eurecaの日記: [サイコロ給]面白い会社メモ
日記 by
eureca
■サイコロ給…面白いのでメモ
http://www.cuppy.co.jp/vision/cuppystyle.html#sie
サイコロ給の会社が存在すると聞いてはいたが…なるほどこれは面白い。評価制の究極の形態である。
というのも、学校だとか会社でやるような「評価」というのは、まず偏りが大きくて、当てにならない場合が多い。サイコロの値を「評価」とすれば、そこにとりあえず偏りはない。(統計的な偏りは短期では存在するが、観点や概念のうえでの偏りはない)
たとえば100人いて100人ともが同じテストを受けて、その点数をそのまま「評価」と位置づけたとしよう。一見平等だが、これすらも偏っている。
どこに偏りがあるかといえば、テスト方式であり、出題系統であり、テストを受ける個々の環境、事前の情報入手等諸々である。いや、情報入手や勉強の効率性全て含めて受験者の「評価」成りうる、という反論があるだろうが、そうした情報入手や勉強の効率性スキルの入手に至るまでにも既に確率的偏りが存在し、運によってこれらスキルを入手可否が決定し、この運により決定するパラメータに基づいた上でテストを実施、その結果を「評価」としては、やはり「評価」に含まれる偏りの存在を否むことはできない。
この例であれば、このような偏りはおおよそ世間の許容するところであって、大した問題提起にはならないかもしれない。
しかし、企業の人事評価制にあたっては、このような冷静かつ謙虚な態度で望むことはできない。だいたい、こんな基本的なテストにすら偏りがあるんだから、より複雑な、会社の人事評価制に偏りが存在しないはずがない。そしてそんな偏りに基づいた「評価」によって、Sリーマンは、その後の生活基準や異なる人生プランを余儀なく強いられるのである。ここはSリーマンとして、偏りの怖さについて認知し、懸念するケースについては、真剣な態度で洗い出さなければならないだろう。
一般的な人事評価では、自己評価、他者評価、定量評価の3観点からその人物の評価を実施する。
定量評価の偏りについては、上述のテストで説明したとおりである。
自己評価は、設定した目標値に対して、どれだけの成果を挙げることができたのかのランク付けである。これが実に奥深く、成績が伴っていないにも拘らず、評価理由の辻褄さえ合えば、総Sランクをつけることもできてしまう。ストイックな侍タイプな人間だと、常に自分の結果に満足しないだろう。いつまで経ってもSランクなんてつけない。つまり、全く自己評価というのは当てにならない。
他社評価に至っては、まず評価者の性格、被評家者と評価者の関係が重要である。不幸なケースとしては、被評価者が頑張ったと感じている部分に、評価者が着眼しない場合もあるし、そもそも被評価者の仕事内容を把握していないこともある。だいたい、評価者は、自分の仕事で手一杯なのに、被評価者の仕事内容を多面的に観測するなんてことはほとんど不可能であって、社内の噂だとか、被評価者の仕事がもたらした表面的な結果だとか、部分的な情報を頼るしかないのである。さらに、被評価者の情報が部分的である上に、経路、タイミング等、いろいろなパターンの付随要素がそこに加わる。
こうなると、果然偏る。被評価者が10の仕事をしたとしても、評価者と評価材料の入手タイミングや経路、そして評価者との関係によって20にもなり、-5にもなる。
社内の人事評価制とはこうした情報に基づいて実施されているのが実態だ。そして、個々のランクがソートされ、今後の進展を決定される。こうして決まったポジショニングが社員のモチベーティブを決定し、ひいては企業の未来を決定しているのだ。
全体を見るマネジメント層からすれば、こうした偏りも企業内最適化の一環だと述べることができても、我々被評価者からすればやはり冷静ではいられないのである。
俺思うに、100人いれば100人の「評価」ありなのである。AさんとBさんの評価は比較できない、というか、正確な比較は不可能である。
人が人を評価する、というところに限界がある。
ならば、サイコロで決めてしまおう。神に判断を預けよう。
なんと理に適った評価だろうか。
今あるサイコロ給に加え、ピンゾロだと6倍付け、456だと3倍付けだとか、123だと半額だとか、そういう味付けもしてみよう。毎月の給料日がきっとさらに待ち遠しくなる限りである。
でも、サイコロ給100%にしてしまうというのもあまりに実績を無視しすぎていて稼いだ人が123なんて出してしまっては可哀想なので、不本意ながら従来の評価制も半分程度取り入れる。分散型にしてしまおうというわけだ。
ただし、従来の評価制というのは、やはり内部政治が大きくからみ、上述の偏りが発生するから、特定の社員からの評価だけでなくて、全員からの評価+自己評価を見て、評価の観点をより多面的にし、社長判断としよう。うーん、もっと偏るかなぁ…まぁ、この部分については従来の評価制でもいいや。
あとは、今はお金がないので、これにストックオプションを絡めてしまおう。
で…だ、結論として考える俺の理想の人事評価はこう:
サイコロ給50・基本給50(プラスアルファとして・ストックオプション10・全員からの評価の合計値加重配分10)、こんな感じでどうだろうか。
ただ、刑法2編23章への接触が怖い。
http://www.cuppy.co.jp/vision/cuppystyle.html#sie
サイコロ給の会社が存在すると聞いてはいたが…なるほどこれは面白い。評価制の究極の形態である。
というのも、学校だとか会社でやるような「評価」というのは、まず偏りが大きくて、当てにならない場合が多い。サイコロの値を「評価」とすれば、そこにとりあえず偏りはない。(統計的な偏りは短期では存在するが、観点や概念のうえでの偏りはない)
たとえば100人いて100人ともが同じテストを受けて、その点数をそのまま「評価」と位置づけたとしよう。一見平等だが、これすらも偏っている。
どこに偏りがあるかといえば、テスト方式であり、出題系統であり、テストを受ける個々の環境、事前の情報入手等諸々である。いや、情報入手や勉強の効率性全て含めて受験者の「評価」成りうる、という反論があるだろうが、そうした情報入手や勉強の効率性スキルの入手に至るまでにも既に確率的偏りが存在し、運によってこれらスキルを入手可否が決定し、この運により決定するパラメータに基づいた上でテストを実施、その結果を「評価」としては、やはり「評価」に含まれる偏りの存在を否むことはできない。
この例であれば、このような偏りはおおよそ世間の許容するところであって、大した問題提起にはならないかもしれない。
しかし、企業の人事評価制にあたっては、このような冷静かつ謙虚な態度で望むことはできない。だいたい、こんな基本的なテストにすら偏りがあるんだから、より複雑な、会社の人事評価制に偏りが存在しないはずがない。そしてそんな偏りに基づいた「評価」によって、Sリーマンは、その後の生活基準や異なる人生プランを余儀なく強いられるのである。ここはSリーマンとして、偏りの怖さについて認知し、懸念するケースについては、真剣な態度で洗い出さなければならないだろう。
一般的な人事評価では、自己評価、他者評価、定量評価の3観点からその人物の評価を実施する。
定量評価の偏りについては、上述のテストで説明したとおりである。
自己評価は、設定した目標値に対して、どれだけの成果を挙げることができたのかのランク付けである。これが実に奥深く、成績が伴っていないにも拘らず、評価理由の辻褄さえ合えば、総Sランクをつけることもできてしまう。ストイックな侍タイプな人間だと、常に自分の結果に満足しないだろう。いつまで経ってもSランクなんてつけない。つまり、全く自己評価というのは当てにならない。
他社評価に至っては、まず評価者の性格、被評家者と評価者の関係が重要である。不幸なケースとしては、被評価者が頑張ったと感じている部分に、評価者が着眼しない場合もあるし、そもそも被評価者の仕事内容を把握していないこともある。だいたい、評価者は、自分の仕事で手一杯なのに、被評価者の仕事内容を多面的に観測するなんてことはほとんど不可能であって、社内の噂だとか、被評価者の仕事がもたらした表面的な結果だとか、部分的な情報を頼るしかないのである。さらに、被評価者の情報が部分的である上に、経路、タイミング等、いろいろなパターンの付随要素がそこに加わる。
こうなると、果然偏る。被評価者が10の仕事をしたとしても、評価者と評価材料の入手タイミングや経路、そして評価者との関係によって20にもなり、-5にもなる。
社内の人事評価制とはこうした情報に基づいて実施されているのが実態だ。そして、個々のランクがソートされ、今後の進展を決定される。こうして決まったポジショニングが社員のモチベーティブを決定し、ひいては企業の未来を決定しているのだ。
全体を見るマネジメント層からすれば、こうした偏りも企業内最適化の一環だと述べることができても、我々被評価者からすればやはり冷静ではいられないのである。
俺思うに、100人いれば100人の「評価」ありなのである。AさんとBさんの評価は比較できない、というか、正確な比較は不可能である。
人が人を評価する、というところに限界がある。
ならば、サイコロで決めてしまおう。神に判断を預けよう。
なんと理に適った評価だろうか。
今あるサイコロ給に加え、ピンゾロだと6倍付け、456だと3倍付けだとか、123だと半額だとか、そういう味付けもしてみよう。毎月の給料日がきっとさらに待ち遠しくなる限りである。
でも、サイコロ給100%にしてしまうというのもあまりに実績を無視しすぎていて稼いだ人が123なんて出してしまっては可哀想なので、不本意ながら従来の評価制も半分程度取り入れる。分散型にしてしまおうというわけだ。
ただし、従来の評価制というのは、やはり内部政治が大きくからみ、上述の偏りが発生するから、特定の社員からの評価だけでなくて、全員からの評価+自己評価を見て、評価の観点をより多面的にし、社長判断としよう。うーん、もっと偏るかなぁ…まぁ、この部分については従来の評価制でもいいや。
あとは、今はお金がないので、これにストックオプションを絡めてしまおう。
で…だ、結論として考える俺の理想の人事評価はこう:
サイコロ給50・基本給50(プラスアルファとして・ストックオプション10・全員からの評価の合計値加重配分10)、こんな感じでどうだろうか。
ただ、刑法2編23章への接触が怖い。
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