パスワードを忘れた? アカウント作成

flysonさんのトモダチの日記。 アナウンス:スラドとOSDNは受け入れ先を募集中です。

17448418 journal
日記

Torisugariの日記: 123年間の歴史で初めての監督解任と2024年の大河ドラマ

日記 by Torisugari

先月、つまり2023年9月に日本代表対ドイツ代表のサッカーの親善試合があって、4対1で日本代表が勝ちました。その直後、ドイツ代表チームの監督であるハンジ・フリック氏は解任されてしまいました。この両者の因果関係は必ずしも明白ではありあませんが、数日後にフランス代表との親善試合が予定されていたのにもかかわらず、ドイツ代表は急に監督を交代させてしまったわけですから、まあ、負けたからクビになったと捉えて良いでしょう。

とはいえ、メディア報道では、日本戦の前からハンジ・フリック氏は近々代表監督を外されるのではないかという憶測が飛び交っていました。2022年のワールドカップを含めて、直近の十数試合の成績があまり良くなくて、人気も低迷しつつあったからです。

一方で、解任されるはずがないという意見もありました。彼はドイツ代表監督の前にバイエルン・ミュンヘンというサッカークラブの監督を務めていたのですが、その時にリーグ優勝・協会カップ優勝・大陸カップ優勝の3冠を獲得して、特に大陸カップ(欧州チャンピオンズリーグ)は史上初の全勝優勝でした。ドイツのサッカー協会は、方々に無理を言って、そんな歴史に名を残すような優秀な監督を2年前に引き抜いたのです。しかも、当初は歴代タイの就任後連続無敗記録をマークして協会の期待に応えていました。だから、ちょっとやそっとの不調くらいでは続投だろう、という観測です。

この説をさらに補強する意見として、ドイツのサッカー協会はこれまで一度も監督を解任したことがない、というデータがありました。つまり、監督交代には任期満了か監督自身が申し出て辞任するかしかありません。そして、ハンジ・フリック氏は日本戦の前にも後にも辞任の意志はないとインタビューで答えています。

ドイツの協会と監督がどのような契約を結んでいるのか、詳しくはわかりませんが、一般論で言うと、クラブや協会はいつでも監督を解任できる代わりに、監督は次の監督の仕事が見つかるまで任期中は(出来高給などを除く)給料を受け取り続けることができる、という形になることが多いです。つまり、元監督が次職を見つけるまで、協会は元監督と新監督に二重払いを続けることになります。協会は二重払いを避けたいので、同じ辞めさせるなら解任(会社都合退職)するより辞任(自己都合退職)して欲しいわけですが、ハンジ・フリック氏側としては前述の経緯があるので、手ぶらでは戻れないという思いがあるはずです。任期はあと一年以上あって、任期中に欧州選手権という大舞台もあるので、彼の意志が変わらなければ、監督も代わらないだろうと思われていたのです。

しかし、冒頭にも述べた通り、ハンジ・フリック氏は解任されました。だから、メディア各社は驚きと納得を交えてそれを伝え、「ドイツサッカー協会の123年間の歴史で初めて解任された監督」という表現になったのです。

---

でも、それって本当のことでしょうか?かつて、ゲイリー・リネカー氏が1990年のワールドカップで

Football is a simple game. Twenty-two men chase a ball for 90 minutes and at the end, the Germans always win.

サッカーはシンプルな競技だ。22人が90分間ボールを追いかけ、最後は常にドイツが勝つ。

という言葉を残したくらい、国際サッカーの舞台において、ドイツはかなりの強豪国です。だから、監督は常に勇退してきたから解任なんてないんだ、と言われたら素直に納得してしまいそうです。

しかし、ちょっと調べれば分かりますが、1998年に就任したエーリッヒ・リベック氏は10勝6分8敗という成績で2年後に交代しています。これはハンジ・フリック氏の12勝7分6敗より下の成績ですから、今回と同じようなことが23年前にもあったということです。違いはエーリッヒ・リベック氏は解任されたのではなく辞任したのです。辞任は解任よりも不利な退職ですから、それを呑んだのには相応の事情があったでしょう。

とにかく、強豪といえど監督成績の浮き沈みは確かにあったのです。結果として解任がなかったのは、伝統に鑑みて、解任自体を避けるある種の努力がなされたからだと思います。実際のところ、解任が発表される直前は、ネット上でリベック氏の名前を何度か目にしましたし、続投説の根拠にもなっていました。今こうやって比べたくなる2人ですから、案外、23年前も100年間だれも解任されていない、というようなことが取り沙汰されていたかもしれませんね。

---

さて、123年というのは途方もない数字です。前節では「強豪」と「伝統」をキーワードにして「解任」がなかったカラクリを考えてみましたが、では123年間、サッカーのドイツ代表は常に伝統ある強豪国として存在し続けていたから解任がなかったのでしょうか?

今から123年前、1900年のドイツは帝政時代です。ということは、その後、第一次世界大戦と第二次世界大戦の当事者となって、領土が増えたり減ったり分割されたり統合したりして、それでいて、今イメージするような伝統ある強豪国だから解任が一度もなかった、というのはやはりおかしなことのように思えます。少なくとも新興国であったり弱小国であったことはあったはずですから。出来たてで弱いころの監督はなぜ解任されなかったのでしょうか?

ドイツ代表の初代監督はオットー・ネルツという人で、1926年に監督に就任しました。1923年としている場合もありますが、いずれにしろ、1900年から数えて20年以上監督がいませんでした。これが先ほどの問いの一つの答えになると思いますけれど、要するに、弱かったころは解任すべき監督もまたいなかった、というトリックです。選手と同じように監督も試合ごとに召集されていた時代があって、そういった招集監督たちの中から最初に専任の監督となったのがオットー・ネルツです。

そして、彼のWikipediaの記事をみると、衝撃的なことが書いてあります。

しかし本大会では準々決勝でノルウェーに0-2で敗れると責任を問われ、大会終了後に監督を解任された。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%84&oldid=82326474

初代監督のオットー・ネルツは解任された、と書いてあるのです。つまり、この記事が正しければ、123年間で初めて解任されたという文言が虚偽だったことになってしまいます。日本語版の記事の元になった英語版の記事には次のように書いてあります。

However, Germany was eliminated early in the tournament after a shock defeat to rank outsiders Norway. Shortly thereafter, Nerz was relieved of his duties as coach and replaced by Sepp Herberger.

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Otto_Nerz&oldid=293211527

よしんば日本語版が幾分か誤りを含んでいて英語版が正しかったとしても、"be relieved of one's duties as coach and replaced"は「解任」ではないのでしょうか?気になってドイツ語版を見てみると、もっと詳しい事情が書いてありました。

Auch in sportlicher Hinsicht konnte sich Nerz mit den Nationalsozialisten arrangieren, da diese die Fußballnationalmannschaft gern als Propagandainstrument nutzen wollten. Er unterstand nun dem Fachamt Fußball, das mit fußballerischen die Überlegenheit der deutschen Rasse zu demonstrieren dachte. Diese Hoffnung konnte Nerz bereits bei der Weltmeisterschaft 1934 teilweise erfüllen – mit Platz 3 (3:2 über Österreich) erreichte die Nationalmannschaft ihren bis dahin größten Erfolg. Zur Vorbereitung auf das Fußballturnier der Olympischen Spiele 1936 in Berlin setzte das Fachamt 1935 die Rekordzahl von 17 Länderspielen an. Davon wurden 13 gewonnen, lediglich die Begegnungen mit Spanien (1:2), Schweden (1:3) und England (0:3) gingen verloren, die Partie gegen Norwegen endete unentschieden (1:1). Damit ging die deutsche Nationalmannschaft als einer der Favoriten in das olympische Turnier. Nach einem leichten 9:0-Sieg über Luxemburg war Norwegen der nächste Gegner im K.-o.-System. Mit Blick auf die nachfolgenden schwereren Aufgaben erhielt Nerz vom Fachamts-Leiter Felix Linnemann die Anweisung, die Leistungsträger der Mannschaft zu schonen. Daraufhin ließ Nerz eine Mannschaft mit zahlreichen Reservespielern auflaufen. Unter den Augen des an sich am Fußball nicht interessierten Adolf Hitler unterlag Deutschland mit 0:2. Diese Niederlage, mit der Deutschland aus dem Turnier ausschied, wurde zum Politikum, Nerz wurde vom Fachamt zwangsbeurlaubt, und sein Assistent Sepp Herberger übernahm beim nächsten Länderspiel am 13. September 1936 gegen Polen die Aufgaben des Reichstrainers. Am 27. September 1936 im Spiel gegen die Tschechoslowakei in Prag saß Nerz aber wieder auf der Bank, und Herberger verantwortete das am selben Tag stattfindende Spiel gegen Luxemburg, in dem vier Spieler ihr Länderspieldebüt gaben und weniger Stammspieler als gegen die Tschechoslowakei im Einsatz waren.

Am 2. November 1936 wurde schließlich Herberger zum Reichstrainer und Nerz zum „Referent für die Nationalmannschaft“ ernannt. So arbeitete Nerz mit Herberger nicht nur zusammen, sondern blieb dessen Vorgesetzter noch bis unmittelbar vor der Weltmeisterschaft 1938. In der Fachpresse zuletzt als „Chef der deutschen Nationalmannschaft“ bezeichnet und gewürdigt, übte Nerz das Amt bis Mai 1938 aus. Kurz zuvor hatte er eine Professur an der Deutschen Hochschule für Leibeskultur übernommen und wurde deren Direktor. Er veröffentlichte mehrere sportwissenschaftliche Publikationen.

Nach dem Ende des Zweiten Weltkrieges wurde Nerz im Juli 1945 von der Roten Armee verhaftet und in das Speziallager Nr. 3 Berlin-Hohenschönhausen verbracht. Von dort aus wurde er am 16. Oktober 1946 ins Speziallager Nr. 7 nach Sachsenhausen weitertransportiert, wo er am 19. April 1949 an einer Meningitis starb.

https://de.wikipedia.org/wiki/Otto_Nerz

オットー・ネルツは、1934年のワールドカップで弱小国だったドイツを率いて強豪のオーストリアを破り、3位に導きました。1936年のベルリンオリンピックを迎えるにあたって、この成果は時の政権をとっていたナチス党を多いに喜ばせ、国威発揚のためさらなる好成績を得るべく、1年間で17試合もの強化試合が組まれ、ネルツ率いるドイツ代表は13勝1分3敗という好成績を叩きだしました。しかし、オリンピック本番では、1回戦のルクセンブルク戦こそ9対0で大勝したものの、次のノルウェー戦は3回戦以降の疲労蓄積を考慮して選手を入れ替えるように協会側から言われてそれに素直に従った結果、観戦するヒトラーの眼前で0対2というスコアで敗北、2回戦敗退となってしまいました。

日本語版や英語版のウィキペディアでは、ここでネルツが解任されたことになっていますが、実際にはより複雑なことになっています。

オリンピックでの敗戦は政治問題となったので、ネルツはチームを離れ、部下のゼップ・ヘルベルガーが次の9月13日のポーランド戦での指揮を執りました。ところがその次の親善試合はルクセンブルク戦とチェコ戦が同じ日に別の場所で組まれ、ヘルベルガーが指揮するルクセンブルク戦はレギュラーが主体となって、ネルツが指揮するチェコ戦は初招集を含む控え選手が主体となって選手が割り当てられる、変則的な監督両立体制となっていました。

その試合でネルツが代表チームへと復帰したあと、協会は„Referent für die Nationalmannschaft“(国家代表代表)、通称„Chef der deutschen Nationalmannschaft“ (ドイツ国家代表主席)という役職を新設し、ネルツをそこへ「昇進」させて、ヘルベルガーを代表監督へと昇進させることで、上下関係を維持したままヘルベルガーを代表監督にしてしまったのです。

ネルツはこの職を1938年のワールドカップ直前まで続け、体育大学の教授へと転職しました。

これは、中宮遵子状態から皇后遵子・中宮定子状態へと移行し、中宮定子状態から皇后定子・中宮彰子状態へと移行したのと似ています。離婚が成立していないという立場に立てばネルツは解任されていない、と言えるでしょうし、もし定子に男児が生まれていても継承権がなかったろう(個人の感想です)から、事実上の廃后だと解すれば、ネルツは表舞台でA代表を指揮できない以上、第三者からは事実上の解任に見えるとも言えるわけです。

これは私の想像ですけれど、そもそも1934年のワールドカップに3位になったというネルツの実績が、このややこしい状態を生んだのではないかと思います。もちろん、ベルリンオリンピックでの敗退は万難を排してでも避けるべきでしたが、それは結果論であって、どこかの段階でリスクを負うのは勝負事では避けられないことです。それはそれとして、協会やヘルベルガーの立場で考えると、1938年のワールドカップは前任者以上の結果が求められます。あれは実力以上のものが出たたまたまの勝利だったとは言えません。この時点では知る由もないかもしれませんが、1938年のワールドカップはアンシュルス後なので、格上のオーストリア代表を吸収合併したドリームチームで出場するのですから、なおさら好成績が求められます。ネルツは結果を出した後だから、あれくらいで済んでるわけで、政治的に失点が付いたとはいえ手腕は確かなものがある、くらいの評価と思います。

そういう諸々を考えて、各々が嫌なことを我慢しながら、誰の面子も傷つけないようにした答えが、厳密に言うと解任はしないが実質的に解任する、だったのではないでしょうか。前言を翻すようですけれど、強豪国ではないから却って監督を解任できなかったという場合もあるのです。

監督を解任しない伝統というのは、なるほど立派なもので学ぶべきところも多々あると評価できますけれど、別の視点から考えると、伝統という名で呼ばれてはいるものの、実態は戦時中から続く呪縛のような何かがあって、ドイツ人たちはハンジ・フリック氏を解任することで、それから解き放たれたとも言えます。

なにしろ、協会にとって解任は損ですけれど、経済的には至極健全ですからね。

15580858 journal
日記

Torisugariの日記: ロシア国防省の418 3

日記 by Torisugari

ITmediaが報じていますけれど、昨日から

ロシア国防省のウェブサイト
https://mil.ru/

がHTTPのステータスコードで418を返すようになっています。

ロシア国防省の公式Webサイトで接続障害 エラー名は「私はティーポット」?
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2202/24/news179.html

国際情勢のこともあって、まともな媒体の記事では迂闊なことが書けないと思います。ですから、あえて不確かな私見を述べますけれど、この「接続障害」はDDoSのような攻撃を受けた結果ではなくサーバーの管理者が意図的にやっていることで、その意思表示として418を返している、ということのようです。

https://twitter.com/vxunderground/status/1496892663697936384
によると、全世界で一斉にアクセスできなくなったわけではなく、まず北米・南米・東南アジア・香港・韓国のようなところから始まって、その後、日本・中国・EUも418圏の仲間入りを果たしました。

https://www.host-tracker.com/ic/3/95c4c6ff-a10b-4d83-8a7e-5ea8e9db13cb
によれば、19時現在ではロシア・ウズベキスタン・カザフスタンからは200で、他の地域は418になる、という状況のようです。

---

HTTP(?)のステータスコードとしての418は保護運動のようなものもありましたし、各々が418に抱く印象は様々でしょうけれども、いずれにせよ、今まではユーモアやバグでしか話題にならない存在でした。

一応、Mozillaの解説では

Some websites use this response for requests they do not wish to handle, such as automated queries.

https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Web/HTTP/Status/418
と触れられているので、実際にHTTPで使っている人たちもいたようですが、503や404ではなく敢えて418を返す、ということは、要するに、ゴミを投げつけられた時に「攻撃されてる!」と叫びながら投げ返すためのゴミということになろうかと思います。

これを念頭に置いて、418が私のブラウザに返されてきたことを考えると、何か残念な気持ちになってしまいます。

15535339 journal
Windows

suezoの日記: Windows10/11がスリープ復旧後や長時間起動で遅くなる場合

日記 by suezo

イベントログのアプリケーションでCOMRuntime 10035エラーが出ているならば以下で解決

  • クライアントによって要求された IIDが{0000002F-0000-0000-C000-000000000046}の場合
    regsvr32.exe C:\Windows\System32\oleaut32.dll
    C:\Windows\SysWOW64\regsvr32.exe C:\Windows\SysWOW64\oleaut32.dll
  • クライアントによって要求された IIDが{0000030B-0000-0000-C000-000000000046}の場合
    regsvr32.exe C:\Windows\System32\coml2.dll
    C:\Windows\SysWOW64\regsvr32.exe C:\Windows\SysWOW64\\coml2.dll
  • クライアントによって要求された IIDが{00020400-0000-0000-C000-000000000046}の場合
    regsvr32.exe C:\Windows\System32\oleacc.dll
    C:\Windows\SysWOW64\regsvr32.exe C:\Windows\SysWOW64\oleacc.dll

Advance SystemCareでは発生しないので、
今のところ怪しいのは、IObit Uninstal Toolかな。

15524013 journal
Windows

suezoの日記: Windows11でjpegファイルのファイルの関連付けができない場合 5

日記 by suezo

Windows11をクリーンインストールをするという冒険に出たら、
既定のアプリの.jpgファイルの関連付けがフォトから変更できなくなった。
コンテキストメニューから「別のプログラムを選択」で、「常にこのアプリを使って.jpgファイルを開く」のチェックボックスが表示されなかった。
対処方法は、英語の掲示板にしかなかったので、ここにメモしておく

1.[設定]-[アプリ]-[アプリと機能]選択
2.Miicrosoft フォト選択
3.「修復」ボタンと「リセット」ボタンをクリック

15471654 journal
日記

suezoの日記: 公明党員 5

日記 by suezo

選挙の度に、投票しろって行ってくるんだが、思いっきり選挙法違反じゃないか。
次来たら真面目に応戦しよ

15245767 journal
日記

suezoの日記: LINE WORKS

日記 by suezo

JWTの認証を得るのに
https://developers.worksmobile.com/jp/document/1002002?lang=ja
にあるサンプルのトークンを
https://jwt.io/
にかけると、署名のエラーになるよ。

15027158 journal
日記

suezoの日記: COMRuntime 10035のエラー 2

日記 by suezo

Windows10 20H2 でイベントログに出ていた

COM 標準マーシャラーが、サーバーによって提供された IID {618736E0-3C3D-11CF-810C-00AA00389B71} と、クライアントによって要求された IID {00020400-0000-0000-C000-000000000046} の不一致を解決できませんでした。ハンドラー: CLSID {01794798-4918-0179-0000-00004C0DB077}。エラー コードは 0x80010114 です。

ATOK2017を消したら問題なくなった。
一太郎を買わせる罠かな

14975759 journal
日記

Torisugariの日記: 法律と条件分岐 4

日記 by Torisugari

先日、運転免許の更新に免許センターを訪れた際、講習の開始までに時間があったので、配布された冊子を読んでいると、奇妙な記述を見つけました。交通安全協会のウェブサイトにもほぼ同じ内容が書かれているので、引用します。

令和2年12月10日までに施行

準中型免許を受けて1年に達しない者は、準中型自動車のほか普通自動車を運転するときも初心運転者標識(初心者マーク)を表示することとされました。

http://www.jtsa.or.jp/new/koutsuhou-kaisei.html

この記事を数年後に読んでいる人はおそらく内容が変わっているので、ウェブアーカイブへのリンクも置いておきます。
https://web.archive.org/web/20201019153503/http://www.jtsa.or.jp/new/koutsuhou-kaisei.html

---

この規定見直し、意味が分からない単語はひとつもないんですが、1度読んだくらいでは頭にすっと入ってこないんですよね。しかも、これ以外に脈絡がなくいきなり出てくるので、なぜ今更こんなことを言い出すのかが理解しがたいのです。そして、講習はこの部分を全く解説せずに終わってしまいました。まあ、私は(おそらく他の参加者も)初心者マークの対象者でなければ準中型免許も取得していないので、当然といえばそうかもしれませんが、とにかく気になったのです。

ちなみに、おそらく正しい解釈は、次のようになります。まず、普通免許を取った人は1年間は普通自動車に初心者マークを付けなければいけません。そして、普通免許を飛ばしていきなり準中型免許を取った人はやはり1年間は準中型自動車に初心者マークを付けなければいけません。しかしながら、2020年の10月末日現在では、準中型免許を取った人は初心者マークなしで普通自動車を運転できてしまうのです。そして12月10日までに、初心者マークは必要になる、ということなのでしょう。

私は法曹の類の資格は一切持っていないので、私の解釈を鵜呑みして情報拡散されても困りますけれど、『道路交通法』「第71条の五の1」と「第71条の五の2」のdiffを見る限りでは、そうとしか思えません。

  1. 準中型免許が新設された2017年の道路交通法改正時の「新旧対照表」
  2. 2019年の道路交通法改正の「新旧対照表」

---

どうしてこのような法改正をするのか、確信はもてませんけれど、端的に言ってしまえば、これってミスだから慌てて直したんでしょうね。担当者が最初に気付いた時の心情は察して余りあるものがあります。ひょっとしたら誰かに怒られたかもしれません。

実害はほとんどありませんし、違反(?)する人もまずいないでしょうから、放置しておいても良さそうなものだったのに、わざわざ訂正して法を真っ当なものに近づけようとする姿勢は素晴らしいと思います。さはさりながら、さらっと見逃してしまうには惜しいような、なにか示唆的なものを幾分か含んでいるようにも思われます。法律を書いている官僚のチームですら、もう何を書いてるのかよく把握できていないから生まれたミスでしょうし、推進する人も、委員会で審議する人も、議会で採決する人も、誰一人気付かなかったから成立してしまったのでしょう。「コーダとレビュアは互いを親の敵と思え」という格言がありますが、あれほどいがみ合っていて見つからないのですから、この複雑性は生半可なものではありません。確かに取り返しのつくミスで、恥に思う必要はありませんけれど、直したことによって法文はよりスパゲッティになっているのですから、後世へのツケを増やす方向で進んでしまったな、という感じもします。

頑張ればできることの大半は頑張らないとできないことです。この手のミスを既存の方法で減らすには相当頑張らないといけません。私にはその頑張りが無駄に思えるんですよね。ベン図をきちんと書けばシステマティックに同じ法案を生成できるようになる、といったような、数学的・論理学的・工業的な意味で法律作成技術が進化しなければ、結局はこの無駄に延々と人的資源を投入することになってしまいます。どうせ行革するのなら、ここをやってもらえないでしょうかね。

---

余談ですけれど、

のような書き方もどうかと思います。数式にすると

r = 2 * (24 - v) / (24 - 10) (ただし10≦v≦24)

r = 3 * (24 - v) / (24 - 10) (ただし10≦v≦24)

ですから、結果が同じでも「(v - 10)」や「14/3で割る」という計算をさせるのはいかがなものかと。少なくとも前半を無理にコピペしようとしなければ「14/3で割る」というバカみたいな表現は避けられたのに。

14147070 journal
日記

Torisugariの日記: オーバーシュートの言い換え案 11

日記 by Torisugari

「オーバーシュート」がカタカナ語であることが物議を醸しているので、言い換えをいくつか考えてみましたが、結論から言うと「(感染)沸騰」がいいんじゃないでしょうか。

「オーバーシュート(overshoot)」という言葉は"over"と"shoot"の合成語ですが、この"shoot"は射撃のことで、射的をするときに、的や獲物よりも上を撃って「弾が遠くに飛びすぎた」というのが原義のようです。そこから転じて「通り過ぎる、はみ出る」という意味が第一義となり、例えばwiktionaryでは例として「駐車スペースから車がはみ出る(overshoot the parking space)」という用例を挙げています。

一方、感染にオーバーシュートという言葉を使い始めた人たちは、これが金融用語から転じたものだと言っていますから、そちらも考えてみましょう。「オーバーシュート|証券用語解説集|野村證券」によると、「価格の行き過ぎた変動」で「短期的に実体からかけ離れた価格になる」とあります。ものごとには勢いというものがありますから、心理的な要因や並列的な機械的判断の都合上、「行き過ぎ」がおこってしまうのです。

しかしながら、感染の進行が「実体」より過大になることはちょっと考えられません。値段という「現実」があるべき値である「実体」とズレるのは、幾分と誤魔化しを含んでいるとはいえ、まだ納得の余地があります。でも、実際の感染者数という「現実」が本来感染すべき「実体」とズレているなら、信用ならないのは「実体」であって「現実」ではありません。値段はいつか「実体」に近づくことはあっても、感染者数が「実体」に近づくことはあり得ないのですから。そして短期的でもないでしょう。

金融のオーバーシュートをもう少し別の角度から考えてみましょう。ものの値段が「実体」に沿って推移するとき、上がるにしろ、下がるにしろ、想定の範囲内で相場が形成されます。しかし、売買に関わる人が多すぎると、相場形成がかえって「実体」から離れてしまう、言い換えると、上がり下がりの法則が「売り上げ」や「事業規模」のような変数とは連動しなくなってしまいます。このように面倒過ぎて理由付けを諦める状況をオーバーシュートというならば、やっと感染者の話と類比できるようになります。このような状況では「実体」よりもむしろ売買する人数の方が変数として大きくなりますから、「実体」から予想しようとすると非線形な振る舞いになってしまいます。値動きするからこそ売買参加者が増えて値段をつけるルールが変わってしまうのです。多項式の科学から微分方程式の科学になって、カオスが幅を利かす世界になってしまうわけですね。

このように、ある変数に対して線形な結果だと思い込まれていたものが急に非線形になるのは自然界ではそれほど珍しいわけでもなくて、相転移が絡めば日常茶飯事です。そう思いながら、感染者の増減を考えてみると、水の気化によく似ていることが分かります。

いま、液体の水を非感染者、気体の水を感染者として考えると、室温に近い状態で容器に入れた水を温めたときの気化は、主に液体と気体の境目、つまり水面からの蒸発によっておこるので、気化を抑えるには水面の面積を小さくするのが最も効果的です。同じ体積の器具でも、ビーカーと丸底フラスコではフラスコの方が蒸発が遅いのです。感染症対策で考えると、外部との接触を断つ水際対策になぞらえることができます。

一方、温度が上がってお湯がグラグラになるまで沸いてしまった場合、温度や圧力の不均一さ、ゆらぎによって、液体の内部に小さな気泡ができて、そこが新たな水面になってしまいます。感染症対策で考えると、これがいわゆるクラスタと呼ばれるもので、日本の現状でもあります。

最後に、お湯がボコボコになるまで沸いてしまうと、もう液体内のあらゆる箇所に気体が混じっています。水の蒸気圧が大気圧をオーバーシュートしてしまうと、どこが気体でどこが液体なのかを場所から予測することは出来なくなるのです。だから私はあえて新しい名前を付ける必要があるのなら「感染沸騰」と呼ぶべきだと思うのです。Wikipediaの「沸騰」によれば、唐ができる時に、民衆の間で不満が高まって、ついに内乱が各地でおきることを「天下沸騰」と言っているらしいので、この程度の暗喩は許されるでしょう。

----
ところで、感染症は罹患した人がさらに罹患した人を増やすという、連鎖反応による拡大再生産的な要素を持っていますが、「沸騰」という語義にはそれを示唆する要素が込められていません。一般的に言って、水を火にかけるから沸くのであって、水を火にくべて燃えるわけではないのです。

しかし、この状況を的確に表現する漢字表現がないのか、といえばそんなことはなくて、例えば、核分裂した原子核の破片がさらに別の原子核に当たって核分裂を促し、その破片がさらに別の原子核へ……という状況と同じであり、「臨界状態」と呼ばれるものです。オーバーシュートの原義を尊重すれば、「臨界超過」や「臨界突破」とでも言うべきでしょうか。

自治体が「基本再生産数」という専門用語をよく使うのも、実際のところ連鎖反応でネズミ算になるとどうしようもなくなってしまうからだと思います。「オーバーシュート」は何が何からはみ出るのか、という点を冷静に考えると、再生産数が何らかの閾値を越えてしまうということなのでしょう。モデルとしては、臨界量を越えて集めるだけで勝手に連鎖反応が制御不能なレベルまで進むのと似ています。でも、迂闊にそんなことを言い出したらそれこそ世間が制御不能になってしまいそうですから、私は思いつかなかったことにしておきます。

typodupeerror

皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー

読み込み中...