k3cの日記: オープンソースの本質とは 1
誤解していませんか?オープンソース「ホントのホント」 第1回 オープンソースの本質
あのTechStyle 風穴氏の連載。なのだが。
すべての意味は、ある1つの基本的な性質から派生したものだと言ったほうがいいでしょう。そして、それこそが、オープンソースの本質を考える上で重要な鍵となるものです。
その基本的性質とは、ズバリ「不特定多数による共同開発」ということです。
…そ、そうなんですか?ワタシはそれすらOpen Source Definitionから派生した一形態だと思ってましたが…。
世の中にはほとんど一人のヒトによって開発されているオープンソースもありますし、特定多数が舵を握っているプロジェクトもあります。それらがオープンソースの本質を外しているかというとそんなことは全然なくて、再配布や改変が可能で、ライセンスがおかしな制限を課していなければ、いろんなところで用いられていくこともあるし、逆にバザール形態で開発されたプロダクトもヒトが好き勝手にマイナーチェンジを加えて、自分と同じような要求を持つヒトが幸せになれるように公開することもできる。
もちろん、マイナーな変更を加えても加えなくても、オープンソースなプロダクトで好き勝手に商売していい。共同である必要なんか全然ないはず。
そうやって、オープンソースの定義がもたらす様々な可能性を考察して行くと、やっぱりその本質にあるのはOSDの精神だと思うのですが。違うのか?
あと、
1991年に開発が始まったLinuxは、またたく間に「使えるOS」になっていき、後発ながら、UNIX互換OSの開発という面では、明らかにGNUプロジェクトの成果を追い抜いてしまいました。
というのは、Richard Stallmanに言わせれば「GNU/LinuxはOS以外の部分にGNUの成果を用いることで広く用いられるようになった。だからGNU/Linuxと呼べ」ってことになると思うのだが。
# 最近、これはもっともな言い分であるような気もしているのだった。
…自分でも何が言いたいのかわけが分からなくなってきた。とりあえず、第1回と銘打ってあるからには続きがあるのだろう…また気がついたら見に行くことにしよう。
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