hotta-sの日記: 59ごうせつ
気になって調べてたらWikipediaの記事になってた。
五九豪雪
私は昭和59年3月高校卒業で、ちょうどこの頃就職面接やら共通一次を受けに大津まで行くことが多かった。
記事には滋賀のことはあまり書かれていない。彦根の総降雪量が355cmということくらい。
この時は何回かに分けて大雪となり、その直前に私は大津に行ったり祖母の見舞いに行ったりと出かけては帰宅後閉じ込められる生活だった。
国家雑務員受かっていたので採用面接に呼ばれていくのだが、いずれも帰路から雪になり翌日以降電車が止まった。
共通一次は小雪の中滋賀大教育学部まで行った。この時はそこまで荒天にならなかった。
祖母の見舞いに関ケ原行った時は雪の中。「さすが長浜の人、雪でもみえられる」と病院の人に言われた記憶がある。「暑いから氷食わせろ」「窓の外に雪がある」という祖母の発言に皆感心し未だ大丈夫だろうと家に戻った夜半に呼び出しが掛かり父のみ現地に向かったらそれが最後だった。葬儀と雪で父は一週間ほど帰ってこなかった。
高校3年のため、登校は数回しか無く、いずれも雪除けが仕事だった。
米原在住の担任がクルマで来れないため徒歩で学校に向かったら、着いたのが夕方だったとかそういう武勇伝ばかり聞かされた。
面接受けたところから、採用するから健康診断受診していついつまでに送り返せとの速達書留が届いたのはその期日の前日だった。速達書留の文字は黒く消されて。
このころにはこの辺りの天気は回復していたが、交通事情は寸断のまま。なので郵便も遅れる。
こんな大変だったのに、気象庁命名の豪雪は38豪雪と平成18年豪雪だけ。私の生まれた昭和41年1月も、弟の生まれた昭和45年2月もメーター超えの雪だったが。それが当たり前だったんだろう。
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