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日記

dotkuwaの日記: 写経と哲学に関する新書

日記 by dotkuwa

銀の弾などない(Wikipedia 日本語版)という記事で、本の著者のブルックスは、
・ソフトウェア開発の複雑性について、「本質的な複雑性」と「偶有的な複雑性」を区別している。
とし、
・本質的な複雑性は、解決すべき問題によってもたらされるものであり、これを取り除くことは
 できない。
としていますが、この複雑性は、自分が思いますに、
・たとえ、別の科学(数学に範を取った関数型プログラミングが典型)を持ち出してきても、
 取り除くことはできない。
可能性が有ると感じます。
最大限、偶有的な複雑性な複雑性を何とかした結果のプログラミングの手法を、別の科学で
さらに進歩させる事がおぼつかない、という考えです。
 
さて、写経というトレーニング方法は、良いという人と、悪いという人に別れると
思います。
自分が思いますに、悪いと思った人は、
・(自分が慣れ親しんでいる)他の科学に、いくらなぞらえても何も見えない。
からそう思うのだと感じます。
良いと思う人は、
・それ(写経の対象のプログラム)のみから、何を成し得るのか、自分で解釈し読める。
のだと感じます。
また、哲学に関する新書も、
・自分で解釈し、読もうとする
事自体がトレーニングで有り、先生にいくら教わっても、本質的な複雑性に対抗する為の
能力は涵養されないと思います。
 
科学によって、必要なトレーニングが違うのではないのか?と思いました。
もちろん数学でも進んだ課程では、同じなのかも知れませんが、ソフトウェア開発の場合、
「進んでいない課程」でもそれを求められるのが独自性なのかも知れません。
(そして、初心者向けの、あるいは実務上のショートカット(一見ずる)がコピペなのかも
 知れません。)

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