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日記

gunwithoccasionalmusの日記: 意見募集中 23

日記 by gunwithoccasionalmus

「芸術は魂で理解できるものだから勉強は必要ない」と主張する人が少なくないようですが、それはさておき、その人たちは、
町山智浩> 映画は、何も知らずに観ても面白い。でも、知ってから観ると100倍面白い。観てから知っても100倍面白い!
の「知って」というは勉強に含めないのでしょうか。
あと、魂で理解できるためには魂の修練は必要ないんでしょうか。

解答してくださった方々
  (#3609355) 辿り着くんじゃなく、そこに居るんだよ、最初っから。
古典ギリシャの文学作品を読むときも、最初からそこに居るのかなあ。

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  • 傍から見ると論理的に芸術を分析することを至高とする人と分析の一切を排除してもなお理解できるものを至高とする人が喧嘩しているように見える。
    建前上どちらも相手の主張を認めているように見えるが本音は真逆で相手を全否定したい。そりゃ平行線でしょうな。
    まああなたの芸術の定義が一般的な芸術の定義とずれてるんでまあそりゃ理解してくれないと思いますよ。

    修練しないと理解できないもの、というのが芸術の定義みたいなものです。修練しなくても理解できるものが娯楽。

    もひとつ。あなたは町山智浩氏などをあなたは嫌っているようです。

    芸術も科学も、細部を観察してよく考えて、緻密に論理を組み立てて全体を理解するという点でまったく同じものです。
    芸術や科学を「感じる」ことができるのは最先端の芸術家や科学者の特権で、それ以外の人は彼が梶田ことを「考える」必要があります。

    町山智浩氏などがしていることはこの真逆で、自分の考えに適ったものを作品に見つけようとしていますね。だから「監督の意図は~」とか言う。お前はエスパーかっての。「新感染ファイナルエクスプレスは朝鮮戦争が~」在韓韓国人は元在日韓国人よりもっと痛感しとるわ。その上で映画撮ってんの。それを解説しろや。

    でもこれてあなたが普段日記に書いてあることと同様ですよね。
    あなたと批評家の違いは主語を意図的に明確にするか意図的にぼかすか。本当は「監督の意図は~」とか言いたいんだけど常日頃公言する建前が邪魔をするので主語をぼかす。主語というより表現実行した主体か。
    あなたの日記の例えば テレビシリーズまどかマギカ さやかの魔女戦 2019年04月26日 22時31分 [srad.jp]でも主語がぼかされてますし。
    いつだったか誰かが考えてるとか書いてましたのであなたの主張にそうならあなたの評論で省略された主語は基本的には制作陣の意図とか製作者の意図と補えるのでしょうね。
    上記の日記なら

    テレビシリーズは劇場版と違い、「さやかを救う杏子」という明確な作品全体の文脈があります。

    はテレビシリーズは劇場版と違い、「さやかを救う杏子」という明確な作品全体の文脈が制作陣により導入されています。と補える。

    劇場版では3カットかけてシャッターを降ろし、「ただ一つだけ」を言い終わったところで降りきる。つまり、「ただ一つだけ」と言っている時点ではまだ降りきっておらず、そこの口元のカットが、ほむらへの想いを告げているという文脈を作っている。

    も劇場版では3カットかけてシャッターを降ろし、「ただ一つだけ」を言い終わったところで降りきる。つまり、「ただ一つだけ」と言っている時点ではまだ降りきっておらず、そこの口元のカットが、ほむらへの想いを告げているという文脈が制作陣により作られている。と書き直せる。
    その上であなたの評論を読むと巧妙に隠されているだけであなたも自分の考えに適ったものを書いているだけだとわかる。
    まあ枠組みに沿って考えると枠組みから外れたものを見つけられないので当然といえば当然ですが。
    逃げ道としてはアニメは娯楽で芸術ではないってことかな。
    あとアスペルガーだと自覚しているなら言葉の定義は一般に合わせるほうがいいよ。或いは芸術の定義をあなたと共有している人がいるところで話すか。
    要は英語を話したいならフランス語を話す人が集まるところではなく、英語を話す人が集まるところに行ったほうがいいってことだけど。

    • > あなたと批評家の違いは主語を意図的に明確にするか意図的にぼかすか。

      ぼかしているのではなくて

      > テレビシリーズは劇場版と違い、「さやかを救う杏子」という明確な作品全体の文脈があります。

      > テレビシリーズは劇場版と違い、「さやかを救う杏子」という明確な作品全体の文脈が制作陣により導入されています。と補える。

      補えないのです。ランダムに生成した文章ですら文脈を作ることができるので、文脈を作っているのは作品全体で、製作陣ではありません。
      とくにアニメは個人ではなくチーム製作だから、監督が統括しているにしろ、作者の明確な意図というのを想定するのは難しい。

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      • by Anonymous Coward

        作品全体を通じて現れる一貫性のある文脈はランダムに生成した文章に現れるようなものではない。
        したがって制作陣の誰かによる意図によるものと取れる。
        まああなたの主張に沿って主語というか主体を補うと

        テレビシリーズは劇場版と違い、「さやかを救う杏子」という明確な作品全体の文脈があります。

        私は、 テレビシリーズは劇場版と違い、「さやかを救う杏子」という明確な作品全体の文脈があると思います。

        と補う方が正確だな。
        まあ個人の感想を断定的に書いてるから反感を買うんでしょうな。
        あとはあなたのバックグラウンドとか持ってる知識が一切見えないのにそれっぽい用語を使うからそこが通ぶってるように見える。

  • by Anonymous Coward on 2019年05月04日 7時08分 (#3609380)

    100点満点で1点をつけられるような映画ですら、知ってから見ると知らずに見た満点の名作に並びそうな勢いですね(笑)

    100倍は盛り過ぎだとしても、作品についての関連情報を知っているとより楽しめることがあるのは確かだと思います
    でも自分は先入観や予備知識は入れずに作品に触れ、好きになったものをより深く後から知りたいタイプなのでした

    芸術作品も同じで何も心に引っかかるものがなければスルーですね

    • by Anonymous Coward

      同時に100点のものが10000点になるならマァいいんじゃないの。この人にとっては。

  • by Anonymous Coward on 2019年05月04日 9時43分 (#3609394)

    あなたのおっしゃる芸術は興味深かったし、正しいんだと思います。ただそれが唯一かというとそうとも言えないんじゃないかと思います。

    ただ現象として存在するものを人が芸術と位置付けているので、解釈や定義、感じ方など、それから派生するものはその現象の実体ではない。だから各自の中で多様な芸術観があり、それがぶつかったんじゃないかと思いました。

    どれが正しいか、という切り口で捉えようとした時に問題が生まれるんでしょう。
    私はおそらくあなたのおっしゃる娯楽でしたか、そういうのを多く楽しんできたし、「既にそこに居る」が近いし楽でいいと思います。立ち位置はその辺ですが、「そのままを観察し受け取り、修練して辿り着く」も理解はできます。そして結論はタイトルの通りです。

    • もっと単純な話です。
      たとえば英語の小説を読むなら、語学力が必要でしょう。中一と大学生の語学力では、受け止められるものは違ってきませんか?

      > ただ現象として存在するものを人が芸術と位置付けているので、解釈や定義、感じ方など、それから派生するものはその現象の実体ではない。だから各自の中で多様な芸術観があり、それがぶつかったんじゃないかと思いました。

      そんなことは言ってません。わたしが言っているのは、
      娯楽も芸術も総体としては変わりはないが、それの、日常経験から十分楽しめる「部分」が娯楽、語学のように意図的に学んだものがないととらえきれない「部分」が芸術です。
      常識だけで理解できるか、ジャンルや作品固有の約束事にある程度つうじてはじめて理解できるか、の違い。まんがのコマ割りのように、日本人にとっては子供のころからなじんでいるから常識だが、他国の人は大人になって学ばないといけないものもあります。

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      • by Anonymous Coward

        人に何かを伝えるというのは難しいものですね。
        言葉が足らなかった、あるいはアプローチが間違っているというのもあるかもしれませんし、私がその本質を理解していないのかもしれません。

        もう一度書いても伝わらないかもしれませんが、もう一度。
        私は「物理現象として存在している芸術」と「人間の中(意識や思考など)として存在あるいは定義されている芸術」を分けて考えられませんか?と書いたんです。あなたは「あなたの中にある芸術」つまり後者のみを念頭にして説明しておられるようです。そしてその部分について違う観点をもつ他の方に対して疑問を持ち、自ら

        • > 私は「物理現象として存在している芸術」と「人間の中(意識や思考など)として存在あるいは定義されている芸術」を分けて考えられませんか?と書いたんです。

          物理現象とは違い、芸術は見る人がいないとなりたたないので、その区別は意味がないと思います。もしかすると、あなたのおっしゃる「物理現象として存在している芸術」というのは、「テクスト [wikipedia.org]」のことかも。
          ここ50年ほどは、「作者がなにがしを表現したテクストを書き、読者はそのテクストを解釈 [wikipedia.org]し、なにがしかを読む」ことの総体を芸術と呼んでいます。
          要出典がついてますが [wikipedia.org]
          > ある活動や作品が芸術であるか否かについて、必ずしも誰もが同意する基準があるとは限らない。表現者側では、その働きかけに自分の創造性が発揮されること、鑑賞者側ではその働きかけに何らかの作用を受けることなどが芸術が成り立つ要件とされる。これに関して、表現者側では、自分の作品を構成するにあたり、先人の影響を受けたり、既に様式が決まっている表現方法、媒体を用いたりすることはよく行われるので、必ずしも表現の内容が完全に自分の創造性にのみよっているとは限らない。また鑑賞者側が、その表現が前提としている様式の暗号を知らないと働きかけはうまくいかない。

          > そして、「たとえば英語の小説を読むなら、語学力が必要でしょう。」も理解できます。ただ、これが全てに当てはまるんでしょうか?という疑問をもっているんです。

          そうだ、と主張しています。英語もまんがも固有の文法があり、修得していないと理解できません。
          英語を理解しない人でが、英語の映画を字幕も吹き替えなしで見ても、常識にもとづいてかなり理解できますが、それ以外の細部や陰影があるということです。

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          • ×作者がなにがしを表現したテクストを書き、読者はそのテクストを解釈し、なにがしかを読む
            〇作者がなにがしかを表現したテクストを書き、読者はそのテクストを読み、なにがしかをを解釈する [wikipedia.org]

            作者が頭の中にあるイメージを符号化し、読者はそれを復号化して頭のなかに作者のイメージを再構成して、しかるのちにそのイメージから感銘をうける、という感じ。これはナボコフ流の表現です。

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            • by Anonymous Coward

              テクストですか、はじめて知りました。勉強になりました。

              あなたは他者の認識を間違ってると思い自身の認識に基づき、こうですよと説明されてきたんです。私も大まかに理解したつもりです。
              私と違うのは、芸術の認識に関して違う認識があっていいと思っていないところです。

              なので、認識とは何かというのを説明してきたつもりです。認識自体を抽象的に捉えることが可能ならば、他の方との相違も収まりどころができるかなと思いまして。そこの部分でテクストを示されたんだと思いますが、多少違うかもしれません。私の能力不足でうまく説明できませんが、これ以上は書きません。でも楽しかったです。ありがとうございました。

    • by Anonymous Coward

      同感です。
      知ること勉強することは先入観を得ることと不可分なので、単純にその意味でも妥当な結論と思います。
      月並みですが、知りたい勉強したいという人が目的とする場所も1つではありませんしね。

      ですから、
      > 「芸術は魂で理解できるものだから勉強は必要ない」と主張する人が少なくない
      この前提には疑問符が付きます。
      もっとも、長い経験の末にたどり着いた境地で感得し発せらる言葉かも知れませんし、
      その場合は私(や gunwithoccasionalmus 氏)がその境地に達していないというだけですが。

      と、書いてはみたけど・・・
      こんな単純明快、ありきたりな話は gunwithoccasionalmus 氏は欲していないのかも。ちょと不安。

  • by Anonymous Coward on 2019年05月05日 21時24分 (#3609972)

    あー、何か解った気がする。

    gunwithoccasionalmus さんは、芸術家(クリエイタ)の意図を読み取って鑑賞する事を「正解」と考えているんだ。

    だから、英語がわからず、歌詞の意味も解らない子供が聴くLet it beに正解がないと思っているんだ。

    こういう人がクリエイタ側になると、意図した通りに解釈してもらえなくて逆切れするパターンか。

    デビルマンとCASSHERNを何度も見なけりゃ理解できない [srad.jp]から見ろとか、馬鹿なことを言っちゃう理由もここにあるんだな。

    芸術を、というか創作物を、そんな狭い定義に押し込めないでくれ。

    • ぜんぜん違います。
      作者の意図など読み取る必要はなく、作品がどうなっているかだけをみて、よく調べ、読解する。これがすべて。「作者の意図」はそのヒントくらいにしかなりません。
      がんばって作品を読解したら、しかるのちに鑑賞する。これが芸術も娯楽も共通の作業です。
      娯楽作品は多くの人を相手にする必要があるから、読解がやさしめ、というか自覚する必要すらほぼない。芸術作品はターゲットを絞っていて、仲間内の特別な文法といったものを習得している必要があり、読解は難しめ。違いはこれだけです。
      娯楽作品といわれているもののなかには、ときどき芸術性、仲間内の文法でもってさらに内容を追加しているものがあります。それがたとえば劇場版魔法少女まどか☆マギカデビルマンCASSHERNなどです。

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      • そういう人たちは、作者も読者もグルになって、わかるひとがわかればいい思って(他人の金で)作品を書いたり読んだりしている。気心がしれた相手と仲間の符丁で会話するほうが、知らない人と会話するより楽しいですからね。
        芸術家や評論家や学者が言う「芸術なんて感じればいい」なんて大ウソです。面倒くさいやつの相手はしたくないから自分のところに来るな、でも金だけ落とせ、と言っています。せいぜい100人1000人に1人釣れたらいいナと思っている程度。
        わたしは完全なアウトサイダーだから、こういう連中のしていることを暴露するするのも楽しみのひとつです。

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        • ただ、それはクローズドサークルなのかというと、それも違う。オープンではある。大学の文学部や表象文化論やってるところは、うちにくれば読解・理解できるようになるよとアピールはしている。(もっともそのアピール自体が往々にしてクソ文系言葉でだったりするが)
          本だけ読んで身につくか?といわれると、不可能ではないがかむちゃくちゃ大変。やっぱり指導者がいて演習して、でないと効率は悪い。
          わたしは小説はSFしか読まないし、あとはまんがと、かわいい女の子の出てくるアニメとごく一部の特撮、あとはかなり古い作品しか見ません。このへんのジャンルはそもそも指導者がいないので苦労しました。もっともガチの文学はレッドオーシャンの修羅の国だけど、アニメはブルーオーシャンだから気楽ですが。

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          • ところが、娯楽分野と思われているSFもまんがもアニメも、作家や監督には芸術指向の人が少なくない。娯楽作品で金儲けしつつ、その娯楽品に自分の芸術性な創作性もぶち込みたいという人たちですね。娯楽性は豚の餌だなんて思っている人はいないし、非常に重くは見てはいるけど、やっぱ狭いサークルですから、内輪の評価は芸術性に偏りがちなんですよね、たぶん。
            ただ、そのサークル内の符丁さえ知ることができれば、アウトサイダーだって、会話には混じれなくても言っていることくらいは少しはわかるようになります。

            ただし、サークルの人が符丁について広く話をしないのは、それが言語化されていないからで、やりたくてもできないのです。言語化するのは評論家の専門的な仕事なので、作家にはできない。で、町山智浩さんにしてほしいところだが、この人、すごく有能なんだけど、サークルの人たちとは水と油なんですわ。岡田斗司夫や前田有一なんかは無能だから、叩くだけ無駄。

            親コメント
    • by Anonymous Coward

      他の方の批判的or警告的な意見も、概ねそんな感じですよね。
      gunwithoccasionalmus 氏がそれ以外を許容しないポーズを取る、ということも含めて。
      まったくもって同感です。

      でも、その「gunwithoccasionalmus 節」が面白くて読んじゃう、というのも正直なところです。
      私が読んだことのない/見たことのない作品の批評だって、面白いと感じるんですもん。
      空気読まない破壊者とか反骨屋に憧れているってのも、理由の一部ではあるんですけどね。

      • by Anonymous Coward

        「世の中のすべてのことは勉強しないとわからない」というのがわたしのスタンスです。
        「世の中には勉強しなくてもわかることがある」という意見はわたしは断固拒絶します。
        これは人間の活動のあらゆるものについてです。娯楽も芸術もポルノもスポーツもセックスも。(わたしには本当に区別はつきません)

        もっとも
        「人間のすることはすべてが勉強だ」というのも断固わたしのスタンスです。
        だから「勉強しているかしていないか」は、たんに自覚と方向性の問題でしかない。しかし、欲しい結果をえるためには、それなりに自覚してなにかする必要がある。
        では「その自覚はどうすれば自覚できるのか」、というのは難しいし、実は誰も教えてくれない。

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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者

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