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日記

dotkuwaの日記: 因果推論 2

日記 by dotkuwa

※この話は、
 ・一人の人間が、その人の必要のみにより、自分勝手に
  プログラムを作れる
 場合に有効な話で、多人数で作るとか、すでに方針が決まって
 いるとか、出来ているプログラムを保守するとかの場合には、
 「ずれてしまう」かも知れません。
 ご承知おきください。
 
プログラムを初めから一人で作る場合、
・端から作り始めないといけない。
・どの「端」から作り始めれば有利なのかも分からない。
・最終的に、全体的に最適にしたい。
という困難さが有ります。
必要な要件を、箇条書きとかで書いたとしても、それは、
「完全な嘘」かも知れません。一人で作っているので、
だれにも教わる事が出来ません。
 
その際の心構えとして、
・(既にある)自然言語の要件や、プログラム言語の記述や、
 (出来つつある)すべての仕掛り内容は、
 それぞれ因果関係のグラフをなしているが、
 それらの全てのノードやアークを確率的とする。
・すなわち、どのノードやアークも本当かもしれないが、
 嘘かも知れない、完全な嘘かも知れないという
 批判的な目で見る。
・その心構えでは、作っては壊しが許される。試作である。
・複数人数でやっていたら、他人の作品をそういう目で見る
 のは憚られたり、居場所を損ねたりなるかも知れないが、
 一人でやっている場合は、すべての因果関係を確率論と
 出来る。
・そういう分析は、因果推論ではないか?
という考え方があると思います。
 
もちろん、
この考え方も「第一原理」では無く、有る場合に有効な、
技術的なテクニックですが、「第一」が不在である以上、
複数の「第二」で何とかすべき(何とか規律、規範を
構成するべき)です。
 
逆に言うと、
・形が整うまでは、一人でやるのが絶対的に冴えたやり方
 で、複数の人間でも、初めは一人一人でやって、整ったら
 それを持ち寄るというのが良い。
というやり方が、導き出されるのかも知れません。
(もちろん、因果推論をソフトのプロセスに適用する事が
 正しい場合に限りますが。。。)

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  • by Anonymous Coward on 2019年04月28日 19時42分 (#3607550)

    複数人数でやってる時も、そういう姿勢が許されるし許しなよ。
    自分で自分が信じられないんだから、他人に信じてもらえなくても仕方ないでしょう。

    最終的に全体最適化するのは、それまでのコストを破棄する方が高くなりすぎるので無理。
    最初から最適を目指すか、動けばいいということで妥協するかの二択。
    ただし、全体最適を目指すという部分最適を取るのは自由。
    それが許されるというのは単独で趣味として作るときの利点かもしれない。

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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家

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