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日記

kazekiriの日記: 何故、VA LinuxはAndoverを買ったのか?

日記 by kazekiri

1999年12月9日、VA Linux社は驚異的なIPOを成し遂げたが、直近四半期の売上は1,700万ドル、資産もほとんどがIPOで得た現金であり、1億5000万ドル程度の規模でしかなかった。 100億ドルに迫る時価総額をとうてい正当化しそうもないのは明らかであった。そのため、ある程度の調整が入ることは仕方がないとしても、このあまりにも高過ぎる評価を維持するために即座に行動を起こすことがVA Linux社の取締役会へ求められた。足下のハードウェア事業についてはさらに引き続き高い成長を見せていることは分かっていたが、今は手元に現金と驚異的な評価が付いた株式がある。必然的にこれを効率的に使用して企業買収を行い、VA Linux社の価値を高めなければならなかった。

ということで、VA Linux社は企業買収へ動き出す。

取締役会での議論に詳細については私が知る由もないが、Eric Raymondが2014年に当時を述懐した短めのブログ記事からは興味深い事実が浮かび上がってくる。この記事とVA社からのSECへの提出書類を合わせて時系列を推測すると、IPO直後の1999年12月中旬以降に開催された取締役会にて企業買収を進める方針が出され、さらに年明けの2000年1月12日の取締役会にて4社に買収ターゲット企業が絞られ、それぞれ検討がなされたということが分かってくる。

その4社とは、Silicon Graphics (SGI)、SuSE、Andover.net、そして確証はないがおそらくLinuxcareだったと思われる。

ESRの述懐が正しいとは限らないが、ここでその4社の案を2000年1月12日の取締役会の段階として考察してみよう。

Silicon Graphics (SGI)案

ITおじさんであれば知っているが今どきの界隈の人は知らない方のSGIである。グラフィックス用のUNIXワークステーションで一世を風靡したSGI社は、90年代にはRISC CPUの開発で知られるMIPSとスパコンの世界で高名なCray Researchを吸収し、UNIX系ベンダーの名門の一角として君臨していた。ただ、90年代の中頃以降から成長の踊り場に達し、97年の36億ドルの売上をピークに売上も急激な下降線に向かう。1998年にItaniumアーキテクチャへ移行することを決定してからは特に事業の歯車が狂いだしたことは印象として強く残っているだろう。

SGI社は1998年にもリストラを断行していたが、1999年秋には追加で1,000以上のポジションの廃止や一部製品ラインのキャンセルなどを含む大規模なリストラを実施していた。この2000年初頭の時期にはMIPSとCrayはお荷物と見なされており、SGI本体から切り離すことも急務だった。(実際、3月にCrayをバーゲン価格で売却し、6月にはMIPSをスピンアウトさせている。)

SGI社とVA Linux社との関係は、Trillian Project(後のIA-64 Linux Project)として当時知られていたItaniumへのLinux移植プロジェクトからである。この結成当初のメンバーは、Cygnus、HP、IBM、Intel、SGI、そしてVA Linuxであり、VA社がプロジェクトのリードを務めていた。Itaniumに会社の命運を賭けてしまっていたSGI社としては、VA Linux社と否応なく関係していくことになる。これが契機なのかは知らないが1999年6月のVA Linux社のシリーズBラウンドにはSGI社も出資し、秋には先に一度触れたDebianのパッケージ製品を共同で出荷することにもなる。

SGI社には大企業、政府系機関、研究機関といった顧客からの根強い支持があり、膨大なエンジニアリング資産もあった。ドットコム系企業とオープンソース支持者からの熱狂的な人気に頼っていたVA Linux社としては自社にはないリソースを手に入れることができる理想的な相手であることは間違いなく、SGI社からしてもこのまま独立系のUNIX企業として縮小を続けていくよりも、Linuxサーバーで勢いにのるVA Linux社と一緒になることに賭けるという見方もあったようだ。実際、VA社のIPO直後から2000年3月にかけては何度かメディアでVA Linux社によるSGI社の買収の噂が報じられているし、Crayの売却後は噂に拍車がかかっている。

このマッチングの問題点としては、当時の時価総額ベースではVA社による買収は可能ではあるが、あまりにも事業と組織の規模が違い過ぎることである。ちょうど二日前の1月10日にはあのAOLとタイムワーナーの合併が発表されているのだが、98年度売上高48億ドル、従業員数12,100人のAOLが、売上高268億ドル、従業員数67,500人のタイムワーナーを事実上買収したというケースよりもさらに規模の差が大きい買収となる。VA社の当時の直前四半期売上は1,700万ドルで従業員は200人、SGI社は売上が5億ドルで従業員は8,000人である。VA社が四半期毎に倍々で成長していく見込みだったのに対し、SGI社はさらに縮小を続けることが明確だったという状況であるにせよ、この規模の差は大きすぎるだろう。また、この時点ではMIPSとCrayの引き離しが完了していないこともネックだったと思われる。

どこまで検討が進んでいたのかは分かりかねるが、結果としてこのSGI案はこの場では見送られることになる。仮にVA LinuxとSGIのマッチングができていれば、ESRが新会社の取締役で残ることも考えられ、SGIの膨大なソフトウェア資産がバザール理論に乗せられ、特に既存ビジネスに対して何の考慮もなくオープンソース化してしまうという未来もあったかもしれない。

なお、SGIは縮小を続け、2006年にChapter 11を申請して破綻、再起後の2009年にも再度Chapter 11で破綻、その後紆余曲折ありながらも現在はHewlett Packard Enterprise社の子会社として存続している。

SuSE案

会社規模やビジネスの補完性で考えると割と考えられるマッチングがSuSE案である。当時としては間違いなくLinuxディストリビューション界隈ではRed Hatと並び立つ存在であり、明確なところは分からないが、組織および事業規模もIPO直前のRed Hat社と大差なかったと考えられている。本拠であるドイツを中心にヨーロッパ諸国ではSuSEがRed Hatよりも人気があるディストリビューションであり、また当時はディストリビューションを一社で独占することへの警戒心もあり、それがSuSEを推す原動力の一つにもなっていたと思う。

VA Linux社とはCEOのLarry自身が割とSuSEのメンバーとも交流があったようであり、1998年のオープンソース誕生の会議の際にもSuSEへの連絡を行っている。1999年の11月にはVA Linux社はSuSEとの提携を強化し、VAサーバーでのSuSEのプリインストールモデルも出している。

当時は既にRed HatがIPOを果たし、Cygnusまでも吸収するという状況になっていたが、VA Linux社としてはSuSEを取り込むことでRed Hatへの対抗軸も作れるし、自社で自由にできるディストリビューションを手に入れることができるというメリットがある。SuSEとしても大市場である北米でのビジネスを強化する機会を得るというメリットがある。

このマッチングの懸念点としては、VA LinuxとしてはDebianをRed Hatに次ぐ第二の選択肢として推しており、自社でJoey Hessらを筆頭にDebian開発者を抱えているのに、さらにもう一つのディストリビューションを抱えることになってしまうというエンジニアリングリソースの問題があること。さらにVA Linux社はヨーロッパ圏にも進出の準備を既に行っていたが、ほとんどの売上が北米であるのは明らかであり、ドイツを中心とするSuSEを取り込んでもシナジーを見込めるのはかなり先のことになること。また、事業規模としては割と小さく、買収効果も限られることからその時点でVA Linux社が取るべき選択肢には見えなかったとも思われる。

結果的にSuSE案は見送りとなる。先に触れたESRの述懐記事ではSuSEを選ばなかった理由として、ドイツとアメリカの文化的な差異の面を挙げている。よくあるステレオタイプ的なドイツ人とアメリカ人の差異を挙げ、ダイムラー・クライスラーがその悪例と言っている。私は当時の取締役会のメンバー、特にSequoia CapitalのDouglas Leoneがそのような理由だけで判断するとは全く思っていないが、まだ両社共に本国だけの売上で精一杯の状況で合併効果を見出すのは難しかったのではないかと思っている。

このマッチングが実現していれば、米国内においてRed Hatだけを見ていればいいという雰囲気を牽制できたかもしれないし、VA Linuxがディストリビューションの会社として残るという未来もあったのかもしれない。

Linuxcare案

ESRの記事では "Linux service business"としか書かれていないのでLinuxcareが最終候補だったのかは実際のところよく分からないのだが、当時の状況やVA Linux社のメンバーの関係性から考えるとおそらくLinuxcareだったのだと推測する。そうでなかったとしても、4社に絞る過程のどこかで検討はしていた会社だろうとは想像がつくので、一応ここで挙げておく。

Linuxcareは当時としては珍しいLinuxとオープンソース専門のサポートサービスの会社として立ち上げられた。法人の立ち上げ後即座にLinuxバブルに乗って3,800万ドルの資金を調達し、ごく小さな同業の会社を買収したりしていたが、合わせてもまだ50万ドル程度の売上しかなく、それでいて100名弱の社員を抱え、年間で1,000万ドル以上の損失を出すことが明確になっていた。

VA Linux社としてはメンバーに知り合いも多く含まれ、来たるべくハードウェアベンダーの巨人達との戦いに備えて、サポート事業を強化したいという思惑もあったかと思う。ただ、まだ立ち上がったばかりのLinuxサポートビジネスの現状はVA Linux社自身もよく分かっていたのだろう。Linuxcareの数字は当時派手に喧伝されていた評判とは異なる酷さではあるが、同業他社はこれよりも小さいものがほとんどであり、おそらく真剣な検討はされなかったと思われる。

なお、Linuxcare社はこの直後の1月19日にIPOを申請する。しかし、IPO直前の4月中旬にIPO申請を撤回する。株式バブルがピークを越えたという市況の変化もあるが、その前にLinuxOneとまではいかないもののほぼ同然と言える内容のIPOを許すべきかという問題もあったし、そもそも社内が崩壊していたという話も聞いたことがある。これも当時のバブルを示す一つの出来事である。

Andover.net案

最後はIPOバブルの話題でVA Linux社の前日にIPOを果たしたことで触れているAndover.net社の案であるが、この案は実はVA Linux社から声をかけたものではない。Andover.netに出資し、さらにOpenIPOによってIPOへと導いた投資銀行であるWR Hambrecht + Co社がVA Linux社への売却を発案し、それを1月7日にAndover.net社側へ提案、さらに1月12日のVA社の取締役会当日にCEOであるLarryの下へWR社とAndover社両社揃って持ち込んできた案件なのである。

ということで、時間的な制約からVA社側でAndover.netをあまり精査したとも思えないし、そもそも当初は買収候補として考えられていたとも思えない。SGI、SuSE、LinuxcareはどれもVA Linux社のLinuxハードウェアビジネスを補完する存在と考えることができたが、Webメディアの企業であるAndover.netの場合は全くそうではないからである。むしろ、ハードウェア会社がメディアを保有することによるメディア事業へのデメリットの方が先に思い浮かぶ。

ただ、VA社はこの時点においてLinux.com、Themes.org、SourceForge.netというコミュニティ向けのWebサイトを運営しており、VA社のオープンソースブランドを向上させるためとは言いつつも、人気が上がるにつれてコストが上昇し、非営利で運営することが困難になりつつあったという事情があった。Andover.net社側としても、オープンソース関連サイトの50%以上のトラフィックを独占していると自称しつつも、その多くのトラフィックはSlashdot.org由来のものであり、オープンソース関連のメディア群を支配しているとは言い難い状況であった。そのため、オープンソース関連メディアの確固たるトップ企業として君臨していくためにVA社の3つのサイトと一体化することは大きなメリットがあった。

現在からは考えにくいが、Red Hat社がIPO時にポータル戦略を掲げていたように、当時のオープンソースビジネスとしてはポータルを押さえ、そこから広告等で収益を出すという考え方は割と違和感なく実現性があるものと受け入れられていた。Andover.netの収益は前回記事でも触れたようにVA社から見ても些細なものであったが、Yahoo!の全盛期であるこの頃だとオープンソース界のYahoo!を実現できるというのは大きな可能性を感じさせるものであったのだろう。

とは言いつつも、Andover.netの買収はVA社の本業であるLinuxシステムの販売には直接的な寄与はしないことは明らかだった。

買収先の決定

先ず結果を書けば、この2000年1月12日の取締役会でAndover.net社の買収を目指すことが決議された。

Andover.net社以外の三社がどの程度まで検討が進んでいたのかは分からないが、SGIに関してはリストラの進捗への懸念もあったし、SuSEは当時のRed Hatと大差ないとされる評価を受けていた状況であれば交渉は困難になることが予想された。Linuxcareなどはおそらく買収効果を見込むことが難しいとハナから考えていただろう。この3社の買収候補のいずれも買収を進める過程からの困難が予想され、ESRの記事でも「The other board members argued back and forth but were unable to reach a resolution.」となかなか決議に達することができなかったと書かれている。

Andover.netの買収の決定は長らくCEOのLarry Augustinの単なる趣味でSlashdot.orgが欲しかっただけと世間では言われていたが、ESRの記事ではAndover.netの買収はESR自身が決めたと書かれている。当時から14年も経過してからの述懐なので事実と捉えるには心許ないが、Larryの趣味説よりは信憑性が高いと私は考えている。当日に一度Andover.net側からの提案を受けただけのLarryが押し通せば、おそらく他の取締役会のメンバーが再考を促していたと思われるからである。

ESRの記事の流れとしては議論が硬直した後、彼は下記のように主張したらしい。

So I stood up and reminded everybody about the compatibility issue and made the case that our first acquisition needed to above all be an easy one. Then I said “At Linux conferences, think about which of these crews our people puppy-pile with on the beanbag chairs.” Light began to dawn on several faces. “The Slashdot guys. It has to be Andover, ” I said.

ようするに、買収の失敗は企業文化の不一致から引き起こされるものであり、「Linuxイベントでビーズソファに寝そべって寄り集まっている連中は誰だ? Slashdotの連中だろ?」と言って、Andover.netであればVA社と企業文化的に一致すると主張したわけである。それに対し、Sequoia CapitalのDouglas Leoneが「There’s a lot of wisdom in that.」と言って決定されたと書かれているのだが、これに関してはホンマかいな?と思うものの、Andover.netであれば買収後の事業の再構成も比較的単純に済むし、広告という全く異なるラインからの収入が見込め、さらに当時の感覚からすればネットビジネスの将来性も感じられることで同意に至ったのではないかと思う。まあ、この時点ではある意味で余裕があったので、買えるものからどんどん買っていけばいいとしか思ってなかったのかもしれないのだが。

買収の発表とその後

1月12日の取締役会でAndover.netの買収方針を決議した後、即座にNDAの締結、デューデリ実施、諸条件の交渉が行われ、2月2日に両社の取締役会が株式交換の比率も承認し、翌2月3日、New Yorkで開催中のLinuxWorld Expoの基調講演内でCEOのLarryがAndover.netとの合併を発表した。この時のLinuxWorldのフロア内の反応はVAは一体何を考えているのか?と不思議がるものが多かったように思うが、CEOのLarryはこれでオープンソース界のYahoo!が出来上がると得意満面だった。

その後、この合併は当初案では現金を含む内容だったが後に株式のみに変更され、6月7日に合併が完了した。Freshmeat.netではSourceForge.netに対抗してServer51というオープンソースプロジェクトのホスティング機能を追加し、さらにSlashdot.orgではSlashcodeの商用化も計画され、双方共にVA Linuxとの合併のアナウンス直前に発表されていたが、この合併によって全てキャンセルされた。さらに合併により、Andover.net社が保有していたWindows系および技術色が薄いIT情報系の幾つかのサイトは非オープンソースであるという理由で閉鎖された。

合併はVA Linux社が子会社を新規で立ち上げ、その子会社とAndover.net社が合併する形式が取られ、そのためAnoover.netはそのままVA Linux社の子会社という立場になった。そして、VA Linux社側からLinux.com、Themes.org、そしてSourceForge.netが移管され、Slashdot.org、Freshmeat.net、ThinkGeek.comなどと共にオープンソース系のネットワークを構成することになる。そのネットワークと新生Andover.net社は8月にOpen Source Development Network (OSDN)と改名された。

考察

Andover.netはIPO直後でまだ多くの現金を保有しており、株式の評価もまだ高かったことから2億5000万ドルののれんが計上され、VA社のバランスシートは大きく増大した。一方、Andover.netの多くのサイトはまだ収益化の途上であり、メディアビジネスの性格上大きな成長を見せるとは当時からも思われていなかった。実際、買収発表後のAndover.netの最後の四半期決算は280万ドルという小さな売上であり、当時のVA社の連結業績に与えるインパクトは微々たるものであることは明らかだった。正直なところ、この買収はVA Linux社のビジネスにとってプラスであったとは言い難い。

ESRの述懐では、Andover.netを買収するという自分の決断でドットコムバブル崩壊を乗り越えて生き残ることができたと自画自賛している。確かに法人としてのVA社からすればESRの視点で正しいのかもしれないが、おそらくAndover.netの各サイトは単独でバブル崩壊に遭遇したとしても普通に生き残っただろうと思われ、合併によってサイトの閉鎖や幾つかの挑戦的なプロジェクトをキャンセルさせられてることを考えると、Andover.netにとってはこの合併は受難だったのかもしれない。

また、この合併発表後の市場の反応は割と冷ややかなものであり、VA社は合併作業に忙殺されながらも次の本業強化のための買収ターゲットを早急に探さざるを得なくなる。資金と時間をAndover.netの案件で ロスしつつもまだVA社の経営陣は強気の攻めの姿勢だったが、バブルの崩壊はすぐそこに迫ってきていた。

次回、(今度こそ)バブル崩壊とVA Linuxの崩壊。

次回:ドットコムバブルの終焉とVA Linux Systemsの崩壊

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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー

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