旗から
実害を受けました。
それは、
・お前らのやっているプログラミングは古い
・だから、新しい側を奉じている自分らは高い成果を得、
お前らは低い評価で当然だ
として、プログラミング実務の努力とは反して低い評価
しか得られず、低い報酬しか得られなかったのは、
明確な事実です。
実際には、
その様な名前のプログラミングを知っている人はいません。
それは、Scala言語から、共変・反変(プログラミングでは
無く、純粋に関数の表現方法の1つ)などを除いたら、使えない
ものしか残らないことからも、それは現実です。
#それを教える人間は、教わる人間がそこまで到達しない
#ことを見越してやっているに過ぎません。
#それらは、単に学ぶのに困難なだけでなく、現実で使うの
#が禁止的に困難、実務的に完全な不可能なのです。
---------------------
その様な虚構を奉じて、それに高い成果を見出していた
結果、被害を受けたのは自分だけでは有りません。
自分だけなら、歴史上隅に掃き捨てられて仕舞だったのかも
知れませんが、残念ながらそうでは有りません。
有りもしない新技術を奉じていた、バブル世代、ゆとり世代以降
の人間は、プロジェクトの第一人者になってもなにも手を動かす
ことが出来ません。
=> それは、
現実でない技術しか習わず、学ばず、省みなかったからです。
これは事実です。
---------------------
学術研究で一般人が被害を受けても甘受しないとならないの
は、それ以上の便益を期待してのことです。
しかし、歴史的事実と言ってもいいほどの被害を皆が受けて、
しかも便益が皆無の場合(Ex. テストはどこまで行っても困難で
全く簡単になっていない!)そのした人間を歴史的に記述し
記憶するのも一般人の務めでは無いかと考えます。
学術研究は資格の有る個人がすることで、責務も個人が負う
べきです。さらに学術研究をする以上、その範囲では公人である
ことは明白です。
IT分野で、コンピテンシーとかの研究も必要かも知れませんが、
負の方向のコンピテンシーの研究も絶対に必要では無いで
しょうか!!!
主語がでかすぎる (スコア:2)
「関数型プログラミングという錦旗から実害を受けました」
は主語がでかすぎる。
どう読んでもこれは
「関数型プログラミングを信奉する実スキルの無い若造を不当に高く評価した職場で俺は不利益を被った」
という話だろう。
若造くんについては「おめー今まで大口叩いて先輩くさしてきたけど、いざ第一人者になったら何もできてねーじゃん?」という話だし、
報酬云々については「職能に応じて報酬が変わるのだが、その選定基準がおかしい」という話で、
どっちも同情するのだが、一つの論として繋げられる話ではないように思う。
dotkuwa氏も末尾でまとめられているように、若造くんと職場のコンピテンシー評価の問題だろう。
あえて無理やりまとめるとしたら、
「『関数型プログラミング』なるものの教育は、企業内のコンピテンシー評価を狂わす人材を形成する」
というところだろうが……
これは因果じゃなく、ただの疑似相関なのではないかな。
「関数型プログラミングには、コンピテンシーに難のある(評価が過大となる)人間を惹き付ける何かがあるので、その教育方法および信奉者の評価には注意を要する」
あたりか。
まぁ、難癖っぽいけど。
(「なぜ関数型プログラミング信者には口先野郎が多いのか!?」とかまとめられれば炎上上等のブログネタにはなるかもしれない。)
Re:主語がでかすぎる (スコア:1)
>実スキルの無い若造を不当に高く評価した職場で
というのはもう20年前の話です。
もう何をやっても時効の話です。
ですので、
>いざ第一人者になったら何もできてねーじゃん?
という方に実害が有るのです。出来てもらわないと困るのです。
自分もコーヒーに弱くなってしまい、昔の様に動けないのですから。
そこまで枯れた話なので、もう少し冷静です。
>企業内のコンピテンシー評価を狂わす人材を形成する
だけに過ぎないのかが、はなはだ疑問です。
その様な人間は一人では無く、世代的には同じでもバックグラウンドは
それぞれ違い、決して骨惜しみをしたり、わざと意地悪をしたりの人とも
思えません、
その上で申しますと、それらの人が一様に狂うのはおかしいのです。
それは、
★「手続き型プログラミング」より良い「関数型プログラミング」は無い、
多分将来、ガロアがやった様な方法で、より良い「関数型プログラミング」
は構成不可能だと証明されても可笑しくない。
という位、主語を大きくしないと説明がつかないのです。
さらに、
・テストをはじめに書くと、良いプログラムが出来る。
・DevOpsをやると、自動的に物事が進み、みんなより良くなる。
がどうやっても有り得無いという事実を説明するのには、
★それらは、「手続き型プログラミング」より良い「関数型プログラミング」が有る事
に依存している。その依存しているものが出来ないのは、
より良い「関数型プログラミング」の原理的な不存在の傍証である。
という、大きな主語以外に有り得ないと思います。
もちろん、「関数型プログラミング≡手続き型プログラミング」な、
「関数型プログラミング」ならば、構成可能でしょうけれど、それでは、
『より良い』になりません。
大口を叩いてきた人間の根拠は、
・高等教育の先生が、
・『より良い』を示唆した。
以外に無いと思います。一人二人の固まったバックグラウンドの人間だけ
なら、違う風にも言えるかも知れませんが、そうでは無いのです。
これのみから、『より良さ』の信奉が始まったとしか思えません。
>(「なぜ関数型プログラミング信者には口先野郎が多いのか!?」
は決まっています。
★「手続き型プログラミング」より良い「関数型プログラミング」は無い、
多分将来、ガロアがやった様な方法で、より良い「関数型プログラミング」
は構成不可能だと証明されても可笑しくない。
からです!!
無いものを言う人間は無条件に口先野郎(女郎)になります。
Re:主語がでかすぎる【追伸】 (スコア:1)
>これのみから、『より良さ』の信奉が始まったとしか思えません。
湧き出しが1つで、隠れたパスが無ければ、それは相関では無く、もろ
因果関係だと思います。
これは真実ですよね?
関数型プログラミングの「高階関数」 (スコア:1)
関数型プログラミングの「高階関数」とはそもそも何階なのでしょうか?
「高階」で有る以上、「1階より上」なのでしょうけれど、
・1.000000001階位にしか見えず、
・ほぼ1階と考えてよい(1階の近傍である)為、1階のシュガーとしか
働かず、それゆえ本当の高階の悪さが無いが、良さも完全に、明確に、
ウルトラスーパー大大大に無いという、
いわゆる優良誤認の機能
だとしたら、自分の実害の一部だったのでは無いかと危惧します。
死せる関数型プログラミングに、(普通のプログラム言語でいろいろやる
という)意欲を制限されていたのだとしたら、
それをした側は敵だった、ということでしょう。
Re:関数型プログラミングの「高階関数」 (スコア:1)
RDBの項目に、単純な値(足し込むと答えが得られる様な)だけでなく、
もっとプログラミングに類似した、動作を左右する意味を持った項目を
設ける事は、テストをし辛くする良くない書き方とされています。
自分ももっともだと思います。その様な事は避けるべきだと思います。
しかしながら、それこそが、
・手続き型プログラミングの範囲で、より高階を目指す取り組み
だったのではないでしょうか?
うまくいく実例1つ挙げる事の無い関数型プログラミングの「高階関数」
と異なり、事例は数限りなく挙げられます。
良いを悪いと言い、悪いを良いと言う人間は、それを指摘されたら終わり
だと思います。