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51459 journal

himmelの日記: 粘着5

日記 by himmel

粘着はやめよう、という宣言は何だったのか…。
結局とうとう全訳してしまった。
まあ中途半端にするのも気持ち悪いしね!(開き直る)

うまく理解できたらアレたまに載せてみようかとも思いましたが、まだいまいち分かってないのでいつも通り妄想で。
なにせ、論理構造どころか、意味がよく分からない文章があるんですもの。
・notoriousの意味
・submissionの訳語
・6段落2行目の文法
・24段落2行目の文法
・27段落後ろから2行目の文法
・40段落2行目の文法
覚えてるだけでもこれだけ(何となくは分かっているけど)よくは分かっていない部分が残ったまま。
どうにかしてほしい。自分の頭を。

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前提として、
・この裁判はオーストラリアのNew South Wales州の最高裁での裁判であること。
・オーストラリアは連邦であり、州法と連邦法を守る必要があること。
・この裁判は上訴審(二審か三審かは分からないけど)であること。
・なので、シンプソンズの絵を持っていた方が原告・上訴人であること。
があります。
なお本文中、
・【】は訳注
・"私"はこの裁判の裁判長
・"「ヒト」"はhuman beingの訳語で、生き物としての人間、生物学上のヒト
・一方"人間"はpersonの訳語で、法律の中で使われている一般的な人間を表すことば
です。
原文はこちらになります。
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イントロダクション

1 2008年2月26日Parramatta地裁にて、原告はchild pornographyの所持に関する州法犯罪法1900の91H(3)節違反【8段落】、およびchild pornographyへ接触するためにコンピュータを使用したことに関する連邦法刑法1995の474.19(1)(a)(i)節違反【10段落】により有罪判決を受けた。
問題となったchild pornographyはテレビのアニメーションシリーズ「ザ・シンプソンズ」の登場人物をモデルとした図画が描写された一連のcartoon【マンガとする】を含む物である。
これらには、シンプソンズ一家の特に「子供」が性行為をしているところが描写されている。男の子の図画は明らかにヒトの性器を持っていて、母親と女の子と性行為をしている。
私が考えるところでは、マンガのキャラに年齢があるとするならば、男の子は10歳程度、女の子は8歳程度と幼児である、という-テレビシリーズから知ることができる-暗黙の了解があることは受け入れられていた。
そのような暗黙の了解がなければ、彼らの年齢を当てることは難しいことであろう。私には、女の子のほうは思春期前に、男の子のほうは18歳未満(これは連邦法違反)あるいは16歳未満(こちらは州法違反)のように見える。
この点における問題とは、見た目の年齢であるので、他の資料が示す年齢の(言ってみれば)証拠が適切である、とすることには私は懐疑的である。
しかし、年齢の問題はここでも、後述でも取り上げなかった。
私に提示された問題は、架空のマンガのキャラクターが法律違反の中での「person」【「人間」とする】であるかどうか、もっと正確に言えば、そのような「人間」を描写したもの、あるいは表したものであるかどうか、である。
議論の過程では、この疑問には、Mr. Craddock SC【Craddock主任弁護士、上訴人側弁護士】によって注釈が付けられた。彼は、架空のマンガのキャラクターは、human being【「ヒト」とする】であったり「ヒト」を表したりはしていないことを示している形であるので、法定の感覚では「人間」であることはできない、とも主張した。
問題となった図画が「ヒト」を象徴していたり表していることは、充分ではない。
この議論を別の方法で表すならば、代数学においてnはどんな数も表すことができるが、それは数ではない、ということである。
棒の図画は人間を表現したり象徴したりするかもしれないが、人間そのものを描写することはない。

2 この件を審判したMagistrate【治安判事】は、シンプソンズのような架空のキャラクターをマンガで描写したものや表現したものは「人間」ではない、という原告代理人による陳述書を退けた。
連邦法違反という視点では、原告は有罪判決を受け、2000ドルを課され、2年間不適当な振る舞いをしないと制約した。
また州法違反からは、1000ドルを課され、2年間不適当な振る舞いをしないと制約した。
(実際上は、違法要素は同じであり、一見すると二重の罰が科せられているように見える(Pearce v The Queen (1998) 194 CLR 610 at 623 per McHugh, Hayne and Cullinan JJから)。しかし、これは今回の上訴の主題ではないし、だから私はこれ以上言及しない。)

3 多くの点から、問題となった図画は実在する、さらに言えば架空の、「ヒト」を模倣した外見をしてはいない。
特に、彼らの指は4本であるし、どんな「ヒト」とも明らかに、故意に異なった目や鼻や口である。
一方、人間としての個性が彼らには与えられ、彼らは「ヒト」の、もしくは「ヒト」を「表したもの」の比喩や類似物であることが容易に認識されていたであろう。
しかし問題は、「人間」が描写され、あるいは表されるかどうか、もっと正確に言えば、このような架空のマンガのキャラが法律の範囲内の描写物や表現物である画像であるかどうか、である。
もしこの問題の答えが肯定的なものならば、ある画像がそのような描写物や表現物なのかどうかは、程度の問題となる。それ故、上訴人の二回目の提出意見で私が言及した主題は、事実の問題だと私は考える。

4 あるマンガが絵画の、あるいは図画の表現物以上のものではない、ということを記述することは価値があるかもしれない。
私は「マンガ」という言葉を使った。この言葉は提出された意見で使われている用語であるからだが、私には「絵画」との違いがあるとは考えられない。

5 最初に、私が考えるように、実在する人間を描写することと想像上の人間を描写することの間には根本的な違いがある、ということを認識する必要がある。
この区別は、恐るべき暴力に巻き込まれたり、拷問や死を与える想像上の人間が登場するビデオゲームやコミックで描写されているものを考察することでよりはっきりするかもしれない。
もしこれらの人間が現実の人間ならば、このような描写は決して許される物ではなかったはずだ。
そしてそのようなゲームに出てくる創造物は犯罪史上最高の犯罪を構成するはずである。
このような想像上の描写は広く(遺憾に思っている人もいるかもしれないが)当然のものとして受け入れられている。
また、良心の呵責もたいした非難もなく若者にむけて広く広告され、市販されている。
このようなものが認められているのは、ただ、これらが想像上の産物であるということからである。
もちろん私はchild pornographyに関する法律が何らかの形で不適切である部分もあるということを示唆してはいない。法律は明らかに完全に必要である。
私は単に、確かな例によって、現実の人間を描写することと想像上の産物を描写することの間の根本的な違いを指し示したいだけである。
現実の人間はもちろん架空の人間になることもできる。自身より他人の、もしくは架空のキャラの役割を演じたり採用したりすると言う意味で。しかし、彼らはまだ、現実の人間でもある。
私に提示された議論では、そのような区別はただ単に程度の問題の一つに過ぎない、とする傾向がある。
これははっきりと間違いである。
程度の問題とすることは、現実の子供を利用したpornographyを些細なことのようにしてしまったり、また利用していない表現物の所持を有罪としてしまいもするだろう。
もちろん、Child groomingのためにそのような想像上の物を使用することは、そのような物の所持を深刻な問題にするだろう。

6 (前の段落で決めた区別という点では、上訴人に判決を下すとき、その画像に現実の子供が含まれていたら、懲役刑が必ず科されていただろうと考えることが適切であると治安判事が考えたことは、難しい問題である。
子供が含まれなかった、含まれ得なかったという事実認定は、そのような比較は、その違いがただの程度の問題であると表し、重大な誤解を招く可能性がある、ということを意味した。
その違いはただの程度の問題ではない。有罪性という点では、この違反は全く別の問題である。
件のマンガは上訴人によって犯罪目的で使用される、もしくはされる可能性があるという証拠はなかった。)

7 私は、間違って理解されたくはない。
私は、何らかの形で、議会が両方の種類の画像の所持を刑事犯罪にすることはできない、ということを示唆しているわけではない。しかし、そうされていたかどうかは、私が決めようと努力してきた深慮ある区別を考慮してよく考えられなければならないと私は思っている。

州法

8 州法犯罪法の91H(3)節ではchild pornographyの所持が違反であること定め、最高5年の懲役が科せられている。child pornographyとは以下のように定義されている。

child pornographyとは、
  (a)性行為をし、あるいは
  (b)性的な状況下にあり、あるいは
  (c)(性的な状況であるかに拘らず)拷問を受けていたり、残酷なことをされていたり、身体的な虐待を受けていたりする
 16歳未満の(もしくは16歳未満のように見える)人間を、どんな事情であろうとreasonable person【分別のある人間、とする】が不快に感じると思われる方法で、描写し、または記述しているもの、を意味する。」

9 州法犯罪法の4節では「人間」に、社会団体、会社、法人を含めると定めている。また、州法解釈法1987の21節では、

「いかなる法律や法律文書の中でも
  個人は自然人を意味する。
  人間には個人、法人、企業・政治団体を含める。」

と定めている。

連邦法

10 連邦法刑法の474.19節ではとりわけ、「child pornography materialに接触するための運送サービス」を使用することが違反であることを定め、最高10年の懲役を科している。「child pornography material」は473.1節(の関連する部分)で以下のように定義されている。

child pornography materialは、
  (a)18歳未満、またはそう見える、かつ
   (i)(ほかに人がいようといまいと)性行為または性的な格好をしている、あるいはそのように見える、または
   (ii)性行為または性的な格好をしている、あるいはそのように見える人間が存在している場所にいる
  かつ、そのようなことを分別のある人間が、どんな事情であろうと不快に感じるような方法で行っている、人間を描写、あるいは人間を表したものを描写したもの、を意味する。」

11 連邦法法律解釈法(1901)の22(1)節では、

「いかなる法律においても、対立する意図がないならば、
  (a)人間を示すために通常使われる表現('person' 'party' 'someone' 'anyone' 'no-one' one' 'another' 'whoever')には個人と同様に企業・政治団体も含まれる。
  (aa)個人は自然人を意味する。」

と定めている。

12 連邦法犯罪法1914の電気通信違反を廃止し、変わって新しい電気通信違反を連邦法刑法に定めようとする犯罪法改正案(電気通信違反と対策)(No.2, 2004)の付帯文書では、こう述べられている。

child pornography materialは、18歳未満の人間が性的な格好または性行為をしている、または性的な格好または性行為をしている人間が存在する場所にいる描写や記述をしている物、と定義される。
この定義には、18歳未満の人間の性器や肛門部や胸部(女性の場合)を性的な目的で描写しているという顕著な特徴を持つ物、も含まれる。
定義の(a)と(b)の段落では「描写したもの」の定義を扱っていて、ここでは、マンガやアニメ…のように子供を表現したものも含めて、静的・動的なすべての視覚的画像、について定義されている。」

13 連邦法法律解釈法の15AA節では、法律の条項を解釈するに当たって「その法律の基礎となっている目的や対象…を促進すると思われる解釈が、そのような目的を促進しない解釈よりも好まれるべきである」、ということを要求している。
また15AB節では、ある条項の意図が「あいまいな」ときは、裁判所は付帯文書を参照したほうがいい、としている。

関連する判決

14 Holland v The Queen (2005) 154 A Crim R 376裁判では、西オーストラリア控訴院は、関税法1901の232BAB節において使われている「描写すること」と「人間」という言葉の意味と、ある道具をchild pornographyとして取り扱えるかどうかを検討した。
そのような道具とは、「性的な格好や性行為をしている…16歳未満またはそのように見える…人間を描写している…文書」である。

15 Malcolm CJ【Malcolm裁判長】は関税法の方針には「公衆を傷害から守り、子供を搾取から保護すること、また損害の防止」(154 A Crim R at 380)が含まれているとして言及した。
同じ目的が州法犯罪法1900と連邦法刑法1995にも適用されることは明らかである。
この裁判の上訴人は「Street Boy Dreams」という、明らかにフィクションの作品であり、35歳程度の成人と、彼と14歳の少年、13歳の少年、その他の「少年」達との関係を中心に据えた本を輸入した。この本は
裁判長によって「16歳未満の少年が、分別のある成人…が不快に感じるような方法で性行為に巻き込まれている描写をしている」と記述された。
一方で、関税法1901の233BAB節中の「人間」は現実の人間を意味し、架空の人間や文字の作品の中のキャラクターを意味していないという意見が提出された。
Malcolm裁判長はこう述べた。(154 A Crim R at 381)

「私の見解では、法廷の認識は、「人間」という言葉の意味を、毎日の会話やコミュニケーションの中で通常使われるように、現実の人間と架空の人間の両方に広げることができるはずだという悪い評判がある。
New Shorter Oxford Dictionayが明らかにしているように、「人間」には劇の演者や物語のキャラクターを含める。
人間という言葉は現実の人間から想像上の・架空の人間にまで適用されることは明らかである。」

16 他の裁判官も、この点においてMalcolm裁判長のアプローチに賛成した。Roberts-Smith JA【Roberts-Smith上訴審判事】はまた、カナダ最高裁のR v Sharpe [2001] 1 SCR 45裁判における判決も支持していた。この裁判については後に短く言及する。

17 Malcolm裁判長は連邦法法律解釈法の22節【11段落】を適用した(154 A Crim R at 380)が、彼の判決では後に与える影響を考慮しておらず、私が考えるところでは、法文の文脈中の「人間」の意味は評判の悪いものであり、解釈上の条項に言及するためには必要ないと結論した、と思われる。
Malcolm裁判長には暗黙的に、「自然人」に「ヒト」を表すことを意図した架空の・想像上の人間も含まれるという視点があったようにみえる。
もし私がこの視点を適切な観点を以て肯定するならば、これが、記述された物の中での「人間」の意味を熟考するという目的のために私が辿り着こうとした結論である。
しかし、この意味づけは連邦法法律解釈法から派生したものではない。

18 Holland裁判は文字の作品を扱った裁判で、今回のケースは画像を扱った裁判であるという立場の明らかな違いはさておき、Holland裁判で問題となった本の中のキャラクターは明らかにどんな視点から見ても架空の「ヒト」であった。
私がその本の引用や記述をよく理解しているように、その本のキャラクターは、実在の「ヒト」ではないけれども、「ヒト」を表すことを意図してはいないという示唆はなかった。
連邦法刑法の言葉を用いれば、彼らは(架空の・想像上の)人間を描写したものだった。

19 上告人の代理人が提出した意見では、Holland裁判は違う法律を取り扱っていて、さらに重要なことには、取り扱っているのは記述された表現であり、視覚的な表現ではないというところから、基本から区別されるものだと述べられている。
また、先述したように、Holland裁判の架空のキャラクターとは異なるので、ここでのマンガのキャラクターは明らかに「ヒト」を表すことを意図してはいない、とも主張している。むしろ「ヒト」がどのようなものであるのかという注釈を意味しているのである、と。

20 文字の作品の中で人間を描写することと画像の中で人間を描写することには、根本的な違いがあると私は考えている。
前者の場合では、「像」が創られるとき、-その像は少なくとも詳細なものではないが-それは心の中に創られる。
著者が現実の人間を記述しようとしていようと現実でない人間を記述しようとしていようと、創られる像に違いはないだろう。
その過程には、どんな現実の人間も存在する必要はない、あるいは実在する必要さえも全くない。
この視点から、文字の作品で描写されるすべての人間は、必ず想像の中の人間である。
誰も表示されない-架空の人間であろうとなかろうと、言葉で記述されるだけである。

21 所持することができる類の記述したものと画像は、まったく等価ではない。
文字で記述されたキャラクターは、画像で描写されたキャラクターとは根本的にまったく異なる。
前者は決して現実に生きている人間を視覚的に提示しない。記述によって表すだけである。
しかし後者は、キャラクターになりきったり役割を演じている人間であっても、現実に生きている人間を提示することができる。
もちろん、「人間」を描写したものとは、実在する人間を描写したものであり、また人ではない人を描写したものであり、また先述したとおり、想像上の人間を描写したものである。
私の考えでは、「人間」が今言ったような想像上の人間を意味するかどうかという疑問は、画像で表された想像上の人間を考察する場合と、文字の作品の中で記述された場合とでは、まったく異なる疑問である。
短く言えば、文字で記述される場合では、現実の人間と、想像上の・架空の人間とを区別することに意味はないが、画像で表される場合では、この区別は現実的で根本的なものである。
もちろん、立法がその区別をするかどうかは、また別の問題である。

22 Sharpe裁判ではカナダ最高裁はchild pornographyの所持を禁止することが合法的か、あるいは表現の自由を不当に侵害するものなのかを検討した。
カナダ刑法はchild pornographyをこう定めている。
「18歳未満のように見え、かつ、あからさまに性行為をしている、もしくはしているように描写された人間を提示した…電気的な方法を用いているか機械的な物かによらず、写真、映画、ビデオ、その他視覚的に表現できるもの…あるいは…この法律の元に違法であろう18歳未満の人間を使って性行為を支持し、または推奨する記述物もしくは視覚的な表現物。」

23 McLachlin裁判長は、「人間」に関連しては、こう述べた。

「[37]child Pornographyを構成するためには、その視覚的表現が、「人間」の性行為を提示し、描写し、支持し、または推奨していなければならない。
ここで2つの問題が浮かび上がる。
 (1)「人間」とは実在の人間のみを指し、想像上の人間は指さないのか?
 (2)child pornographyを構成するような物を所持する人間には、カナダ刑法は適用されるのか?

[38]前者の問題が重要である。
なぜならこの問題は、child pornographyの所持の禁止が実在する人物を表したchild pornographyにのみ適用されるのか、とか、所持の禁止が想像を描いたもの、マンガ、またはコンピュータで作製した合成物にまで広がるのか、といった問題を包括するからである。
あからさまに性的なものは、実在する子供を描写しているかどうかに拘らず有害なものである、ということを示唆する有効な証拠がある。
さらに、現在の技術は高度であり、「現実に存在する」人間とコンピュータで作製した創造物や合成物とを区別するのは非常に難しい。
子供にとって有害な合理的なリスクを提示する物の所持を有罪化するという立法の目的にしたがって「人間」を解釈すれば、「人間」には、実在する人間を描写したものと同様に想像の視覚的な産物も含めるべきだと思われる。
…「人間」には、実在の「ヒト」と想像上の「ヒト」、両方とも含まれる。

[39]この「child pornography」の定義には、個人的に創造し、創った人間のみが所持するような想像上の「ヒト」を描写したものも含まれる。
それゆえ、child pornographyの所持の禁止は、思考や創造の視覚的な表現物の所持も禁止し、またそれは独りだけのな創造や楽しみのためのような非常に個人的な範囲での所持にまで及ぶ。…」

24 カナダ刑法のこのような潜在的な適用範囲は、表現の自由に不正に干渉するかどうかを決定することに関係した。
まさにこの点において、カナダ最高裁の判事の多くはこう結論した(150 CCC at 370-371)。
創造者がその創造物を個人的に使用することを目的としているならば、自分で創った想像の創作物や自分を描写したものを禁止することは、「子供達の保護へはほとんど寄与しない一方で、表現の自由を著しく侵害する。」それ故、権利憲章の元で、不正である。
このような文脈では、オーストラリアの法律の解釈を考察するときの理由付けに適用するには、ある程度制限される。オーストラリアの法律とはかなり異なった文脈だからだ。

25「人間」という言葉の意味についてのこの結論はまた、通常の会話で使われるような「人間」が、現実の「ヒト」と仮想の「ヒト」を包括している、という視点から考えられたものではないようにも見えるだろう。
むしろこの言葉は、カナダ刑法の目的として認識されている事のために、このような広範な意味合いを与えられたのであり、このようなアプローチは表現の自由を制限することが正しいかをよく考えさせるために必要とされた。
カナダ刑法の目的はオーストラリアの法律の解釈に当たって重要なものであるけれども、同程度の優先順位があるわけではない。
同時に私は、オーストラリアの法律のここでの目的はカナダの法律の目的と同じであるということを受け入れるだろう。
西オーストラリア控訴院はHolland裁判の中で、彼らはSharpe裁判を支持したが、法律の文脈の中での「人間」、もちろん、記述された、また視覚的でない物の中での「人間」という言葉が普通に意味することを熟慮するというもっと直接的なアプローチに立脚した見方を表明した。
Craddock主席弁護士は、これはカナダでの判決であり、オーストラリアで下されるような判決とは関連性に乏しいという点で、Holland裁判を区別するために、彼と同じ立場であるが、Sharpe裁判で採られた多数派の理由付けを採用するべきではない、という意見を提出した。

連邦法刑法の「人間」

26 文学作品がそうであるように、絵画やその他の視覚的な表現物はしばしば仮想的・想像上のキャラを描いたものであるということで悪い評判がある。
連邦法刑法の本来の目的は、さまざまな性的、もしくは性的であるように見える状況にある、現実の子供の不快な画像の中で起こっている、直接的な子供の性的搾取や虐待と戦うことであるが、それと同時に、付帯文書に記述されているように、子供の虐待を含むものへの要望を焚きつけてしまうような-マンガを含んだ-表現物の生産を抑止することも計算されている。
私の見解では、「人間」の意味を実在する人間のみに限定する理由はない。
「人間」の完全かつ通常の意味は、完全に説明できる。
もしその必要があれば、私は付帯文書【12段落】を用いて説明するだろう。しかし、連邦法刑法の条項はあいまいではないと考えているので、私はそういう行動は取らない。
法律上の定義が適用されるような人間を描写したものや表現したものには、架空のキャラクターの絵画(この場合では模型や彫刻かもしれない)、したがってマンガを含む。

27 しかしこれだけでは、今回のようなケースの問題を完全には処理しきれない。
デジタル的に創造された「ヒト」は架空の・想像上の人間であっても、「人間…を表現したもの」である可能性があると、上告人側主席弁護人であるCraddock氏は認めたが、彼は、ここで問題になっているようなマンガ絵までは上記の「ヒト」には含まれない、と主張した。このマンガ絵は(私が先述したように)明らかに、「ヒト」の比喩、または「ヒト」の類似物を意図したものであるけれども、「ヒト」ではないことを明示するために故意の入った描き方をされたものである、と。
この議論を別の方法に置き換えれば、このマンガが「ヒト(つまり人間)」「について」描いたものであるという事実は、ただそれだけでは、人間「を」描写したもの、または人間を表したもの「を」描写したものとはならない、ということである。
この点において、私はシンプソンズから派生したどのような創造物も、上記のような議論が適切であるのかと疑いを持っている。
今問題になっていることは、件のマンガで描写されているものが違法になるかどうか、である。
あるマンガが人間を表したものであるかどうかは、事実と程度の問題に違いない。
ヒトの性器を表したものは、いくつかのケース(わたしは今回のようなケースが当てはまると思うが)では、決定的であるだろう。
今回のマンガは、「ヒト」と認識できる形とは異なっているので、人間のように見えない部分もあり、いくつかの点では、まったくそうであるようには見えない。
ウサギやアヒルに、しゃべるという「ヒト」の特徴を与えただけでは、その「ウサギ」や「アヒル」はほかのウサギやアヒルとはまったく異なっているような、はっきりとしたヒトの特徴を持っていたとしても、彼らの画像は「人間」を表すための要件とは違った画像のままである可能性もある。一方で、多くのマンガのキャラクターは、すべてではないが、現実の「ヒト」によく似たかたちで描かれている。

28 Craddock主任弁護士は、問題のマンガのように描かれている図画は明らかに、そして故意に「ヒト」の形とは異なって描かれているので、これらを法律の定義内における人間であるとすることは出来ない、という意見を提出した。
確実に、このような図画は連邦法法律解釈法1901【11段落】の中での「人間」の定義の意味の中の「自然人」ではなく、一方で架空のキャラクターならばそうでありえる、と彼は主張した。
しかし、連邦法法律解釈法の中ではっきりさせようとした定義は、架空の人間と現実の人間との間の定義ではなく、法律上の人間とであるとと見なされる法的実在同士-すなわち自然人と、様々な種類の企業団体-の間の定義である。
連邦法法律解釈法は、私が考えるところでは、連邦法刑法473.1節【10段落】やそれに類する連邦法刑法の条項の目的に合った「人間」の意味を定義することを意図していない。

29 棒の図画の類似性へ戻るが。棒の図画は人間を「描写」しないかもしれないが、人間を「表す」ことは出来ると、私は考える。(この問題は後述もする)
連邦法刑法違反としての言葉を使えば、棒の図画を使用した絵は、「人間を表したもの…を描写する。」明らかな理由として、年齢の特徴を持っていたり持っていなかったり、それ故、他の理由から除外されるかもしれないが。
もちろん、棒の図画は「ヒト」を表したものとは異なるものを表すことも出来る。
そこで、次のような疑問が残されるだろう。今言った「ヒト」を表したものとは異なるものは、もはや人間が表されているようなものではないのか。
従って、架空の図画のマンガは人間を表したものを描写することが出来る、すなわち違法の根拠となり得る。
私は「表したもの」という言葉を、nはいかなる数字も「表したもの」である、という代数学的な感覚では使っていない。
それゆえ私は、球が、「man」とラベルされ、近くに「child」とラベルされた小さな球があったとしても、違法という意味の中で「人間」を「表したもの」であるとは受容できないだろう。
少なくとも、いくつか「ヒト」の形をした外見がなければならない。ただの記号では、表したもの、にはならないだろう。

30 今回の問題に関するかぎりでは、私には以下のように考えられた。それが実際に「人間を表したもの…を描写する」かどうかは、事実の問題であり、また、上訴人の二回目の提出意見で述べられたことはたくさんあるが、どれも、治安判事がこの問題を連邦法刑法違反であると結論したことには法的な過誤がある、ということを証明しない。

州法犯罪法の「人間」

31 州法犯罪法違反について。
child pornogrphyを「16歳未満(もしくは16歳未満のように見える)人間…を描写し、または記述した」物とした定義は、これに加えて「人間」を表したものを描写したものにも適用した連邦法刑法の定義とは明らかに異なる。
「記述した」は、普通の感覚では-そして、私はそのように解釈されるべきだと考えるが-視覚的な表現物は含めない。
つまり問題は、マンガ絵のことを「人間」を「描写している」と言うことが出来るかどうか、そしてそれはそのマンガ絵が「ヒト」の絵とは意図的に異なって描かれている架空のキャラクターの絵であっても、つまり「ヒト」ではないものを描写している場合にでも、そうであると言うことが出来るかどうか、である。
この区別による議論は上述でまとめてあるので繰り返さないが、この議論は明らかに、連邦法刑法違反よりも州法犯罪法違反により強い強制力を適用させている。

32 New Shorter Oxford English Dictionayでは、「描写すること」を「描くこと、または表すこと」と定義している。
たとえば絵として「ヒト」を描写することとは、私が思うところでは、その言葉の普通の意味での描写することであり、その描写された「ヒト」が想像上の、または架空のものであるということは、ただそれだけでは、重要でないことである。
今回のケースは、架空のマンガのキャラクターはそれ自体が、あるいは重要な部分が明らかな、意図的な方法で、架空の「ヒト」とさえ区別するために、「ヒト」のリアルな表現物とは異なっているならば、たとえそれが人間を「表し」たり象徴したりしていたとしても、「人間」ではありえない、よって地方判事は間違った結論を下した、ということである。

33 原告側代理人Craddock主任弁護士は次のような意見を提出した。州法解釈法1987【9段落】の中の、「人間」に「個人、法人、企業・政治団体」を含めるという定義は、少なくとも、「自然人」を描写したものであことを意図されていない図画を描写したものを有効的に除外している。別の言い方をすれば、架空のキャラクターは「自然人」ではなく、(自然人を描写しないようにデザインされたので)上記のように描写したものは従来「自然人」のように見えるものとは異なっている。つまり「自然人」を描写したものではない、すなわち違法ではない。
しかし、州法解釈法の中の「人間」の定義は包括的ではあるが排他的ではない。
さらに、連邦法法律解釈法のように、その定義が定めようとしているのは、実在する人間と架空の人間の間の区別や、「ヒト」を表すことを意図して描写したものとそうではないものの間の区別ではなく、法的実在同士の間の区別である。議論が州法解釈法に依っている限りは、その議論自体が間違っている。

34 この州法犯罪法が制定されたとき、大臣は「child pornographyを所持している者は、直接は子供を傷つけないかもしれないが、このような物を生産したり広めたりする者のための市場を形成させる」という事実に言及した。
彼はまた、そのような市場や「child pornographyを生産する、またそのような生産物の中で子供を虐待する(イタリックは付加したもの)ような推進力を排除するための効果的な抑止力の創設が必要であるとした。
彼はさらに述べた。

「性的な状況の中にいる子供を描写したり記述したりしたものとは、たとえば子供がわいせつな格好で描写されていたり、性行為をしている人間を見ていたりするようなシチュエーションを含んだ広範なカテゴリーである。
どんな事情があろうと分別のある人間を不快に思わせなければならないという制限は、たとえば裸の子供が写った純粋な家族写真はchild pornographyの内に入らないということを保証する。
子供が拷問を受けていたり、残酷なことをされていたり、身体的な虐待を受けていたりする物を含むということは、まったく性的ではない虐待でも、依然として不快な物であるならば、child pornographyの内に入るということを保証する。」

35 この文言は実在する子供がその描写物の主体でなければならないということを示唆している。
連邦法刑法の付帯文書【12段落】とは違って、マンガについては述べられていない。
辞書の定義が、普通の用語としての「描写すること」に、描くこと、または表すことを含むということを示した、という事実だけでは、描写された「人間」が架空の人間とは区別された上で現実の人間でなければならないのかという疑問には答えていない。

36 Craddock主任弁護士は、普通の用語としての「人間」に現実の「人間」も想像上の「人間」も含まれるかどうかは、その文脈・背景・状況によると主張し、私はそれに理解を示した。
これは明らかに正しい。
彼は続けて、州法犯罪法で禁止する目的は「人間」が「実在する人間」を意味するとして解釈することで達せられると主張した。
彼は、明らかにこれが、Second Readingスピーチが焦点を当てたことであり、それより広範な意味を持たせることを意図してはいない、と指摘した。
もし想像上の人物を描写したものを所持することも有罪化する意図があったのなら、そのように法律を定めることは比較的簡単だったはずである、という事実を彼は信頼している。
人間という言葉が曖昧なので、より広範な意味を関連づけることに対しては上記の根拠ある推定が適用されるべきだという意見が提出され、Einfeld v R [2008] NSWCCA 215での、最近のルールの再提示が引用された。

37 人間という言葉が、文脈・背景・状況からその意味を決められるということを受け入れた上で。今議論されている法律の背景とは性的搾取と性的虐待から子供を守ることである。
「人間」は、その普通の意味として、現実の人間と同じように架空の人間を示すことが出来る。
普通の意味の適用範囲にどんな人為的な制限も関連づけられる理由はなく、適用範囲はその背景から説明できる。
従って、人間という言葉は一つ以上の意味を持っているけれども、私にはその適用の仕方が曖昧だとは考えられず、それゆえ、Craddock主任弁護士によって解釈された推定を適用する必要はない。

38 「人間」が架空の・想像上の人間を意味することもあり、絵として描かれることによって描写されることもある、ということを受け入れたならば、それはつまり、マンガのキャラクターはそのような「人間」を描写したものを構成することもある、ということを意味する。
これが、私が「人間を描写する」というフレーズが根本的に違う2つのシチュエーションを含むということを示すために努力してきた結果である。
しかしそのどちらの場合でも、法定の定義に含まれる、と私は結論づけた。

39 連邦法刑法違反と関連して述べたように、child pornographyと判断される絵は、「ヒト」の絵であり、また「ヒト」であると認識できる絵でなければならないが、特定の「ヒト」が描写される必要はなく、また現実の「ヒト」からかなり逸脱したものであったとしても、その描写物はこの意味においての人間を描写したものではないとは必ずしも言えないだろう。
これはCraddock主任弁護士が指摘した点とはまったく異なる。彼は「ヒト」の形から逸脱したものだけでなく、その逸脱物がどんな「ヒト」とも件の図画を区別することを意図されている、また分別ある人がそうであると理解できるだろうという明らかな事実を信用している。
実質的に、このマンガが人間の単なる比喩ではなく、「人ではない人」を描いたものであるということが議論されている。
しかしこれには、疑問が呈される。
もちろん、「人ではない人」は人間ではなく、この問題が提示することは、「人ではない人」とは何か、という単純な疑問である。それについての議論はこれ以上進められない。

40 「ヒト」の外見や像にによってたしかに人間が描写されるかは、事実と程度の問題でなければならないと私は考えている。
ほかの有名な画像を利用するために、ウサギやアヒルや花にしゃべるための人間の特徴を与えただけでは、その描写物の主体がウサギやアヒルや花のままであると言うことが適当ならば、充分でないだろう。
棒の図画は、私が考えるに、人間を描写することは出来ない-連邦法違反を見ようとも-棒の図画は、人間を表したものをよく描写することは出来るかもしれないが。
法律で定める範囲に含むか含まないかの明確な線は感覚的に記述することはできない。
もちろん、人間を描写することは違法性の重要な要素なので、合理的な疑いを持ってそれを証明されなければならない。
従って、その描写物が人間を描写したものではないという合理的な可能性があるならば、違法行為は証明されない。
つまり、架空のマンガのキャラクターは、重要な部分が「ヒト」のものと認識できるのかたちとは異なっていても、州法犯罪法の意味の中での人間を描いたものであるかもしれない。

結論

41 私の見解では、連邦法と州法上では、「人間」には架空の・想像上のキャラも含まれ、今回問題となっているシンプソンズの絵が、いくつかの点で「ヒト」のリアルな表現物とは異なって描写されているという事実だけでは、シンプソンズが「人間」ではないということにはならない、という決定においては治安判事は正しかった。
その上で、治安判事は、問題となったマンガの中の図画は本当に、法定の定義の意味での人間を描いたものである、と結論した。
先述したように、この決定は事実の問題であり、従って私が熟慮すべき問題ではなかった。
しかし、上訴人側代理人との議論を通じて、私はこういうのが適切だと考えている。治安判事の理由付けと結論にはいかなる過誤も見当たらない。

42 従って、訴えは退けられる。これは難しい問題を扱った最初のケースであるので、費用はそれぞれの負担になる。

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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人

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