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日記

dotkuwaの日記: 素晴らしい技術の在り処 4

日記 by dotkuwa

・未分の関数たち(シグニチャに囲われていない関数たち)を
 「上から眺める」プログラムが操作するプログラムを作る。
とか言っても、
たしかに、
・置いてきぼりを食った人間(コボラー)が、自分だけで何とか
 しようとした結果ひねり出した、クレオール。
・たまたまうまく行っただけの職人芸。
だとしても、おかしくありません。
そして、そのやり方は、
・「調査数か月、修正数行」になり得ます。(そうなった事が自分も
 何度も何度も有ります。)
 
しかし、そうではない「素晴らしい」新しい「技術」は、
・出来る、実際に講義を受けて納得した。
という意見と、
・(自分の様に)いくらやっても出来ない、自分の理屈では、
 土台から不可能としか結論付かない。
という意見が有ります。
 
違いは、そしてその魂の在り処は、
・細部まで定義された教材の有無
に有るのでは無いでしょうか?
 
もしそうなら、「素晴らしい」新しい「技術」を
する場合、
・プログラマーに細部まで定義された教材級の文書
 交付しないのは違法
とし、必ず交付する様にした後に新しい
技術を適用するべきです。
 
そういう文書の無い(置いてきぼりを食った)人間には素晴らしい
新しい技術をする余地が無いのです。
(実際に自分はそうです。ですので、テストが出来るのはプログラムが
 半ば組みあがった後です。)
 
大多数の人間は(今、その様な資料にアクセス出来るつて
を持たない人間なら、将来的にまず100%)置き去り側になります。
他人ごとでは有りません!!!!!

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  • 人にものを教える職業なら、場合によっては競争者の
    指を切り落としてでも、自分が提唱者になろうと
    するでしょう。
    なので、そういう人は、
    ・本当は良い事を悪いといい、本当は筋が良くない事を良いと
     いい、皆が悪いと言われ、辟易したのを見計らって、
     悪いと言っていたのは本当は良かったんだと福音を述べる
    企てをします。
     
    しかし、「本当は良い事」が他人の仕事のタネだった場合、
    そう簡単に辟易をしたりはしません。
    自分も、実際に仕事でやっている事を、ゆえなく悪いと言われ、
    実際には出来ない事を、良いと言われて黙ってはいません。
    戯れに指を立てた門前の小僧とは訳が違います。
     
    ---------------------
     
    人にものを教えるのには、教わる側からすると、
    ・個別を教わるのでは無く、類型を教わりたい。そして、
     自分で応用が利くようにしたい。
    と願うのは自然です。
     
    しかし「類型(型)」というものは、
    ・狭い
    のが通例です。空手の型は、柔道の型でも、カポエイラの型でも
    無く、ましてやマラソンの型でも、砲丸投げの型でも無い筈です。
    同じ陸上競技なのに、です。
     
    多分、
    ・大規模な類型(型)は類型(型)で無くなり、単なる個別に
     なってしまう。
    からでは無いかと思います。
     
    整数型、実数型程度なら、有用かつ不可欠ですが、もっと大規模な
    型は、型としての役割を果たしません。単なる1個別になります。
     
    コピペは、有用かつ不可欠です。類型に成り得る狭さをもっています。
    しかし、もっと「大規模な」原理原則は、類型では無くなります。
    しかしコピペに対して吐き気をもよおす人もいます。
    そういう人は、実際に仕事をしている人の指を切り落とそうと
    狙っている人に思えてなりません。

    • ・本当の「高階」を考える事が出来る
      では無いでしょうか?
      ・単に関数を変数に収める事が出来る
      とかでは無く、
      ・設計から実装、運用から更改まで、
       単なる1現象で有る、現行のプログラムだけを
       考えるのでは無く、全ての可能世界を考える。
      のこそが当面の普及すべき「情報科学」では
      無いでしょうか?
       
      それは、
      ・「良い設計」というと、グタグタになるのが
       普通だが、なんでグダグダになるかというと、
       『縮退棒を持った人間が、他の人間が察しで、
        維持していた「高階」の糊代を考え無しに
        1階に引き下ろしてしまう。そして、その
        引き下ろす行為を「きちんとしている」行為
        だと評価されてしまう。』
       からです。
      これは耐え難い損失の素です。
       
      いわゆる設計と言われている行為は、
      ・単にあいまいで技術的に詳しい事をあえて
       ぼかす
      のでは無く、
      ・「高階」に考慮した上で、あいまいで技術的に
       詳しい所をあえてぼかす
      のでは無いでしょうか?
      それを当たり前にする為には、
      ・本当の「高階」を考える事が出来る
      事をみんなが出来る様になるのが早道では無いで
      しょうか?

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      • by dotkuwa (9387) on 2018年06月16日 10時07分 (#3426494) 日記

        ・システム開発の(特に設計では)高階論理が必須【仮定】
        ・高階論理は文系が昔から扱っていて、理系はそうでは無い【多分正しい】
        ・情報処理関係の学部は理系扱い【事実】
        ・情報処理関係の学部の便益がマイナスに見える【主観】

        親コメント
        • by dotkuwa (9387) on 2018年06月21日 4時14分 (#3429313) 日記

          要するに、
          ・日本語を含む自然言語は、(1階にとどまるプログラム言語と異なり)
           階位が高く、(テスト可能なほど解像度が高いプログラム言語と異なり)
           解像度が低い。
          ・(テストを初めからプログラム言語で書けという極端な例を除けば)
           設計は自然言語で行われる。
          ・自然言語の階位の高さ(複数の可能世界を含有しうる)は平時の平和を
           もたらし、また有事の争いをもたらす。
          ・プロジェクトを遂行するには、(プロジェクト初期に、自然言語で書かれる)
           アーキテクチャーレベルの絞り込み(世界を切り捨てる)をうまくやる
           必要が有る。
          ・これは間違いなく経験がものを言い、老害より若害が強く出る。
          ・自分は情報処理とは畑違いの工学部を出たが、就職してから(10年泥は
           なかったが)10年ROMだった。
           確かに周りの人間の言う事を聞く以外になかった。
          ・しかし情報処理関係の学部を出た人間はそうでは無く、意見を聞かれる
           立場になる。偉い人の前では違うかもしれないが、同輩の間では権威と
           なる。
          ・そういう学部を出た人は、プログラム言語寄りの方では間違いなく
           出来るが、自然言語寄りの方では、言う事言う事、有事の争いをもたらし
           兼ねなくなる。
          ・文系の人間は、高階論理とは思わずそれを使っている。しかし、テストが
           出来る位のシステムは、必ず1階に縮退する。(総論賛成各論反対)
          ・「関数を変数に収める事が出来る」自称「高階」関数はおかしい。収める
           対象の関数たちは可変では無く、複数の固定に過ぎない。
           さらに、実際にすごいやり方を見つけたと思っても、依存関係が循環して
           ビルド出来ないとかしか無い。
          ・本当の高階論理を研究しないとダメだと思う。(階位の程度を制御する
           ことにより、争いを軽減できるとか)

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