euleの日記: 私がひねくれてるんか? 2
日記 by
eule
大学教員の日常・非日常:リトミックより、「子育てに参加できないお父さんたち」や「参加できるのにしないお父さん」に向けてのメッセージ。
確かにね、自分の時間はなくなるし、子供がいるという制約で映画も見れない、遠出もできない、早寝させなくちゃいけない……etc.
子供がいたら、アレなことも多々あるけれど、だからこそ、かわいいところも目一杯見ておかないともったいないじゃないすか。ねえ。
まさにその通り。こうであって欲しい。
のだけど。この文章を読んでて、少しむっとしたのも事実。なんでむっとしたのか、自分でもはじめはよく分からなかったので、少し考えてみた。
私は今丸一日子供と一緒の生活で、子供の「かわいいところ」は勿論、そうでないことも全て見ていて、へとへとな日々だ。で、おとーさん達は「かわいいところ」のみをかっさらっていくわけ? これってつまり、あくまでも子育ての手伝いであって、子育てそのものじゃない。そう感じてむっとしたのだと思う。
へとへとの毎日だから、手伝いがあれば本当に助かる。だけども、できれば手伝いじゃなくて、休みの日には丸1日子供と一緒の生活をする(*1)、子育てそのものをやって欲しいと思う。
うーん (スコア:1, 参考になる)
「子育てに参加すべき、手伝いじゃなく、当事者意識で」
って感じでしょうか。
そもそも、お腹を痛めていない、へその緒で繋がっていない、
と言ったようなところに子供が育っていく事のリアリティが
希薄になってしまうんですよね男の一部か大部分かは。
だから、父親に可愛がって溺愛されたという記憶って言うのが、
母親の記憶より少ないから方法論がイメージできないわけ。
あと、子供にとって父親の必要性がイメージできない。
自分の記憶にないから、仕方ない。
手伝いの感覚で始めるしかなく、それ以上を期待すると壊れます。
だんだん当事者意識に目覚めていくように、しむけるのがいいと思います。
子供が父親を必要としている事、父親の子育て参加によって、
母親の負担が減って父親にも何らかのメリットがある事を条件付けてね。
ええ、パブロフですよ。それが、何か?
矛盾してるようだけど (スコア:1)
すいません、最近自分の時間がなかなか取れないんで、日記をガス抜きに使ってます_o_ 。
はい。これが理想です。ただ、「マザー・ネイチャー」(早川書房刊 isbn:4152086394, 4152086408)を読んで、父親達にこれをそのまま要求するのは酷だというのも納得してます。でも、いいとこ取りだけして「子育てしてます(えらいでしょ)」と言うのには、やっぱり感情的に反発してしまうんです。
で、反発しつつも、「当事者意識で」あさってなことされるよりは、的確な「手伝い」のほうがありがたい、という感情も自分の中に確かにあって、どうにも解決がつかない部分もあります。だから余計にイライラするんでしょうねぇ、きっと。