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日記

kazekiriの日記: バブル期までのLinuxイベント

日記 by kazekiri

SNSのTLをだらだらと眺めていると何やらイベントらしき写真が流れてきた。Open Source Summit Japanというイベントが開催中らしい。今時にオープンソースイベントか!と若干心が踊りつつ、アクセスしてみると、

LinuxCon, ContainerCon and CloudOpen become the Open Source Summit beginning in 2017.

あぁ、Linux Foundationが幾つかの自前イベントをマージさせただけか、と落胆することになった。Linux、コンテナ、クラウドの三要素でその名前はちょっとないだろう。まあ、多くの日本人がこういった場で話しているのは喜ばしいことではあるか...。

と、そんな経緯から、以前は毎年動向をチェックしていたLinuxとオープンソース関連のイベントの現在をだらだらとチェックしてまわっていたのだが、悲しいことに既に有名なイベントの多くは毎年の開催を停止してしまっているようだ。Linux界の三大カンファレンスの中で現在も変わらずに開催を続けているのは、オーストラリアのLinux.conf.auだけである。最も古くから開催されていたドイツのLinux Kongressは2010年、Ottawa Linux Symposiumは2014年が最後の開催となっている。ただ、O’Reilly社主催のOpen Source Convention(OSCON)については、Linux.conf.auと同様に昔のままのような空気を保っているように見える。OSCONは、ESRが北米で初の「伽藍とバザール」の講演を行ったことでも触れたPerl Conferenceから発展したイベントであり、1999年の開催からPerl以外の様々なオープンソースソフトウェアのトピックを扱う現在の形になっている。O'Reilly社のネットワークを活かして様々なオープンソース開発者が集まり、そこで新しいプロジェクトは発表されることも珍しくはなかった。様々なオープンソース開発者が直に出会うことで新しい何かが生まれるのである。私の記憶ではOpenOfiice.orgの発表もOSCONだったように思う。

カンファレンスはこんなところとして、展示会中心のイベントとなるともはや現在も残っているものはほぼないように思う。ここで歴史を振り返ってみると、Linux系としては最古のLinux展示会は、ドイツのLinuxTagと米国のAtlanta Linux Showcaseあたりではないかと思うが、どちらも1996年が初開催であり、地元のLinuxユーザ会の有志が立ち上げたコミュニティイベントである。双方共に当初は非常に牧歌的な草の根イベントであったようだが、1998年あたりからは参加者と出展者が激増するようになったようだ。LinuxTagでは運営組織が新たに作られ、Linux Showcaseはユーザー会ではなくLinux InternationalとUSENIXが運営に関わるようになった。ただ、どちらもボランタリーのイベントの空気をそのまま残していた。

このあたりのイベントへの参加者の熱気、そして1998年からのオープンソースのムーブメントが重なったことは、IT分野のメディアとイベント運営企業として知られていたIDG社のCEOのPatrick McGovernの目に止まることになる。IDGはMacWorldでよく知られていたように、後ろにWorldを付けた雑誌、Web、イベントを手広く開催していたが、このIDGが商業ベースとしては初と言えるLinuxとオープンソース専門展示会であるLinuxWorld Conference & Expoの計画を立てたのである。

ただ、IDGとしては正直なところLinuxコミュニティという得体の知れない存在にどう対処すればいいのか分からなかったのだろう。Linux InternatinalとSVLUGの重鎮であり、コミュニティにどっぷり浸かっているように彼らからは見えたVA社CEOのLarry Augustinに最終的に相談することになる。最初は気乗りしなかったという彼の言葉を聞いたこともあるが、同時期にSVLUGがLinux関連のカンファレンスを計画していたこともあり、どうせなら一緒にして派手にやるかとでもなったのではないだろうか。

1999年3月に第1回目がSan Joseで開催されたLinuxWorldは、彼と周辺のコミュニティの感覚がそのまま取り入れられ、企業ブース、技術講演といった基本要素に加え、オープンソースコミュニティ用のブースやSVLUGのミーティングがセットになったイベントとなった。基調講演は当然のようにLinus Torvaldsが行い、Linusの呼び出し役をLarryが務め、途中からはLinusの娘が乱入するというその後何回かの定番となるスタイルもここで出来上がった。LarryはこのLinuxWorldの事実上のホスト役としてメディアに追われ、ESR、Linusと共にその時々の業界の動向について記者会見も行うという流れにもなっていた。展示フロアでは多くの企業ブースと共にFSF、Debian、GNOME、FreeBSDといったプロジェクトの面々がブースを構え、RMS、Miguel de Icaza、Jordan Hubbardといった面々が黙々とキーボードに向かい、ESRやBruce Perensがフロアを歩きまわり、Debianの連中はこんなマシンでDebianを動かしたと自慢し、Slashdot Guyはいつものようにふざけていた。また、ドットコムバブル期らしく、毎日のようにどこかの企業やコミュニティ主催のパーティが開催され、それをハシゴするのも定番のようになっていた。

LinuxWorldはその後、夏にSan Francisco、冬にNew Yorkと年二回開催されていくことになり、VA社はこのような経緯からコーナーストーンスポンサーというポジションに置かれることが予め決まっていた。コーナーストーンとは礎石のことである。コーナーストーンスポンサーであるVA社のブースは正面入り口前に最大規模で置かれ、コミュニティ用のブーススペースや来場者用のメールサービスコーナーのホスト、技術講演の選定役といったことを行う流れだった。

まさにLinuxWorldではVA社が主役だったわけだが、2001年8月のLinuxWorld、入り口にはいつものようにVA社のタワーが建っているものの特に展示物や人員の配置はなく、正面入り口前なのにまるで通路のようになっており、そこを来場者がブースなぞ何も存在しないかの如くその奥にある他社のブースへと向かって歩いていた。そう、礎石が消えたのである...。

懐かし話はここまでにして強引に話を戻し、次回こそIPOから。

次回:Red Hat、Cobalt、Andover、そしてLinuxOne?のIPO

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