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日記

dotkuwaの日記: プログラミングを教えろと言われても。。。 3

日記 by dotkuwa

自分はそれなりにプログラミングに関して、飛べないハードルを
クリアして来た自信は有り、それが「努力が出来たのは環境の
おかげである」というのとも違うとも感じています。
 
(プログラミング的思考で無く)実際のプログラミングは、
・見方の違い
で出来るかどうかが決まり、その見方は多種多様で、場面によって
優劣が付き、しかも万能では無いと思います。
 
自分が小学生だった1970年代には、
・国道にも市道にも自転車道が整備されて
いました。まだ自転車が商用の移動・運搬手段として、現役だった
からです。
もちろん自転車道と言っても、
・赤土の自転車だけが通れる路肩
に過ぎませんでしたが、それでもそれが、どこまでもどこまでも通じて
いました。(いまでは歩道となっている場所だと思います)
 
小学生なのに、国道で他の車と伍して走り続けるのを趣味として
いて、鉄塔武蔵野線みたいにもならず、生き残れた為、
・左右に、自分と違う意図を持った対象がいて、それと常に
 (コンティニュアスに)協調しないといけない
・場合によっては、自転車であっても、当たり前の様に、右側車線
 に移り、その車線(の近傍)を仕切り切る事も必要
という状況に、あまりに適用しすぎた見方をする様になって
しまいました。(その為、四輪とあまりに感覚が異なってしまい、
四輪を運転すると危険であると、後年、実感しました。)
 
もちろん悪い事だけでは無く、
学校の体育の授業で岐阜から京都までサイクリングだなんて時に、
入ってはいけない京都の道で、(他の人が自転車部だったのを)
素人の自分も、最後まで走り切る事が出来た経験も有りました。
(最終的に、タクシー運転手に怒られて、脇道に移りました。)
 
自分にとって、COBOLプログラミングやVBAプログラミングを
するに際して、有利だったのは、
・左右に、自分と違う意図を持った対象がいて、それと常に
 (コンティニュアスに)協調しないといけない
という感覚では無いかという事です。
 
長々と申しましたが、なにが言いたいかと言うと、
・(プログラミング的思考で無く)実際のプログラミングでは、
 有利な何かとは個人の個性で有る「見方」であり、それを教えろと
 言われても無理で、
・それでもどうしてもと言われると、小学生とかの頃に、
 ユニコーンの主人公みたいに教えるより無いのではないか?
という事です。
 
だから、学校で教えるのはプログラミング的思考で、
プログラミング自体は、向き不向きが有る事になるのでは、
という事情だと思います。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • #この文書はかなり荒唐無稽ですが、実体験で、与太話という程では無く、
    #特異な体験をした人間のルポルタージュ程度にお取り下さい。
     
    自転車に乗っていると、(義務でも有りますし)前を注視するのは当然
    ですが、
    ・目に写る事と、頭で感じる事の時間差なのか
    ・(コリジョンが起こりそうな)不味そうなシーンでは、前を見ているのに、
     見えない、考える自分だけ
    の状態になる事が有ります。その時、
    ・今まで数秒の周りの情報の記憶と、
    ・それから導き出される、他車の次の予測される位置
    を考え、それに対応しようとするか(視覚が戻ってから実際にするか)
    否かで、
    ・サイクリングで、お家に「どういう状態で」帰り着く事が可能か
    が決まると思います。
    ぱっと思いつきですが、この文章ではそれを「視覚的離れ技」状態と
    名付けます。
     
    さて、自転車で無く、プログラミングの話ですが、プログラミングでは、
    ・自転車の様に実際に動いている訳でも無ければ、
    ・(潜在的に)ぶつかってくる他車や電柱やフェンスやらが有る
    訳でも有りませんが、
    実体験として、プログラミング中に
    ・「視覚的離れ技」状態と同じ状態になる
    事が有ります。
    ただ、プログラミングではそれを無視しても何のペナルティも有りません。
    (何かがぶつかって来る事が無いからです。)
     
    無いが故に、
    ・もしその状態の時に考えをまとめると、より良い考えに至る
    のだとしても、無視してしまうのが普通でしょう。
    また、ペアプロとかの手法の場合は、そもそも、その状態に至る可能性は
    皆無でしょう。
    (ペアの相手を無視して「視覚的離れ技」状態になるのは間抜けです。)
     
    しかし、もしその状態で対処を考える事が、本当により良いのだと
    すると、
    (的思考で無い、実際に作る)プログラミングの習得は、人によって
    不得手が有る(他の体験で「視覚的離れ技」状態という見方を得ているか
    いないかで得手不得手となる)かも知れませんし、
    ペアプロは有害となるかも知れません。
     
    それだけです。

    • 技術的負債の悪影響とは「開発と共に得られていく知識や理解と
      目の前のシステムとの乖離が引き起こす生産性低下のこと」だと
      Webの記事に書いて有ったのですが、
       
      ・開発と共に得られていく知識や理解が得られる状況が、
      ・「視覚的離れ技」状態の状況下である
      ことが多い場合、
      ・「視覚的離れ技」状態で、むりやりリアルタイムに、得られて
       いる知見を、文字として起こせ

      とされると、
      ・強い光が見えた様に感じ、強い事務労働何日分もの疲労感に
       襲われる。
      となるのが自分の体験です。
       
      もちろん実際の光の刺激では無いのですが、
      Fortranの実習で、1行1枚のマークシートカードを読み込ませた
      (してもらった)後のデバッグ時に自分もなり、そのまま休学
      (留年)になりました。(実際の光でないのは、休学中に
      神経科で調べてもらったので、事実です。)
       
      「開発と共に得られていく知識や理解」というのは、言うのは
      易いですが、実は大変な話です。
       
      この疲労感を無くすには、
      ・SIer的ワンパターンで、そもそも「視覚的離れ技」状態が
       起きない様にする
      方法が有ります。
      ただ、現代日本ではSIer的ワンパターンは悪なので、なかなか
      そうは出来ない恨みが有ります。
      SIerとは、仕事として、理不尽な疲労感無しにプログラミングを
      出来る様にする為の、シェルターなのかも知れません。
       
      「視覚的離れ技」状態は、いままで見た事ないことに臨んだ
      時に起こることが多く、
      プログラム初心者は、むしろその状態ばかりになると思います。
       
      プログラム初心者は、やすみやすみやり、
      この様な危険の無い「的思考」で、あらかじめ「知識や理解」の
      『ワクチンを打って置く』のも良いのかも知れません。

      親コメント
      • 思いつく能力を獲得できなかった研究者は、
        ・能力の有る人間に負担をかけるやり方の、より良さ
        を提唱する傾向に有ります。
         
        ペアプロで有っても、テストを書けで有っても、技術的負債で
        有っても、結局は、
        ・「視覚的離れ技」状態で、むりやりリアルタイムに、得られて
         いる知見を、文字として起こせ
        という、その人間の将来をだめにする無理をさせようとしている
        だけです。
        高い生産性、高いコンピテンシーとは、もしかすると量子の様な
        ものなのかも知れず、思いつく事と、その経過を文字に書き起こす
        事は、相容れないとしたら、その研究者の要求は不当です。
         
        DXなどと言われていますが、結局の所、
        ・負担をかけた人間が、より良さを提唱できた功労者で
         有るとみなされ、
        ・EUC(ExcelのVBAで自分のご近所の問題を解決する)
         とかをする事が致命的に不利になり、
        ・その不公平さに辟易として、だれもDX的な分野に
         (非SIer的な分野に)手を付けなくなった
        ・の状態に対する警鐘
        に過ぎない
        (よりよくするというより、悪くなった所を復旧するだけ)
        と言えます。
        不当な説が良いとされた為に、現実の営みが動かなくなっている
        のです。
         
        「開発と共に得られていく知識や理解」など、歴史的時間の尺度で
        より増していくべき物で、決してリアルタイムによこせとすべきでは
        無い(実際の開発はコンサバティブで有るべきだ)
        というのが、
        この10年で得た結論では無いでしょうか?
        (より良いものとして他人に要求してきた内容は不当だった。)

        親コメント
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー

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