dotkuwaの日記: CSの科学としての大目標
日記 by
dotkuwa
CSには
・ちょうどいい議論(オブジェクト指向やポンチ絵)
と
・突き詰めすぎた議論(関数型やゴール)
が有ると思います。
なぜでしょうか? それは、
・CSの科学としての大目標は、
・ハードウェアとしては、1階論理しか使えない中で、
・ソフトウェアとして、「断片的でも良いので実質的に」
・高階論理を実現する
事にあり、
・ちょうどいい議論というのは、それにかなった議論で
あり、
・突き詰めすぎた議論というのは、厳密ではあるのかも
知れないが、1階論理のお里が見えてしまった議論
という事なのでは無いでしょうか?
厳密さを突き詰めれば、ハードウェアとしての1階論理に
突き当たってしまうのは、宿命ですが、
そうでは無く、
なんとか、「ちょうどいい、そうそう、こういうので
いいんだよ」的な議論とは、
なんらかの形で、ソフトウェアによって、断片的でも
良いので実質的に、高階論理を実現している
状態の事なのだと、思う様になりました。
世にある使えるツールは全て断片的で、人間の見立てで
「なんとか」成立しているものばかりです。
そして、それをへたに「改良」すると、ぶち壊れるもの
ばかりですが、
そういう機序なのでは無いでしょうか?
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