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13414525 journal
日記

phasonの日記: 電気熱量効果と静電アクチュエーターを組み合わせた小型冷却素子

日記 by phason

"Highly efficient electrocaloric cooling with electrostatic actuation"
R. Ma et al., Science, 357, 1130-1134 (2017).

小型電子機器の一般化や,今後のさまざまな利用が期待されるナノ・マイクロデバイスにおいて,放熱をどうするかというのは非常に重要な課題である.大型の装置であれば強制空冷や冷蔵庫同様の熱交換器を利用すれば良いのだが,小型化を考えるとこれら大規模な駆動部がある冷却法の利用は難しい.可動部分の内冷却手段としてはペルチェ素子なども存在するが,こちらはある量の熱を移動するためにかなりの量の電力を消費するため,トータルで放熱しなくてはならない熱量が劇的に増えてしまい,さらに消費電力も大きいという弱点をもつ.
そんな小規模冷却システムの原理として最近注目されているのが,電気熱量効果(electrocaloric effect)を利用した冷却である.これは,以下のような原理で冷却する手法だ.

まず,利用する温度域で自発分極を持たない誘電体,つまり外部からの電場をかければ電気的な分極方向が揃うが,外場を取り除くと分極の向きがランダムになるような誘電体を用意する.
この誘電体を熱浴(常温の放熱板)に接触させ,外場により分極の向きをそろえる.「バラバラだった分極の向きが揃う」ためこの誘電体のエントロピーは低下し,その分だけ熱が外部に放出される(熱力学の基本,エントロピー変化=加えた熱量 / 温度.エントロピーが下がるなら,それだけ熱が放出されることになる).
分極の向きが揃ったら誘電体を熱浴から離し,今度は熱源に接触させる.この状態で外場を取り除くと,誘電の向きは再度ランダム=エントロピーの高い状態へと変化するが,これに伴い熱を吸収する.結果として,誘電体は熱源から熱を奪い,冷却に寄与する.
引き続きこの誘電体を熱浴(放熱板)に接触させ,そこで外場により分極の向きを揃えれば熱源から吸収した熱が放出される.これを繰り返せば,熱源を冷却することができる,というわけだ.
この冷却法は,極低温で使われる断熱消磁(磁性体に磁場をかけスピンの向きをそろえると熱を放出.熱を熱浴に放出後,磁場を無くすと周囲から熱を吸収しサンプルを冷やせる)の電気版と考えれば良い.

この電気熱量効果,利点は素子の単純さと,消費電力の少なさにある.絶縁体である誘電体を電極で挟んで電圧をかければ分極が揃うので,断熱消磁のように馬鹿でかい磁石を用意する必要はないうえに,電場で誘電が反転する際に流れる電流はほとんどないため,冷却に要する電力はペルチェ素子などに比べると非常に小さい.
ところが,誘電体を熱源と放熱板との間で何度も往復させねばならないことから素子の可動部が生じ,そこをどう小型化するか&駆動部の機械的劣化はどうするのか,という点が問題となっていた.
今回の論文は,「誘電体そのものを電気駆動できる静電アクチュエーターにしてしまう」という方法によりこの問題点をクリアし冷却素子とすることができた,というものになる.

まずは素子の構造を見てみよう.
誘電体としては,有機強誘電体などとしてよく使われているポリフッ化ビニリデン系のポリマーのナノコンポジットが使用されている.ナノサイズの強誘電領域がごちゃ混ぜになったポリマーで,外場があれば誘電の向きが揃い,外場を除けば分極はランダム化する.
ここにさらに,カーボンナノチューブの分散液をスプレーし,表面に導電性で柔軟性の高い膜を作る.これを貼り合わせることで,

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ナノチューブ導電層(上)
----------------------
誘電体
----------------------
ナノチューブ導電層(中)
----------------------
誘電体
----------------------
ナノチューブ導電層(下)
----------------------

という多層構造を作成している.ここに例えば,導電層(中)に正電位,導電層(上)と(下)に負電位を印加すれば,誘電体にはそれぞれ強い電場が印加され,誘電分極の向きが揃うこととなる(揃う向きは上下の誘電体で逆向きになるが,冷却には特に関係しない).そして導電層(中)と(上)(下)の電位を全て揃えれば,誘電体にかかる電場が無くなり分極はランダムになる.
ここまでは良くある電気熱量効果の素子なのだか,今回のポイントはこの薄膜の左端を固定しつつ,熱源(下側)と放熱板(上側)にも電極を取り付けた点だ.ちょっと煩雑だが,以下のような構造となる.なお,実際にはこれらの膜は紙面左右方向に非常に長いことを覚えておいていただきたい.

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放熱板
----------------------
電極(銀薄膜)
----------------------
絶縁用ポリイミド膜
----------------------
(空隙)
----------------------
ナノチューブ導電層(上)
----------------------
誘電体
----------------------
ナノチューブ導電層(中)
----------------------
誘電体
----------------------
ナノチューブ導電層(下)
----------------------
(空隙)
----------------------
絶縁用ポリイミド膜
----------------------
電極(銀薄膜)
----------------------
熱源
----------------------

この状態で,例えば放熱板側の電極を正電位に,ナノチューブ導電層の電位を負にしたらどうなるだろうか?電気熱量素子は長くてフレキシブルなので,自由に形を変えることが出来ることを思い出していただきたい.すると,放熱板側の電極の正電位に引っ張られ,負電位の電気熱量素子は上側に張り付くこととなる.つまりこういう感じだ.

放熱板
------------
_/‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾
------------
熱源

逆に,放熱板側の電極電位をゼロに,熱源側の電極電位を正電位にし,電気熱量素子側の電位を負にすれば,今度は電気熱量素子は熱源に張り付くこととなる.

放熱板
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____________
------------
熱源

つまり,放熱板・熱源・電気熱量素子の電位を振るだけで,電気熱量素子自体がアクチュエータとして稼働し,自由に熱源と放熱板の間を行ったり来たりできるわけだ.あとはこれに電気熱量素子中央の導電層の電位変化を組み合わせれば,放熱板に張り付いた状態で誘電分極を揃えて放熱し,熱源側に移動させたあとに分極をランダムにし吸熱,これを繰り返すことで熱源からの廃熱を行うことができるというわけだ.

というわけで実験である.著者らが作成した素子は7 cm×3 cm×0.6 cm(厚み方向),最速で0.03秒で電気熱量素子の上下動が可能であり,その場合での素子の移動に要する電力はわずか0.02 Wであった.ただ,ここまで速く素子を移動させてしまうと,十分な吸熱や放熱が行えないため,実際には0.8 Hzぐらいでペタペタと移動させるのが一番高効率であったそうだ.
で,この高効率条件下では,2 mW/cm2ちょいの消費電力で,29.7 mW/cm2の熱源から放熱板への熱移動を達成している(熱源と放熱板との温度差1.4 Kでの値).これはCOP値(消費した熱量に対し,何倍の熱を捨てられたか)で言うと13にも達し,これまでの電気熱量素子の研究における値を2-3桁上回る.
実際の素子としての利用が可能である事を示すべく,Liイオン電池にこの素子を貼り付けての測定も行っている.この素子を貼り付けない場合,バッテリーの温度が52.5 ℃に達してから,空冷50秒で3 ℃しか温度は放熱できていないのに対し,この素子を貼り付けて稼働させた場合,最初の5秒で温度が8 ℃下がる急冷効果を実証できた(その後の放熱速度は,素子が無い場合とほぼ同程度).

というわけで,なかなかアイディア的には面白い研究であった.比較的耐久性の高い静電アクチュエーターとは言え駆動部分があるのはやや心配でもあり,これが本当に実用的なのかどうかはなんとも言えないが,なかなか面白い.

13396661 journal
日記

phasonの日記: 分子機械で細胞膜に穴を開ける 2

日記 by phason

"Molecular machines open cell membranes"
V. García-López et al., Nature, 548, 567-572 (2017).

光や熱,化学物質の添加といった外部刺激により分子に機械的な運動(例えばある部位の左右への移動だとか,特定部位の開閉,分子全体の伸縮等)をさせる「分子機械」は,近年ナノテクノロジーの先にあるものとして非常に盛んに研究されている分野であり,昨年度のノーベル化学賞の受賞対象ともなっている.
現状,我々人類の作っている分子機械はどちらかというと機械と言うよりは「特定の動作をするパーツ」にとどまっており,一般の人がイメージする「機械」にはまだ遠いのだが,これを進歩させていった先には非常に強力なツールが出来上がることは実証されており(*),今後の進展が期待される分野だ.

(*)世界にはいわば「究極の分子機械」とでも言うべきものが既に存在している.それが各種生体分子である.これらタンパク質でできた「機械」は,例えば「複数種類の特定の分子を掴む(分子認識)」→「それらの特定部位同士が近い位置に来るように変形(特定位置に配置)」→「外部燃料(ATP)の化学燃料を消費して,これらの分子を強く押さえつけることで分子を結合(圧着)」→「製造が終わった分子を排出(出荷)」といった複雑な工程を,毎秒数十だの数百だのといったとんでもない速度で実行している.

今回報告された論文は,そんな分子の一種である「分子モーター」を用い,光照射により細胞膜に穴を開けるドリルとして利用できた,というものになる.
分子モーターというのは,光や電気などの外部刺激により,一方向に回転する分子のことだ.ミクロなサイズでものを一方向に回転させようとすると,これがなかなか難しい(逆にも回りやすい).自然界では例えばATP合成酵素や鞭毛モーターといった非常に複雑で高度な構造により分子モーターを実現しているが,さすがに今の人類にそこまで複雑なものは作成できない.
意外に作成が難しかった分子モーターの分野で革新が起こったのが,1999年のことである.Feringaらは二重結合の光異性化,置換基間の立体障害による自由な回転の抑制,そして特定方向への回転時のみこの立体障害のポテンシャルが低い事を利用した熱アシストによる立体障害を越えての微回転,を組み合わせることで,熱+光照射で一方向にのみ回転する分子モーターを作り上げた.さらに,この最初の研究では途中のステップで60 ℃加熱が必要であったところを,五員環を導入して形を歪め立体障害を減らすことで,室温でも光照射のみで高速回転回転(1/100秒以下で回転)する分子モーターにまで発展させている.

※Feringaはこれら分子モーターの研究により昨年度のノーベル化学賞を受賞.現在でも,分子モーターを用いた研究では彼らの開発した分子骨格がよく使われている.

今回の論文で用いられている分子もFeringaの開発した分子をベースとしているが,違うのは下側の部分に長めの有機物をぶら下げている点だ.これにより,分子モーターが細胞膜などの脂質二重膜に良く取り込まれるようになり,膜にモーターを取り込まれると期待される.この状態でモーターを動かせば,細胞膜に何らかの影響を与えられるのではないだろうか?
まずは模擬実験として,人工的に作成した脂質二重膜の球(=模擬細胞.内部に作成した分子モーターと蛍光分子を含む)を用意し,ここに紫外光を照射して分子モーターを回転させた.すると,時間の経過と共に内部の蛍光分子(と,分子モーター)が外部へ流出していく様子が観測された.一方,分子モーターを含まない模擬細胞に紫外光を照射した場合にはこのような顕著な流出は観測されなかったことから,この流出が紫外光によるダメージに由来するものとは考えにくい.つまり,模擬細胞膜のあたりに存在する分子モーターが紫外光で回転し,それによって模擬細胞膜に穴が発生,そこを通して模擬細胞内液が流出した可能性が高い.要するに,「細胞膜に取り込まれやすい分子モーターを作って細胞膜中に取り込ませそこでモーターを回転させると,細胞膜に穴があく」ということが推測される.

というわけで実際の細胞で実験である.さまざまな置換基を付けた各種分子モーターを作成,それを3系統の細胞(マウス胎児皮膚に由来するNIH/3T3,人前立腺癌由来のPC-3,チャイニーズハムスターの卵巣由来のCHO.いずれも細胞を使う実験でよく使われる細胞株の一種)に入れ,紫外線照射時の影響などを見ている.
紫外線照射は正常な細胞も破壊してしまうので,長時間照射すると次第に細胞は壊死して死滅していくのだが,分子モーターを導入すると明らかにこの壊死の速度が加速することがわかった.例えばPC-3に紫外線を当てると,300秒あたりから死に始め600秒あたりで全滅するのだが,分子モーターを導入するとこれが半分程度の時間で壊死するようになる.これは単なる紫外線のダメージに加え,紫外線で誘起された分子モーターの回転が細胞膜を破壊,これにより死に至っていると考えられる.一方,分子モーターとよく似た形だが,回転するローター部だけ無い分子を同じように導入しても,細胞の死亡時間には全く影響が見られなかった.このことからも,回転が細胞死に大きな影響を与えていることが確認できる.
なお,分子モーターを導入しても,紫外線を当てなければ通常通り細胞は成長・増殖しているので,分子モーター自体の毒性が問題となっているわけではないと考えられる.

さらに別の実験として,分子モーターに置換基としてオリゴペプチド(短めのアミノ酸配列)を入れたものでも実験をしている.ペプチド鎖の種類によって,周囲のタンパク質等との相互作用が変わってくる.細胞は種類(種の違いや,どういった働きをしている細胞なのか)によって細胞膜中に存在する膜タンパク等の種類が変わってくるため,分子モーターに導入したオリゴペプチドの違いによって,特定種類の細胞膜には良く取り込まれたり,細胞内での存在箇所に差が出てくることが期待できるわけだ(※核などの細胞内小器官も膜で囲まれているため,それらの場所に集積すれば,その組織を壊すことが期待される).
その結果,あるペプチド鎖を導入した分子モーターでは,PC-3細胞に対しては壊死時間を半減させる一方,CHOやNIH/3T3に対しては特に影響を与えないという事が発見された.このことは,「特定種類の細胞(例えば体内の病原体であるとか,癌細胞であるとか,特定組織の細胞)をターゲットとした分子ドリル」の開発に期待を持たせる結果だ.うまくいけば,特定の細胞のみを破壊したり,特定の細胞のみに穴を開け薬剤が導入されやすくなる,などの実現に繋がるかも知れない.

今回の研究では分子モーターを使ったわけだが,「一方向への回転」は重要なのだろうか?著者らは比較実験として,モーターではなく,光で単にランダムに左右向きを変えるだけの分子での実験も行っている.Feringaらの分子モーターの基本骨格では「立体障害のポテンシャルを,熱で乗り越える」ところにポイントがあるわけだが,わざとこの障壁を高くして,室温では超えられないようにしたわけだ(Feringaの初期のモーター構造に戻ったとも言える).こうすると,光が当たってもほぼ半回転までしかいけず,それ以上回れないために次は元の向きに戻るしかない.
この「バタバタと向きを変えるだけの部位」を組み込んだ分子で同じ事をやると,紫外線による細胞死に対する分子の影響は確認できなかった.やはり「光により特定方向に勢いよく回り続ける」というモーター運動こそが,細胞膜を破壊する原動力のようである.

話はシンプルだが非常に興味深く,また今後の発展も期待できる面白い論文であった.

13364418 journal
日記

phasonの日記: スピントロニクス素子を利用した神経模倣型デバイスの音声認識への応用 4

日記 by phason

"Neuromorphic computing with nanoscale spintronic oscillators"
J. Torrejon et al., Nature, 547, 428-431 (2017).

フランスのCNRS,日本のAIST,アメリカのNISTによる共同研究.
生物は長年の進化の過程で非常に巧妙な構造(まあ,ときには場当たり的な進化による珍妙な構造もあるが……)をいくつも生み出しており,近年ではそれらを模倣して工業製品の性能を上げるバイオミメティクスが流行している.生物が産みだした構造の中でも,脳に代表される神経系は非常に優れた組織であり,比較的低エネルギーで複雑な処理をこなすことが可能である.
かつてあったような「単純な素子の小型化&高密度化で処理能力を上げていけば,人間のような能力は獲得できるに違いない」という脳天気な見通しが行き詰まるなか,「神経系を模倣した素子を作れば,(複雑すぎて細かなプロセスは追えなくなるかも知れないが)高度な能力を持つ素子ができるんではないか?」という,いわば第二の脳天気プランにより開発が進んでいるのがニューロンを模倣した素子だ.
神経細胞の素子としての特徴は,主に二つだと考えられている.一つは記憶であり,単純化して言えば「以前の入力が,次の出力に影響する」という履歴現象にある.もう一つはニューロン間の相互作用による非線形性&入力に対する出力の非線形性で,この神経系のもつ非線形性がカオス的な非常に複雑な振る舞いを導くことが知られている.

というわけで,「履歴現象&非線形性をもつ素子を使って神経系を模倣する」という研究は山ほど行われているのだが(例えば,最近ではmemristorを用いたものなど),「神経細胞一つ」に相当する「履歴現象と非線形性をもつ素子」の小型化が難しかったり,集積性に難があった.さらに,高度に集積しようとすると素子の動作が不安定になったりS/N比が悪くなったりと言うことも良く起こるため,「履歴性と非線形性を併せ持ちながらも,低ノイズで集積性も高い」という素子が求められている.

(*)例えば,複数個の素子(トランジスタ,ダイオード,キャパシタ等)を組み合わせればこういった素子はいくらでも作れるが,それだけ回路が複雑化し,集積度が下がってしまう.また,超伝導リングを用いた素子なども使われているが,やはり小型化は難しい.

今回の論文では,「スピントルク発振素子」をこのニューロンを模倣した素子として用いる事が可能である事を,音声認識に利用する事で実証した,という論文になる.
(とは言え,この実験が本当にニューロンの模倣と言うことなのか?という部分はなんとも微妙な感じではあるが)

著者らが用いたのは,「スピントルク発振素子」というものであるが,これはMRAMの研究から生まれてきた素子(というか,構造はMRAMのビットそのもの)である.
まずはこの素子がどんな構造なのかを説明しておこう.基本構造は,二つの強磁性金属の間に薄い非磁性の金属を挟んだものとなる.上側の強磁性体の磁化方向は外部磁場等により容易に回転するが,下側の強磁性体は非常に磁化の向きが変わりにくく,最初に設定した右向きの磁化のままである.この素子全体には外部磁場がかけられており,上側の強磁性体の磁化の向きを↑に揃えようとする力が働いている.

---------------------
強磁性体(磁化方向↑)
---------------------
非磁性金属
---------------------
強磁性体(磁化方向→)
---------------------

この素子に,下から上側に向けて電子を流すことを考えよう.下の強磁性金属内に入った伝導電子は,この材料のもつ磁化の影響により,電子のもつ磁化(※電子は一つ一つが微弱な磁力を持つ)が特定方向に強制的に揃えられる.ここでは,強磁性体と同じ方向に伝導電子の磁化が向く(=伝導電子と磁性を担う電子の間は強磁性相互作用)であるとしよう.この「磁力の向きがそろえられた電子による伝導」は非磁性金属を通過し,上の強磁性体内に突入する.すると「上向きの磁化をもつ強磁性体」に対し,電流により流れ込んだ電子のもつ「右向きの磁化」が流し込まれる.この結果,上側の強磁性体の磁化に対しちょっとだけ右に傾ける力(スピントルク)がかかることとなる.

上側の強磁性体 (↑)に伝導電子(→)が流れ込む

上側の強磁性体 (↗)

ところが,この素子全体に対し磁化を上に向けようとする磁場が印加されているので,この傾いた磁化は上向きに戻ろうとする.結果,何が起こるのかというと,上側の磁性体の磁化の歳差運動である.
つまり,斜めに傾いた磁化が,上下垂直方向を軸としてぐるぐると回り出す.
すると,以下の二つの状態が歳差運動の周期に合わせ振動することとなる.

---------------------
強磁性体(磁化方向↗)
---------------------
非磁性金属
---------------------
強磁性体(磁化方向→)
---------------------

↕これら二つの間で振動

---------------------
強磁性体(磁化方向↖)
---------------------
非磁性金属
---------------------
強磁性体(磁化方向→)
---------------------

このとき,上下の強磁性金属の磁化の向きが近ければ,つまり上側の状態であれば,電流が流れやすい(トンネル磁気抵抗効果的なもの).そして下の状態のときは,逆に電流が流れにくい.
このため,この素子に電流を流すと,電流の流れやすさが振動する事になる(同一電流を流し続けようとすると,電圧が振動する).振動の振幅は,上側の磁性体の磁化をどの程度傾けることができたか=どれだけ大量の電流が下側から流し込めたかに依存するのだが,その依存性は非線形であり,そこ結果素子自体が非線形の特徴を持つ.また,電流を流し始めてから定常状態に到達するまではいくらかのタイムラグがある(ある程度の電子が流れないと,定常状態に到達しない)ため,(短時間ではあるが)ある種の履歴現象を示す.
要するに著者らは,
・MRAMの基本素子が,電流の印加で発振する素子(スピントルク発振素子)として使える事を過去に発見
・この発振素子は,非線形性と履歴特性を持つ
・という事は,単一のMRAM素子が,ニューロン模倣の素子としてそのまま使えるのでは?
という流れで今回の研究を行ったわけだ.

この素子の最大の特徴は,構造が非常に単純であり,しかもMRAM用素子として研究されてきたことから通常の半導体素子への集積が容易である点である.今回著者らは直径375 nmの素子を用いているが,100 nm以下,うまくやれば10 nmオーダーぐらいまでは普通にいけるらしい.とすると,(将来的には)数億だの数十億だのといった擬ニューロンをワンチップに集積できると言うことを意味する.

というわけでこのMRAM素子を使ったニューロン模倣素子であるが,著者らは音声認識に応用して見せた.どうやったのかというと,音声認識処理の間にこの素子を挟むか挟まないかで,認識率に非常の大きな差が出る,という事をやって見せたわけだ.
実験はこうである.まず音声サンプルとしては,5人の人間がそれぞれ0~9までの数字を複数回読み上げたものをデータとして使う.(これを多分混ぜて,)「0~9までの数字の各1回の発声」というデータセットを10個作る.このうちのN個を学習用として使い,残りの10-N個のデータセットをどれだけ正しく解釈できたか,を見た.
でまあその情報処理法であるが,データの前処理としてフィルター処理やマスク処理を行い,その後

パターン1:得られた前処理済みデータをニューロン模倣素子に入力し,それが非線形振動子により変調された結果を得る.その変調されたものをプログラムに学習させる
パターン2:得られた前処理済みデータそのものをプログラムに学習させる

の2つを試したところ,ニューロン模倣素子による変調結果を学習させた方が,圧倒的に認識率が高かった,というわけだ.
詳しくはAISTのプレスリリースの図を見ていただきたい.

いやまあ,MRAM素子の非線形&履歴的発振特性をニューロン模倣素子に使える,というのはなかなか面白い発想ではあるのだが,実例としてやられている音声認識部分はどうかなあ…….
「今回の素子」というある種のフィルターを通すと音声認識にプラスである,というのは結果から言えるとは思うのだが,それをニューロン模倣の効果,とまで言うと拡大解釈のような……
私自身の理解としては,現段階では
・今回用いた素子は,人間の音声認識がしやすくなるようなフィルターとして使える
・今回の素子を多数集積することで,脳などの神経系を模倣した回路が作れる可能性がある
という点ぐらいまでしか言えないような.

13349697 journal
日記

phasonの日記: 環動高分子の利用によるLiイオン電池用Si負極の高寿命化 1

日記 by phason

"Highly elastic binders integrating polyrotaxanes for silicon microparticle anodes in lithium ion batteries"
S. Choi, T.-w. Kwon, A. Coskun and J. W. Choi, Science, 357, 279-283 (2017).

近年の携帯機器の普及と高機能化,今後の自動車等への搭載の増加を見据え,リチウムイオン電池に対する要求はどんどん高くなっている.特に容量の増大は喫緊の課題であり,その切り札の一つとして利用が始まっているのが単体のケイ素(Si)を利用した負極である.
Siが注目されているのは,その膨大な理論容量のためだ.これまで多く用いられてきた黒鉛系負極の理論容量は372 mAh/g(840 mAh/ml)であるのに対し,Siの理論容量は4200 mAh/g(9800 mAh/ml)と文字通り桁違いであり,これを用いる事で電池容量の飛躍的な増大が期待できるわけだ.
ただそんなSi系負極にも弱点がある.この理論容量が実現される際の反応式は Si + 4.4Li → Li4.4Si なのだが,見てわかるとおりSiは自身の原子数の4倍以上ものLi原子を合金として抱え込むこととなる.このため充放電を行うとSi負極の体積は数倍に膨張・収縮を繰り返し,力学的な歪みによる変形や破断を引き起こすことで容量が急速に減少しやすい.
従って,どのようにしてこの変形に由来する電極の劣化を抑えるのか?はSiをLiイオン電池電極として利用する際の重要な研究課題となっている.
これまでに様々な研究が行われており,例えばナノ構造化することで歪みによる破断を減らす(ナノサイズだと,場所による膨張度合いの差が少なく歪みを生じにくい.また,材料も比較的柔軟になる)であるとか,Siナノ粒子を少し大きく丈夫なカプセルで包み込む(膨張-収縮が殻の中で行われるため,崩落しない)などが効果的であると報告されているが,いずれも高コストで量産に向かなかったり,余分な構造のせいで体積密度が下がりSiの大容量性を損なってしまうという欠点がある.
そんななか,今回の著者らが報告したのは電極材料の活物質ではなく,それを繋いで固めるために使われているバインダーを工夫することでSi負極の寿命を大きく改善できる,という論文だ.

もともとLiイオン電池では,充放電速度を上げるために活物質をマイクロメートルオーダーの微細な粒子とし,表面積を増やしている.そのままでは堅固な電極を構築できないため,これら微小粒子を柔軟で粘りのある高分子材料であるバインダー(および,粒子間での伝導を維持するための導電性フィラー)と混合し,全体を一つの電極として固めている.著者らは,Si負極の劣化は,Siマイクロ粒子の膨張-収縮過程でこのバインダーの高分子鎖が引きちぎられる事で粒子がバラバラに剥がれ落ちることが一つの原因なのではないか,と考え,「伸ばしてもなかなか切れない高分子鎖」を用いる事を思いついた.その,「引っ張ってもなかなか切れない高分子鎖」であるが,用いられたのは最近流行の「環動高分子」である.
環動高分子とはどんなものであろうか.通常の高分子は,長い炭素鎖同士が架橋によって化学的に結合することで互いを結びつけ,材料を形作っている.この場合,架橋点は化学結合により固定されているので,一方の高分子鎖だけを自由に動かすことは不可能である.
これに対し環動高分子がどんなものかというと,例えば両末端にリングがくっついている紐を思い浮かべてもらいたい.互いの高分子鎖部分(紐の部分)が他の高分子鎖末端のリング内を通り抜けている構造が実現できれば,「互いはどこも化学的には結合していないのに,決して離れることができない」という高分子構造が実現できる.このような構造だと,紐を通した五円玉が自由に移動できるのと同じように,高分子の巨大なネットワークを維持したまま,リングの位置を自由に変えることが可能となる.このようなポリマーは,「環」が自由に「動く」事の出来る高分子なので,環動高分子と呼ばれる(広義には,「トポロジカルな構造によりできている高分子(超分子)」という事でトポロジカル高分子(超分子)と呼ばれることもある).
とまあ,文字だけで説明してもわかりにくいので,環動高分子を(多分)最初に生み出した東大の伊藤先生らのグループの説明をご覧いただきたい.環動高分子の最大の特徴は,内部的に自由に移動することにより,負荷を効率的に分散できる点にある.通常の高分子を引っ張った場合,高分子鎖の一番短いネットワークに荷重がかかり破断,次に短い部分に負荷がかかり破断,という事を繰り返し,理想的な強度(全ての高分子で負荷が分散された場合)よりかなり弱い力で切れてしまう.また,ネットワークが化学結合により固定されているため,引っ張った際の伸びも小さい.これに対し環動高分子の場合,リングで繋がっている部分が自由に移動することにより,高分子のネットワーク構造が外力に応じて動的に変形,材料全体で負荷を分散すると共に,引っ張りに対し非常に長く伸びることが可能となる.
要するに,環動高分子を使うことで
・これまで以上に破断しにくく
・より大きな伸びを示す材料
を作れるわけで,今回の論文の著者らはこれをSi負極のバインダーに利用しようと考えたわけだ.環動高分子なら,Si負極が充放電の間に非常に大きく伸び縮みしてもそれに追随できるだけの伸びが実現でき,それによりSiマイクロ粒子を保持し続け,電極形状が保てる,という狙いになる.

では実験結果を見ていこう.
著者らがバインダーとして用いたのは,通常のポリアクリル酸に,ほんのわずか(5wt%)な環動高分子部分を混ぜ込んだものとなる.まずは通常の環動高分子同様ポリロタキサン(ポリエチレングリコールの長鎖に,環状分子であるシクロデキストリンが多数はまった構造.紐に多数の五円玉を通したような構造である)を用意し,そのシクロデキストリン部分を通常のバインダーとして用いられるポリアクリル酸に化学的に結合する.これにより「多数のポリアクリル酸鎖の所々がシクロデキストリンのリングに繋がり,そのリングがエチレングリコールの紐にはまっている」という環動高分子構造が実現できる.Siマイクロ粒子(粒径数 μm)と作成したバインダー剤,そして導電性フィラーを8:1:1で混合し電極を作成,これを金属Liと組み合わせることで半電池を形成し,充放電特性を調べた(*).

(*)反対側の電極の特性による影響を受けないように,作成した電極と金属Liとをペアにしてその状態での電池特性を測ることが良く行われる.

まず電池容量であるが,初期容量で2971 mAh/gと,かなり高い値を示した.これは環動高分子を用いずポリアクリル酸のみをバインダーとした際の2579 mA/gよりも高い値であった.0.2Cの電流(=約5時間で容量いっぱいになるのに相当する電流)で繰り返し充放電を行った際には,単なるポリアクリル酸バインダーではたった50回の充放電で初期容量の48%にまで電池容量が低下したのに対し,環動高分子を組み込んだものでは150回の充放電後においても初期容量の91%の容量が維持されていた.0.4Cに電流値を上げ(通常,充放電電流値を上げると容量の低下と劣化が促進される)測定を行った結果でも,370回の充放電後でも初期容量の85%が維持されていた(なお,対極として使っている金属Liが劣化してきたため,途中で一回Liを入れ替えている).
劣化しにくい理由を調べるため,充放電後の電極を取りだし電顕での形状観察も行っている.その結果,ポリアクリル酸のみをバインダーとした際には非常に微細な粒子が多数存在し,それらが分解してできたSEI層(電解液や電極,添加剤等が分解してできた電極表面の不活性層.適度な厚みのSEI層が形成されると電極の劣化が抑制されるが,無駄な分解が進む場合には非常に分厚いSEI層ができる.SEI層に関してはその形成過程や役割の詳細などでわかっていない事も多く,重要な研究対象でもある)が非常に分厚く成長していた.つまり,Siマイクロ粒子がぼろぼろに崩壊し,それが電気化学的に反応して分厚いSEI層となっていたわけだ.これに対し環動高分子を混ぜ込んだ場合には比較的Siの粒子は大きく保たれ,SEI層もそれほど分厚くは成長していなかった.

環動高分子を入れることでSiの膨張-収縮にバインダーを追随させよう,というのは面白い発想だ.Siナノ構造やコアシェル構造などを作るのに比べるとコスト的にもかなり安くできそうなので,比較的早期に利用されるかも知れない.

13311722 journal
日記

phasonの日記: 薄膜(=擬2次元系)における強磁性

日記 by phason

"Layer-dependent ferromagnetism in a van der Waals crystal down to the monolayer limit"
B. Huang et al., Nature, 546, 270-273 (2017).

および

"Discovery of intrinsic ferromagnetism in two-dimensional van der Waals crystals"
C. Gong et al., Nature, 546, 265-269 (2017).

本日は2つの論文.どちらも擬2次元系での強磁性を扱っているが,片方は異方性のある2次元系単層薄膜で強磁性が出たというもの,もう一つは擬二次元薄膜に磁場により異方性を入れてやると強磁性になり,磁場を切ると異方性が弱すぎて強磁性が出ないというものである.

磁性体はスピン(*)をもつ構成要素(原子や分子)が無数に集まったものであるが,物質の次元性により磁性は大きな影響を受けることが知られている.

(*)電子等のもつ自転に似た性質.これにより,電子一つ一つが弱い磁石のような性質を持つ.

我々の住んでいる世界は大まかには3次元であるが,物質の厚みを減らしていった極限である単層薄膜,例えばグラフェンなどは擬似的な2次元系(擬2次元系)と見なすことができる.こういった低次元系では,磁気的なドメインを崩すために必要なエネルギーなどが低下するという特徴がある.例えば3次元に並んだスピン(=小さな磁石)をもつ物質で,全部のスピンが同じ方向を向いている場合,つまり強磁性体の場合を考えよう.強磁性体であるのだから,隣接するスピン間には同じ方向を向けようとする相互作用が働いている場合に相当する.
この強磁性状態の中に,半径rの欠陥としてスピンが逆向きを向いた領域が存在すると,その界面ではスピンの向きが↑↓と反転しているため,「スピンを同じ方向に向けようとする相互作用」に逆らうこととなり,エネルギーが高くなる.どのぐらいエネルギーが高くなるかは界面の面積に比例するので,大まかにr2に比例する.従って,このような逆を向いたドメイン(=秩序を崩すドメイン)が大きくなると,エネルギーの損は急激に増大する.
一方,これが二次元の強磁性だったと仮定しよう.同じように逆を向く領域が混じっていると,その界面は領域の外周に相当するので,高くなるエネルギーはr1に比例する.そのため,このような秩序を崩すドメインは,3次元よりも大きくなりやすい.
擬1次元の系ではもっと極端である.強磁性体である
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の一部が反転した状態は
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であるが,エネルギー的に損をする箇所は領域のサイズによらず2箇所のみであり,しかもこの欠陥が動いてもエネルギーの損は変わらない.境界が動き回るとエントロピー的に得をする一方で,エネルギーの損は非常に小さいため,1次元系ではこのような欠陥が次々に生まれやすい.
こういった効果により,低次元物質では磁気的な秩序状態(*)が起こりにくくなることが知られており,例えば1次元系では絶対零度まで強磁性状態が発生しないこと,2次元では異方性が無ければ強磁性が発生しないこと(ただし,異方性が無い場合には渦状のスピン配置が実現するKosterlitz-Thouless転移が起こる)が知られている.

(*)磁気秩序に限らず,低次元系では揺らぎの効果が強くなり,各種の相転移が起こりにくくなる.もっとも,逆に低次元系でのみ起こるPeierls転移のようなものもあるが.

このように秩序化しにくい低次元磁性体であるが,分子などスピンの向きやすい方向に異方性のある系では,2次元系であっても強磁性転移が起こり得ることが理論的に示されている.しかしながら,それが現実の単層物質で示されたことは無い.
今回報告されたのは,そのような擬2次元系の単分子層の厚みを持つ薄膜において強磁性状態が確認された,というものになる.

まずは1本目の論文を見ていこう.Huangらは,CrI3という層状化合物を劈開し,その磁性を磁気光学カー効果(磁気カー効果とも呼ばれる)を用いて観測した.磁気光学カー効果というのは,強磁性体などの磁場を発生している物質に直線偏光を入射すると,反射光の偏光面が回転したり楕円偏光になったりする,というものだ.これを利用する事で,偏光面の回転からその物質中での磁場を見てやることができる.光学的な測定,特に偏光面の回転のような現象は検出が容易なため,薄膜のような微弱な磁化しか持たない物質の磁化を調べる際にもよく利用される手法である.
この物質は大気中では不安定なので,不活性ガスを充填したグルーブボックス中で作成・劈開し,そいつをそのまま測定に持って行っている.
測定結果であるが,試料は45 K以下で強磁性に由来する磁気光学カー効果を示し,単層物質ながらこの温度で強磁性へと転移していることが明らかとなった.外部磁場を変化させていった際にもきれいにヒステリシスループが見えており,強磁性の発現は間違いないであろう.
なおこの転移温度はバルクの転移温度である61 Kよりわずかに低いだけであるが,これはもともとこの物質において層間の相互作用が弱く,単層になっても影響が小さいためだと考えられる.
また面白い現象として,2層のときだけ強磁性がサプレスされ,反強磁性となっていることが発見された.単層および3層のサンプルではきれいな強磁性(に由来する磁気光学カー効果)が見えるのだが,2層の場合にはそれが見られなかったのだ.ただし少し強めに磁場をかけると(およそ±0.65 T以上),単層より強く,3層よりは弱い程度の磁気光学カー効果が見られた.これは2層の場合のみ層間の相互作用が反強磁性となっており,スピン配置が
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
と,2層の間で打ち消し合っていると考えれば辻褄があう.ただし,なぜ層間の相互作用が2層の場合のみ反強磁性的となるかについては謎に包まれている(※なお,3層やバルクでは,全ての層間が強磁性的に結び付き全スピンが同じ方向を向く).

続いては2本目の論文である.
こちらの論文で用いられている物質は同じく層状化合物のCr2Ge2Te6だ.ただしこちらは異方性が低く,層数が少ない状況では外場が無い状態では強磁性は示さない.
この物質の層数を減らしていくと,外場として0.075 Tの弱い磁場をかけた状態での磁気転移温度が70 K弱(バルク)→ 50 K強(5層)→ 45 K強(4層)→ 40 K強(3層)→ 30 K(2層)と低下していく.単層だと不安定で迅速に分解するらしく測定できてはいないが,スピン波近似を用いたフィッティングからは20 K前後が予想されている.
以上の結果は弱いとは言え外場ありでの条件だった.では外場ゼロではどうなのかというと,3層および2層のサンプルではゼロ磁場での残留磁化は測定温度の最低点である4.7 Kまで見られず,著者らは転移温度は低次元揺らぎの効果によりもっと低温に下がっているのではないかと考えているようだ.
※ただし,「非常に保磁力の低い強磁性体」(軟磁性体)という可能性もあるとは思う.

この系の面白いところは,非常に弱い磁場で強磁性をスイッチングできる点にある.2層や3層といった薄い系では,磁場をかけなければ強磁性が表れないため,磁気光学カー効果も表れない.そして弱い磁場を印加するだけで強磁性が表れ,急激に大きな磁気光学カー効果を示すようになるわけだ.これは,低次元由来の揺らぎを利用してやることで,弱い外場で大きなスイッチングを実現できることを意味している.つまり,容易にスイッチング可能な磁気光学素子を作れることとなる(現時点では低温限定だが).

というわけで,同じ号に掲載されていた低次元強磁性体二題を紹介してみた.
低次元の揺らぎやそれの絡む磁性というのはなかなか面白いものなので,このあたりの研究成果がどんどん出てくると良いなあと思う今日この頃.

13301279 journal
日記

phasonの日記: 電位により3相を切り替えられる機能性酸化物

日記 by phason

"Electric-field control of tri-state phase transformation with a selective dual-ion switch"
N. Lu et al., Nature, 546, 124-128 (2017).

イオンを含む溶液中で電極の電位を振ると,その表面に逆側の電荷をもつイオンが吸着し電気二重層と呼ばれるナノサイズの分極層が形成される.この電気二重層,非常に近い距離で電荷が分離しているため,局所的に非常に強い電位勾配を生じる事になる.このため,材料の表面に通常ではかけられないほどの非常に強烈な電場を印加したのと同じ状況が得られることとなり,これを利用する事で通常のFETを遥かに超えるような強烈な電荷注入などが行える.こういった電気二重層トランジスタは絶縁体への強制的な電荷ドーピングによる超伝導化など,物性物理の分野において近年活用が進んでいる分野である.
今回報告された論文は,この電気二重層による強烈な電場を利用する事で,SrCoO2.5に水が分解して生じるO2-を押し込んでSrCoO3-δ(δ<0.1程度)にしたり,電位を逆に振ってH+を押し込んでHSrCoO2.5にしたりと言った変化を可逆的に起こし,色や電気的・磁気的特性を3つの相の間で可逆的に変化させることに成功した,というものである.

今回の論文の結果は偶発的な発見のような感じではあるが,2種類の元素を電気的に入れたり出したりすることで相変化を引き起こした初の例となる.
母物質はレーザー蒸着により作成されたSrCoO2.5の薄膜である.この物質は2.12 eV程度のバンドギャップ(これは580 nm程度の波長の光のもつエネルギーに等しい)をもつ絶縁体であり,それを反映して600 nmより短い波長の光を強く吸収する.大雑把に言って,赤外あたりの透過率は60%を超え(長波長ほど透過率は高い),赤あたりから急速に透過率が下がり,紫あたりで透過率は20%ほどとなる.これを反映し,母物質の色はかなり黒っぽい赤で,向こうが多少は透けて見える,といった色合いとなる.

この物質をイオン液体に沈め,ゲート電位を+3.5 Vに上げる(逆に,材料の電位は下がる).すると負側となった母物質には陽イオンが引き寄せられ,電気二重層の電場によって非常に強く母物質中にイオンが押し込まれることとなる.今回の物質では,溶液に含まれる水分子から生じたH+が母物質に取り込まれ,結果としてHSrCoO2.5という,これまで知られていなかった新しい組成の物質が生じることとなった.この変化にかかる時間はおよそ30分前後である.
なお,この変化はX線による格子定数の変化や,軟X線を用いた分光(*)によるCoやOの価数・結合状態の見積もり,電顕による格子像の確認,SIMS(二次イオン質量分析法)によるHの検出,理論計算による構造予測などにより分析されており,各手法での結果は推定されている構造変化と矛盾しない(また,他のいくつかのモデルは実験結果より排除されている).

(*)例えば結合に関与しない内殻電子を叩き出す(または叩き上げる)際の吸収は元素ごとにほぼ固有の値となるのだが,原子の価数により微妙に原子核と電子との引力が変化するため,ごくわずかに変動する.このズレを見ることで,原子の価数が推定できる.また,ある程度最外殻(=結合に絡んでいる部分)に近い電子を見てやることで,結合に関係した情報も引き出すことができる.

このHSrCoO2.5はバンドギャップが母物質よりもやや大きめの2.84 eVとなるが,これは光で言うと430 nm前後の紫あたりの光に対応する.このため光の吸収率は可視光領域全体で40~50%程度にとどまり,色も薄いグレー程度である.つまり,イオン液体を利用したドーピングにより,母物質の色を非常に濃い暗赤色から薄いグレーへと変換することができているわけだ.
これと同時に,磁性も大きく変化している.母物質はおよそ537 Kで転移する反強磁性体なのだが,それがHSrCoO2.5では常温では常磁性,125 Kあたりで弱強磁性に転移する磁性体へと大きく変化を見せている.

今度はゲート電位を逆に振ってみよう.HSrCoO2.5となった材料に対し,ゲート電位を-2.3 V(材料側は逆に正電位となる)として電圧を印加したところ,材料からH+が抜け,1時間前後で元のSrCoO2.5に戻すことができた.さらにゲート電位を大きく負側に振って(=材料の電位を大きく正側に振って)-2.7 Vにすると,今度は水が分解して生じたO2-が材料に押し込まれ,SrCoO3-δへと変換された.
この物質は金属である事が知られており,実際に今回の実験で得られた薄膜も金属伝導を示すことが確認されている.これに伴い光吸収は一気に増大し,可視光(から赤外)全域で80%程度の光を吸収する黒色のフィルムへと変貌する.さらに磁性も変化し,室温では常磁性,250 K弱で強磁性へと転移するようになる.

これら3つの相の間での変化は可逆的であり,何度も行き来でき,光学的・磁気的・磁気光学的・電気的特性を3つの相の間で可逆的に変化させられる非常に興味深い物質となっている.
まあもちろんこの物質がそのまま何かに使えるわけではないが,例えばこういった複数相への転移が自由に行える物質の開発が今後進んで,複数の状態で遷移して光吸収や色,はたまた太陽電池としての性質など様々な特性を電圧一発で変換できるスマートウィンドウなどへと展開できるとなかなかに面白いものが開発できそうだ.

13264297 journal
日記

phasonの日記: グラフェン膜を通したエピタキシャル成長 1

日記 by phason

"Remote epitaxy through graphene enables two-dimensional material-based layer transfer"
Y. Kim et al., Nature, 544, 340-343 (2017).

エピタキシャル成長と呼ばれる現象(製法)は,半導体素子を初めとした分野でよく用いられる手法である.エピタキシャル成長においては,巨大な単結晶からある特定の結晶面で切り出したウェハーを基盤とし,ガスなどで原料を供給しながらその基盤上で結晶薄膜を成長させる.上に載せられる物質の結晶格子のサイズが基盤の結晶格子のサイズと整合していると,基盤の結晶を足がかりにその上にきれいに結晶が成長するため,非常に質の良い,配向が揃って結晶粒界などもほとんど無いような単結晶薄膜を成長させることができる.
例えばSiの単結晶上でSiの薄膜を成長させる,という事を考えてみよう.基盤となるSiは,非常に巨大なインゴットから切り出された単結晶であるためウェハー全域にわたってひと繋がりの結晶ではあるが,るつぼで溶融して作成する際に微小な欠陥ができやすい.その上にSiをエピタキシャル成長させると,「時々欠陥はあるが全体としては単結晶」なSi基盤上に,「非常に均一で欠陥も少ない単結晶薄膜」のSiを成長させられるので,特性が向上するのだ.
他にも,エピタキシャル成長中にわざとドーパントを混ぜていくことで,「非常に均一で結晶性が高く,しかも深いところまで均一にドープされた薄膜」なども作る事が出来る.

そんな優れた薄膜成長法であるエピタキシャル成長であるが,基盤上に成長させた単結晶薄膜を剥がすことはできない.というのも薄膜の最下層は当然ながら基盤と結合しており,それを引き剥がすことは薄膜(や基盤)の破損や欠陥の発生を伴うためだ.もしエピタキシャル成長させた単結晶薄膜をきれいに剥がすことができれば,ベースとなる基盤は一度だけ作っておき,後は必要に応じてその上で薄膜を成長→剥離,を繰り返すだけできれいな半導体素子がいくらでも量産できることになる.そのような手法は出来ないものだろうか?

そのヒントとなる研究が,数年前に報告されている.それは単層のグラファイトであるグラフェンの親水性を調べている時に判明したことなのだが,親水性基盤の上にグラフェンを貼ってもその表面は親水性を維持し,一方で疎水性の基盤の上にグラフェンを貼るとその表面は疎水性になる,というものだ.つまり親水性や疎水性といった基盤の性質が,グラフェン(これは本質的には疎水的であると考えられる)を透過しているように見える,という発見だ.
なぜこんなことが起こるのだろうか?実はこれ,グラフェンがあまりにも薄すぎるために,グラフェンの下にある基盤とその上との間を十分に遮蔽できず,グラフェン膜上下での静電的な相互作用が(弱まりはすれども)通り抜けてしまう,という事に由来する.
今回の著者らはこの発見に刺激され,「グラフェン膜を挟んでもエピタキシャル成長ができる」事を発見,グラフェン膜とその上に成長したエピタキシャル膜との間に結合がない事から,作った薄膜を自由に剥がして転写できることを報告している.

原理を簡単におさらいしておこう.
まず著者らは,GaAsの基盤上に単層グラフェンを貼り,その上でGaAsのエピタキシャル膜を成長させている.一枚のグラフェンが間に入っても,下層の基盤のGaAsの作るポテンシャルはグラフェンを透過し上にまで影響を与え,グラフェンの上で成長するGaAsに対しその配向を制限する効果を発揮する.
実際に著者らがこのような手段で作成したサンプルを分析すると,視野いっぱいのミリメートルのオーダーにわたってきれいなエピタキシャル膜が成長しており,全体が一つの単結晶となっていることが確認された.一方,間に挟むグラフェンを2層や4層といったもっと厚いものにしてしまうと,基盤との相互作用がより強く遮蔽される結果,上に成長するGaAs膜は無配向の無数の結晶が融合した多結晶薄膜となった.
しかも予想通りに,グラフェンの上にエピタキシャル成長した単結晶薄膜と,その下のグラフェンとは結合を作っていないので,成長させたエピタキシャル膜を簡単に剥がしてやることにも成功している.
またこの効果がGaAsに特有ではない事を示すために,著者らはInP/グラフェン/InPやGaP/グラフェン/GaPなどの別の半導体でも同様のことを試しているが,それらでも同様に非常にきれいな単結晶薄膜が成長している.
さらに,わかりやすいデモンストレーションの意味も込め,グラフェンを貼ったGaAs基盤上にGaAsをエピタキシャル成長させ,さらにその上にAlGaInP→InGaP→AlGaInPと成長させたLEDを作成,その発光特性を調べている.本手法で作成したサンプルは,通常のエピタキシャル成長によるデバイスとほとんど変わらない発光(強度や半値幅,発光波長等)を示し,通常のエピタキシャル膜と遜色のない膜が得られることを示している.

本手法は,これまでいわば「使い捨ての型」であった基盤を,「量産の効く金型」に変えるようなものであり,結構面白いんじゃないかなあと感じる.まあ,半導体素子分野は専門外なんで,これがどの程度インパクトのある事なのかはよくわからないが.

13253807 journal
日記

phasonの日記: 3Dプリンタを用いた微細構造も可能なガラス製品の作成

日記 by phason

"Three-dimensional printing of transparent fused silica glass"
F. Kotz et al., Nature, 544, 337-339 (2017).

ガラスは非常に優れた素材である.800 ℃以上の温度に耐える耐熱性,高い硬度と力学的強度(ただし割れやすいが),そして可視光領域での高い透明性.こういった優れた特性ゆえ,さまざまな光学材料や化学用品がガラスで作られているのはご存じの通りである.その一方で,高い強度と割れやすさ,そして高い融点ゆえに,ガラスの微細加工は手間がかかることも事実である.微細な研磨や化学的なエッチングなどを用いなければならず,微細加工されたガラス製品を作成するのはなかなかに骨が折れる.
さて,そんな微細加工されたものを比較的安価に製造できるのではないかと近年期待されているのが,3Dプリンタだ.そのためガラス製品を3Dプリンタで作成しようという試みも色々と行われているのだが,例えば多くの3Dプリンタで用いられているフィラメント式でガラス製品を作ろうとした場合,ガラスフィラメントをレーザーなり何なりで1000 ℃以上に加熱しながら積層しなくてはならず,現在までのところそこそこサイズが大きくてしかも表面がかなり荒いものしか作成に成功していない.また,ガラス微粉末のようなものを積層しつつ,レーザーなどで局所的に加熱溶融するという手法もあるのだが,こちらは無数の欠陥やクラックが入るため白濁した不透明なものしか得られていない.こういった欠陥をその場で化学的に削りながらいい感じに成長させる手法では,フッ酸などのやや危険な試薬類を使わなくてはならないためあまりお手軽ではない.
今回報告されたのは,ガラスそのものではなく,シリカのナノ粒子をポリマーの原料と共に溶液に分散させ,それを通常の光造形法により積層化,最後に熱処理することで微細なガラス製品を簡便に作成する事に成功した,というものになる.

今回用いられている造形法は,一般的なステレオリソグラフィー法となる.ステレオリソグラフィー法ではまず,溶液中にポリマー原料となるモノマーを溶かしておき,下面が透明な容器にこの溶液をれる.そこに3Dプリンタのヘッド(というか逆向きのステージというか)を浸し,底面との間にわずかな隙間ができるようにする.ここに下面の下からレーザーを照射すると,光化学反応により生じたラジカルが引き金となり,レーザーを照射した部分のモノマーが重合しその部分だけが固化する.レーザーで一層分の形状を固化させたら,ヘッドをほんの少し上に引き上げ,次のレイヤーをまたレーザーで描画する.これを繰り返しながらヘッドを上に引き上げていくと,縦に長い任意の形状の3次元オブジェクトを作成できる,というものだ.早送りで動画を見ると,液体から立体物が引き抜かれていくようななんとも不思議な光景である.
もちろんステレオリソグラフィーで直接ガラスを作成する事は出来ないのだが,著者らは原料としてアモルファスシリカの微粉末(直径約40 nm)を含む溶液を用いている.溶液はフェノキシエタノール30%,メタクリル酸ヒドロキシエチル(要するにポリマーの原料となるモノマー)60%,テトラエチレングリコールジアクリレート10%(光硬化性.光で重合をはじめる)の混合物で,ここに体積分率で37.5%とかなりの量のシリカナノ粒子が混合されている.ここでポイントとなるのが,溶液の方をかなり濃厚にしてある点だ.これにより溶液の密度が高くなり,シリカナノ粒子との間での屈折率の差が少なくなる.これにより,レーザーで固化させる際の溶液による光の散乱が大幅に減少し,精密な形状を作る事が可能となる.
この溶液を用いてステレオリソグラフィーを行うと,溶液中のモノマーが重合して固体のポリマーとなりながら,周囲に無数に漂っているシリカナノ粒子を取り込んでいく.結果として,光造形されたものは多量のシリカナノ粒子を含むポリマーとなる.
これを600 ℃まで加熱して焼き出すとポリマー部分が燃焼して消えてなくなり,「3Dプリンタで作ったとおりの形状に固められたシリカ微粉末」となる.一度温度を室温まで下げた後,今度はこれを1300 ℃あたりまで上げて数分間加熱,シリカの微粉末の表面が溶融・融合してアモルファスのガラスへと変換される.
結果として,3Dプリンタで作成した形状そのまま(といっても,ポリマーが飛ぶことでややシュリンクするが)のガラス製の立体物が生成することとなる.

実際に作成されたものが例えばFigure 1Figre 3にあるが,プリントされた微細な形状を保ったまま(例えばFigure 3の「門」などは,横幅わずか1.7 mm程度である),透明なガラスへと変換されていることがわかる.また,積層の際の層状の段差はできてしまうものの,単一積層面内での荒さは非常に低く,Figure 4で見られるようにそのラフネスは数 nm程度しかない.また透明性も非常に高く,通常の溶融ガラスと同程度の透過率90 %となっている.
色ガラスを作る事も可能である.3Dプリントを行う溶液中に各種の金属イオンを溶かし込んでおくと,それらを取り込んだ色つきのガラスを作成する事が出来る.
なお,ガラス部分は最後の熱処理により十分溶融・結合しているので,内部にクラックなどはなく,多孔質でもない通常のガラスとなっている.

本手法を用いると,Figre 3bにあるようなマイクロ流路チップなどの作成も容易になり,必要に応じてその場で作成,それを使って微量反応・分析などを行うことが可能になる.結構面白い気がする.

13197890 journal
日記

phasonの日記: ウィルス同士もある種のコミュニケーションを行っている

日記 by phason

"Communication between viruses guides lysis-lysogeny decisions"
Z. Erez et al., Nature, 541, 488-493 (2017).

見落としていたものをNature Digest経由で.

生物は,さまざまな方法を用いて他の仲間達と通信を行っている.これは何も動物に限った事ではなく,植物だってそうだし,場合によっては細菌同士ですら各種のコミュニケーションをとる.例えばあまりに細菌の密度が高くなっていることを互いの出す分子の密度により細菌が認識すると,分裂を控えたりするわけだ(そうしないと,局所的に餌を食い尽くして全滅したりする可能性がある).
今回の論文で報告されたのは,こういったコミュニケーションを半生物・半物質であるようなウィルスも行っていた,という発見である.

論文中で著者らは「枯草菌がウィルス(テンペレートファージ)に感染した際に,互いに通信し合って免疫を活性化しているのではないか?」という事を証明しようとして実験を行い,全く違う事実を発見た,と明かしている.
そもそもの発端は,枯草菌がテンペレートファージに感染した際に起こる現象にある.感染により枯草菌は数を激減させるわけだが,ある程度時間が経つと再び数が増加していく,という挙動が見られる.これはテンペレートファージが免疫によって駆除されたわけではなく,枯草菌の内部でテンペレートファージが溶原化することによって起こっている.
ここで溶原化についてちょっと説明しておこう.テンペレートファージは宿主に感染すると,持っている遺伝子を宿主のDNAに挿入して組み込む(*).通常時はこの組み込まれた部分が続々と読み出されタンパク質等へと翻訳,ファージのコピーが無数に作られ,最終的に宿主は破裂して死亡する.ところが時としてこの翻訳が行われず,宿主のDNAに組み込まれた状態のまま(宿主の)子孫へと受け継がれていく事がある.このように,ウィルスがその姿を単なる遺伝情報へと変換してしまい,まるで休眠しているかのような状態になる事を「溶原化」と呼ぶ.なお,溶原化しているウィルスも,何かの切っ掛けにより再び読み出され翻訳されはじめるため,無害化したわけではない.

(*)プラスミドという独立した形で紛れ込ませる事もあるが,今回はそれは置いておく.

枯草菌にテンペレートファージが感染すると,最初はどんどん破裂して死滅しながら新たなファージを多量にばらまいていく.ところがある程度経つと,溶原化して休眠状態に入るファージの率が上がり,その結果として生き延びる枯草菌が増えるわけだ.今回の著者らはそれを「枯草菌が感染を感知し,それを他の枯草菌に何らかの分子を使って知らせることで免疫系を活性化(**),それによりファージを溶原化して封じ込め,生き延びているのでは?」と仮説を立てたというわけだ.

(**)免疫系を活性化したぐらいでなんとかなるのなら常日頃からそうしておけと思うかも知れないが,無駄な機能を活性化するとそれだけエネルギーを無駄遣いすることに繋がるため,通常時においては生存に不利である.このため多くの生物では,緊急時に対処するためのシステムは緊急時にしか駆動されないようになっている.

そこでまず実験である.
枯草菌にファージの一種であるphi3Tを感染させ,しばらく培養する.適度に枯草菌が死んで数を減らした頃の溶液を取りだし,分子量が3000以上程度の大きな分子を濾過で除き,「危険を知らせる分子が入ってそうな溶液(以下,「抽出液」と呼ぶ)」を作り出す.菌同士の通信は通常分子量の小さい短いペプチド(数個のアミノ酸が繋がったようなもの)が用いられるため,そういったシグナル分子がいるなら抽出液中に残っている可能性が高い.
続いてこの抽出液に,新たな枯草菌とファージ(phi3T)をぶち込み,再度培養する.
するとどうだろう.単なる培養液であるとか,ファージに感染していなかった枯草菌がいた溶液を濾過したもので同じ事をやった場合に比べ,抽出液中で育てた枯草菌はファージにやられて死ぬ事が顕著に減少していたのだ.生き延びた枯草菌を取り出してそのDNAを調べると,phi3Tに感染してその遺伝子が組み込まれていることがわかった.つまり,感染しなかったのではなく,感染しても溶原化の状態で止まっているphi3Tが多かった事を意味している.
この結果に著者らは,「ほら見たことか.やはり枯草菌は互いに情報をやり取りしており,ファージに感染した枯草菌からは他の枯草菌に対し防御を固めさせるためのシグナルが出ていることが確認できた」と思ったことだろう.
……少なくともこの時点までは.

そう,実は驚くべき事に,話はそう簡単ではなかったのだ.
著者らは続いて,抽出液中での他のファージを感染させた際の生存性を調べた.もし枯草菌がある種のファージ(phi3T)に対する防御を固めたのなら,他のファージに対する生存性も上がるはずである.そこで抽出液中に新たな枯草菌を入れ,そこにphi29,phi105,rho14といった違う種類のファージを加え,同じ実験を行った.
すると予想だにしないことに,枯草菌の生存率は単なる培養液と同様,低くなったのだ.つまり,別種のファージには普通に食われて死んでいった事になる.
これは奇妙な話である.もし枯草菌が「敵が居る!免疫を高めなくては!」と他の枯草菌に知らせたのであれば,種類を問わず抗ウィルス性が上がるといった変化が起こる方が自然である.一体何が起こっているのだろうか?
ここで著者らは,見事な発想の転換を見せる.

『phi3Tの溶原化を促進しているのは,実はphi3T自身なのではないか?』

この文章の冒頭付近で述べたように,がむしゃらに感染を広げてしまうと,あっという間に宿主が死滅するためウィルスとしてはそれほど増殖することは出来ない.生存戦略として考えると,宿主がほどほどの数存在するときは自身もどんどん増殖し宿主を食い尽くしつつ,宿主が減りすぎて絶滅しないように,ある程度宿主の数が減ったら今度は溶原化して宿主集団の回復を待つのが正解となる.もしかすると,ファージであるphi3Tも何らかの手段でこのような調整を行っているのではないだろうか?

そこで著者らは,phi3Tのゲノム(遺伝情報の全体)を解析することとした.
phi3Tのゲノムは128kの塩基対からなっており,そのなかに201の遺伝子(タンパク質へと翻訳される部分)をもっている.このうち128の遺伝子は各種のファージ類で共有されているものである.同じものがphi3T以外のファージに影響を与えなかったことを考えると,この部分はとりあえず無関係と考えても良いだろう.
残りをよく見てみると,N末端にシグナルペプチドをもつようなタンパク質をコードしている遺伝子が3つ存在した.シグナルペプチドというのは要するにタンパク質末端にくっつけるタグのようなもので,細胞中ではこれにより各タンパク質を特定の場所(核であるとか,細胞膜であるとか,等)に輸送させる働きをもつ.ウィルス本体の組立だけなら場所を指定する必要はないので,これら3つの遺伝子から出来るタンパク質はなにやら怪しい雰囲気がある.
さらにこの3つの遺伝子をよくよく見てやると,一つは膜貫通タンパク(=宿主の細胞膜に固定されてしまう)で細胞間の通信には直接は関係がなさそう,もう一つはあまりにも大きいのでシグナルには関与してそうにはない.容疑者は最後の一つに絞られた.しかもこの遺伝子,枯草菌などが含まれるBacillus属において個体数を調節するための互いの通信に関与しているタンパク質に関する配列とよく似ている.そのタンパク質は,ひとたび細胞外に出ると末端が加水分解を受け,5-6アミノ酸程度の非常に短いペプチドを生成し,これが細胞間での通信として拡散していくことが知られている.もしかすると,phi3Tにコードされていた類似のタンパク質も,細胞外で末端が切られて通信を行っているのではないだろうか?

このコードされていたタンパク質が同様の加水分解を受けるとすると,生じる短いアミノ酸配列はSer-Ala-Ile-Arg-Gly-Ala (SAIRGA,Arg=アルギニンの略号はRである)となる.
このSAIRGAという配列がphi3Tの溶原化を促進しているのだろうか?著者らは同じ配列のペプチドを合成し,それを培養液に入れて実験を行ってみることにした.通常の培養液中に枯草菌とphi3Tを入れ,そこに合成したSAIRGAを濃度を変えながらぶち込んでみた.するとどうだろう.SAIRGAの濃度を上げていくだけで,感染しても死なない(=phi3Tが溶原化して休眠状態となっている)枯草菌が増えていったのだ.しかも,この短いペプチドの頭のSerや末端のAlaを除いたAIRGAやSAIRGという配列では,こういった効果は全く見られなかった.
これにより,phi3Tは何らかの方法で他の感染した細胞から放出されるSAIRGAの濃度を検出し,その濃度が高い=周囲に感染している宿主が多い場合は溶原化して休眠状態に入る確率を上げる,という制御を行っていることが明らかになった.著者らはこのシグナルのもととなるタンパクをコードしている遺伝子を,aimPと名付けた.
ウィルス同士が何らかのコミュニケーションをとっているというのはほとんど誰も考えたことのない現象で,これは大変驚くべき結果である.

aimPからのシグナル(細かく書くと,遺伝子aimPがデコードされて出来たタンパク質AimPが加水分解して出てくるシグナル分子)(SAIRG)に応答するには,その信号を受け取る側のタンパク質も必要になる.それはどのようなものなのだろうか?
こういう「ペアで働く遺伝子」はゲノム上の隣接する位置にコードされていることが多いため,著者らはaimPの隣を調べてみた.するとaimPのすぐ上流に378アミノ酸からなるタンパク質をコードしている部分が存在した.このタンパク質はTetratricopeptide repeat(TPR:34アミノ酸の繰り返し構造)をもつ分子だが,こういったTPRを持つタンパク質はグラム陽性菌においてシグナルの授受による個体数の調整などに関わっていることが知られており,aimPから生じたシグナルSAIRGAの受容に関わっている可能性が高い.そこで著者らはこの部分をaimP(から出たシグナル)の受容体(Receptor)をコードしている遺伝子,ということでaimRと名付けた.

このような,ウィルス(に感染した細胞)からのシグナルによる個体数の調整は,phi3Tに固有のものなのだろうか?それとも他のウィルスでも同じようなことが行われているのだろうか?著者らは既知のゲノム情報のデータベースを使い,aimRと類似の遺伝子をもつウィルスが存在していないか調査を行っところ112の類似の遺伝子を発見したが,これらをもっているウィルスは全て桿菌属ファージに属していた.また,それぞれの遺伝子の上流にはphi3T同様aimRに相当する遺伝子が存在していることも明らかとなった.つまり,桿菌属ファージの多くは,今回の実験で用いたphi3Tと同様にシグナル分子のやり取りを通じて個体数調節を行っている可能性が高い.
しかもそれらaimPから生成されると思われる6アミノ酸からなるシグナル分子を比較すると,末端のアミノ酸はほとんどがA(たまにG),末端から2番目のアミノ酸は必ずG,末端から三番目のアミノ酸はRが多いが他の正電荷をもつアミノ酸も取り得る,というように後半の3アミノ酸はほぼ共通だったものの,前半の3アミノ酸に関しては非常にバリエーションが多い事もわかった.これはつまり,異なる種ではある程度異なるシグナル分子を使うことで,「自分の仲間が増えすぎている」(=ちょっと自重した方が良い)のか,「違う奴らが増えすぎている」(=気にせず自分らも増えた方が良い)のかを区別する役に立つのだと考えられる.ウィルスがやっているにしては思ったよりも複雑なコミュニケーション手段である.

著者らは最後に,このAimPなどによる個体数調節のメカニズムについても調べている.とりあえず判明した範囲では,aimRから出来るタンパク質であるAimRは通常時ではファージが挿入したゲノム中のaimXという第三の遺伝子近傍に結合し,この遺伝子の発現を促進,タンパク質AimXが多量に作られるようにしている.このAimXはファージのゲノムの恐らく最初のあたりに結合し,ファージを作るための部品全ての発現を促進していると思われる.つまりこうだ.

aimRが発現 → 出来たAimRがaimXの発現を促進 → 出来たAimXがウィルス全体の製造を促進 → 同時にaimPも発現するので,出来たAimPが加水分解されシグナル分子SAIRGも増大

シグナル分子の濃度が高くなると,このシグナル分子はAimRと結合し,AimRがDNAから外れていく.すると「AimRによるaimXの発現促進」が起こらなくなるので,結果としてファージの製造も減速する,というわけだ.
この結果,ファージが増えすぎて宿主全滅,寄生しないと増えられないファージも全滅,となるのを抑制していると考えられる.

こういったコミュニケーションの仕組みは,もしかしたら他のウィルスでも広く用いられているのではないか?という指摘もある.もしそうだとすると,新しい原理の抗ウィルス薬(ウィルスの発現を抑える薬)などに繋がる可能性もあるだろう.ただ,今回の例で言うとシグナル分子の濃度を増やしてもファージの「複製が起こる頻度を下げる」程度までしか行かず,ある程度は増えていくらしい.完全な休眠に固定するわけには行かなそうだ.
何はともあれ,ウィルスという生物だか物質だかわからんようなものでさえコミュニケーションをとることが出来る,というのは非常に驚くべき発見である.

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日記

phasonの日記: 準安定相のナノラミネート構造による,高い耐亀裂性をもつ鉄鋼の実現

日記 by phason

"Bone-like crack resistance in hierarchical metastable nanolaminate steels"
M. Koyama et al., Science, 355, 1055-1057 (2017).

九大とMITとマックス・プランク研究所による協同研究.九大はその場所柄鉄鋼関連の研究を結構行っており,今回の研究はその一つの成果である.

今更言うまでもなく,鉄鋼は現代社会において実にさまざまな部分で構造材として利用されている.鉄はさまざまな微量元素の添加によりその特性が大きく変化し,また焼き入れ・焼きなましによっても硬さ,柔軟性などを大きく変えることが出来る.
そんな鉄鋼を利用する際に問題になってくるのが,ある程度の強さの負荷が繰り返し印加されると突然破断するいわゆる「金属疲労」である.これは弱い負荷によって微細な亀裂が生じ,繰り返しかけられる負荷が亀裂末端に集中,亀裂が徐々に成長することで大局的な破断に繋がる現象で,これまでにも航空機や鉄道における事故を引き起こしたり建造物の破壊を引き起こすなど,安全面での大きなリスクとなっている.工学的には,多少の亀裂が成長しても大丈夫なように十分な安全係数をとって設計するだとか,頻繁な検査により早期に発見し修理・交換を行うことで対処されているが,コストの増大や見落としによる事故の発生を防ぎきれない.
従って,金属疲労を起こしにくい鉄鋼材料の開発は重要な研究課題であり,これまでにもさまざまな新材料・新製法・新加工法が提案されている.
今回著者らが報告しているのは,準安定相間の相転移を利用した亀裂の発生抑止と,階層的な構造による亀裂成長の抑止を組み合わせた新たな構造を持った鉄鋼が,これまでの鉄鋼を大きく超えるような耐亀裂性をもつ,という発見である.

金属疲労を防ぐにはどうすれば良いだろうか?
荷重により微小な亀裂が発生し,それが拡大して破断に至るのが金属疲労なのであるから,単純に考えれば防ぐ手段としては「そもそもの亀裂の発生を抑える」というものと「亀裂の成長を阻害する」という2つが考えられる.実際,これまでにこのような対処法は開発されている.
例えば前者の「亀裂の発生を抑える」という方向では,オーステナイト相とマルテンサイト相が微細なレベルで混合した鉄鋼が知られている.鉄は含まれる炭素量や温度によっていくつもの異なる構造(相)を示すのだが,高温では炭素を比較的含みやすいオーステナイト相(鉄の面心立方格子の隙間に炭素が入った状態)が安定化され,低温では炭素をあまり含まないフェライト相(鉄の体心立方格子の隙間に微量の炭素が入っている状態)が安定化する.ところが,高温でオーステナイト化した高炭素鋼を急冷すると,余剰の炭素を排除しきるほどの時間が無いためフェライト相に転移できず,多量の炭素を含んで歪んだ準安定なマルテンサイト相(鉄の体心正方格子の隙間に炭素が挟まった状態)が出現する.さらに,焼き入れ・焼きなましなどの時間を調節すると,このマルテンサイト相とオーステナイト相がミクロレベルで混在した鉄鋼を作る事が可能である.さて,このマルテンサイト相とオーステナイト相であるが,双方の間での転移が比較的容易であり,しかもマルテンサイト相の方がやや密度の低い(=隙間の多い)構造であるため,圧縮する力が加わるとマルテンサイト → オーステナイトへの構造転移が起こり体積が減り,逆に引張り力が加わるとオーステナイト → マルテンサイトへの構造転移が誘起され体積が増える.つまり,ミクロレベルでマルテンサイト相とオーステナイト相が混合している鉄鋼は,負荷がかかってもその荷重変化による変形を内部の微小部分の相転移による体積変化として吸収できる,いわば「柔らかい鋼鉄」として振る舞うことが可能になるわけだ.このため,この二相の共存物は「弱めの荷重が繰り返し印加される」場合に金属疲労を起こしにくいことが知られている.ただし,相転移で吸収できる以上の大きな荷重がかかる場合にはどうしても小さなクラックが発生し,しかもこのクラックの成長を阻害する機構が全く無いため通常の鉄鋼と同様の劣化を示す.
一方,「亀裂の成長を阻害する」という方向として,比較的硬い相と柔らかい相がナノレベルで積層した層状構造(ナノラミネート構造)をもつ鉄鋼が優れている.例えば炭素の多いオーステナイト相を徐冷して得られるパーライト組織(常圧で安定で炭素の少ないフェライト相ができる際に多量の炭素が排除され,それがFe3Cというセメンタイト相となる.これらの板状組織が積層したもの)などがこれにあたるこの場合,亀裂は硬い組織を避けて伸びようとするため非常に曲がりくねった経路でしか成長できず,そのため金属材料が破断しにくくなる(亀裂に対しては,実効的に材料の厚みが増えたようなもの).

これら2種類の構造はそれぞれ優れた構造ではあるのだが
・準安定相の二相ミクロ共存型は,微細な亀裂は生じにくいものの出来た亀裂は普通に成長するため,大荷重が加わる場合に弱い
・ナノラミネート構造は,生じた亀裂が成長しにくいものの微細な亀裂は通常通り生じるため,弱い負荷が非常に多い回数加わる場合に弱い
と,対照的な弱点を持っている.
これら2種類の鉄鋼の長所を併せ持つ鉄鋼を作る事は可能だろうか?原理的には,準安定な二相がナノラミネート構造となった場合にはそういった物質となる事が期待される.弱い荷重による変形は内部の二相間での微妙な相転移による伸び縮みで吸収し,大きな荷重により発生した亀裂はナノラミネート構造がその伸張を阻害,亀裂を小さいままに閉じ込める.
今回論文で報告されたのは,鉄鋼の組成と熱処理の仕方をいい感じにすると,そういった優れた特性が実現できるよ,というものになる.

というわけで論文の方を見ていこう.
結果は非常に単純である.Supplementary MaterialsのFigure S7にも論文と同様のグラフが載っているので,そちらを参照していただくと良いだろう.このグラフ,要するに,「ある荷重(縦軸)を繰り返し加えた際に,何回目(横軸)で破断するか」を示したものだ.Figure S7(A)の方では縦軸の加えた荷重を絶対値で示しており,(B)の方では静的に加えた際に破断する荷重を1とし,それに対する比率で縦軸をとったもので,まあだいたい同じ図となる.
グラフには,今回の論文で作成されたサンプル(熱処理時間の違いで2種,〇および●)と,比較対象としてのSUS304(◆),マルテンサイト-オーステナイトの準安定二相共存系(×),マルテンサイト-フェライトの単なる二相共存系(■),フェライト-セメンタイトのナノラミネート構造(▲),チタン合金(□)が載せられている.
まず高荷重側(小数回の負荷で破断する側)から見ていこう.例えば104回程度の繰り返しで破断する負荷を見てやると,市販のSUS304が400 MPa前後,小荷重には強いが大荷重に弱い準安定二相共存系で500 MPa弱,大荷重に強いナノラミネート構造でも600 MPa前後なのに対し,今回作成されたサンプルではTi合金とほぼ同等の800 MPa以上程度を実現できている.つまり,大荷重が繰り返しかかるような場合でもかなり強い.
では,弱い荷重が非常に多数回加わるような場合はどうだろうか?106~107回程度の非常に多数回の変形を受けるような場合,市販のSUS304では300 MPa程度で破断してしまっている.これに対し,低負荷に強い準安定二相共存系では約360 MPa,大強度には強いが多数回の負荷に比較的弱いナノラミネート構造でもほぼ同様の約360 MPa(*),これに対し今回のサンプルではおよそ400 MPa強と,こちらもチタン合金並みの強さを誇っている.

(*)ナノラミネート構造も二相共存系と同等の強度を実現できているので多数回の負荷時にも強いのでは?と感じるかも知れないが,初期強度からの低下度合いで見るとナノラミネート構造はかなり落ちている.これはFigure S7(B)を見ると顕著である.

という事で,今回の論文の内容をまとめると,
『準安定な二相共存構造かつナノラミネート構造であるような鉄鋼を作ると,これまでの鉄鋼に比べ金属疲労による破断を起こしにくい(=より高い負荷に耐えられる)鉄鋼となる』
という事になる.
論文ではさらに,実際に亀裂がどのように生じてどう成長していくのかも検証し,ナノラミネート構造によって亀裂がジグザグに伸びるしかなくあるところで成長が止まる,なども見ているが,まあここでは省略しておこう.

というわけでなかなか面白い報告である……のだが,これがそのまま実用化に向くかというとやや懸念点がある.
今回の鉄鋼ではマルテンサイト-オーステナイトの二相共存系を使っているわけだが,このうちのオーステナイト相は徐々にマルテンサイト相に転移していくため,長期利用の間に徐々に寸法が変わったりしてしまうことが知られている.もともとオーステナイト相はやや柔らかく耐摩耗性が低めで,またマルテンサイト相への転移によりあちこちに歪みを生じる可能性がある.このあたりが問題にならずしかも金属疲労耐性が必要な用途がどれだけあるのか?などを考えると,そのままの利用はやや微妙か?

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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー

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