hixの日記: 怪しい社屋を大いに語る
ただ私は林昌二氏がこの本のなかで次のように書いていることに注意をうながしたい。この部分はさる新聞に書いたが肝心なところだから改めて言いたい。
世間の社長族は自分の商売には辛いが、自社ビル建築のような一世一代の巨大な買い物には途方も無く甘い。有名な工務店だから、有名な建築家だから、ゴルフ場の友だからというだけで依頼する。重役たちも反対しない。反対できるだけ勉強していない。有名なら一議に及ばず信用してあの巨大なビルを坪当たりいくらで見積もりさせて怪しまない。あとは担当役員をきめて一任して、時々報告をうけて念頭から去っている。
建築の担当者に二種あると林氏は言う。無能な役員と有能な役員で、無能は他の重役たちの意見を聞いて回って、他社のビルの長所を集めて、長所だらけのビルをつくりたがるが、よせ集めはついによせ集めでかえって醜悪で使いにくい。けれども前のビルのほうが使いよかったという声は、なん年かたたなければあがらない。
有能は何をしでかすか分らない。社屋の設計は本来は社長の仕事で、社会に対する企業の印象、社内の組織、労働環境その他もろもろの重大事はすべて社屋計画によって大影響を受けるのに、その自覚があるものがないから嬉しくてならない。こんなやり甲斐のある仕事はないのに、誰もそう思わないからひとり計画を練りに練って、一つ一つさりげない提案をする。社長はふんふん承知する。出来上るとそれは恐ろしいような重大な決定だと分って、そのときはあとの祭りだというわけである。担当の重役は次期社長と手をにぎることも可能なのに、それに気がつくものがない。
社屋の計画は平和のうちに革命を成就するよき機会だと林昌二氏は注意をうながしているのである。担当者の提案に十分な根拠があるときは、社長のほうにはそれがないから太刀打ちできない。世の常の社長は外装タイルの色の選択くらいをまかされて満足していると林昌二という著者は笑っている。
「恋に似たもの」とは、糸井重里の対談でたびたび出てくるお話のタイトルなのだが、随分と古い話のようである。
そのお話の著者である山本夏彦は、わたくしの祖父とだいたい同じぐらいの歳の人である。
同名の本は、古いのだか新しいのだか良く分らない本で、少なくとも前世紀の物である事だけは確か。
あとがきには「昭和五十六年初夏」と書かれているので、文章はそれ以前のもの。前世紀どころか元号が一つ古い。
わたくしの年齢で言うと小学校低学年ぐらい。
それにしてもそんな昔の話が面白いなんてね。
まだ全部読んでいないのだが。
3つ前の日記にて書こうと思ったのだが、違う話で終わってしまった。
冒頭に長々と引用したものは「建築事務所」というコラムから。
わたくしが最初に就職したカイシャも「自社ビルを建てる」と息巻いてヘンテコな建物を建てて、バブル崩壊を乗り切れなかった。
社長はカリスマ性が感じられたが取締役は阿呆だった。役員が社長に上げる報告は粉飾や誇張ばかりだと先輩に聞かされていて、正味の実態を社長が知る頃は既に手遅れだった。
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