kazunosukeの日記: 正しい答え 4
「正しい答えは何ですか?」
知るか。そんなの自分で考えなさい。
だいいち、今は「正しい答え」を求めているのではなくて、君の考えを聞いているんだよ。
「合っている」「間違っている」は聞いていません。
「最近のニュースを1つ選んで自分の考えを述べなさい」と言ってみても、
たぶん殆どが全滅だろう。自分の考えが言えないから、自分の言葉で喋っていても、
それは自らの考えではないし、テレビや新聞で言っていたいくつかの考えのうち
「自分が1番納得できたもの」を選んでいるに過ぎない。
(自身も含めて)若い人の考えの殆どがマニュアル化、マークシート化しているように
感じるのは僕だけかな。かく言う自分の考えも世間の膨大な情報や論調に左右され
どこかで誰かの意見を知らないうちに「自分の意見」として口走っている感がある。
オリジナルを求めるのは、現代の情報が氾濫している世の中ではこれほどまでに難しいのか。
もしかしたらそれは、近年(20世紀後半)世界全体で、優れた文筆家、思想家、
芸術家が出てこない現状とも、結びつけることができるかもしれない。
先日、「日本になぜマクドナルドが定着したのか?」という質問をしたときに
ある子が、さんざん考えた挙句「マクドナルドはマークが良かったんです」と答えた。
つまり、赤と黄色のマークが丸っこいものではなくて、ブロック体の「M」だったら
日本人の感性とは合わずに流行らなかった・・・という意見だった。
当然ながら周囲は大爆笑。僕自身も、あまりにも突拍子もない意見だったので
つい笑ってしまったけど、笑った後にふと思った。
「あぁ、こういうふうにして世の中は少数意見を排除していくんだな。
今がその瞬間だったのかもしれない。いったい誰が本当のことがわかる?
高度経済成長期が高学歴社会をもたらし、女性の社会進出が専業主婦を減少させ、
所得の増加が新しく外食産業を興した・・・と、なぜ言えるのか。
つまり質問をする側は常に答えを用意し、それと反する意見を排除していく。
合否を判断する、篩い分けをする世の中では、判断基準のための「正解」が
必要なんだなと実感したよ。今まで自分は「そんなことはない」と思っていたけど
どこかで「正解」を決め付けていたふしがあったのかもしれない。
でもみんなはこう言うだろう。「それを解答用紙に書いて○が付きますか」と。
付きません。志望校には受からないでしょう、おそらく。だからといって
その考えが「間違ったもの」ではないし、そういうことを考える時間が
無駄というわけでは決してない。でも今の“おかしな世間”が「常識」という
ものさしで全てを「正しいもの」と「間違ったもの」で判別してしまっている。
もちろん大学入試ではそのように答えては×だよ。だから君たちは「正しい」と
言われている答えを記入する必要に迫られる。でも本当は違うんだよ。
「正しい」と言われる答えを書きながら「んなこと誰もわからねーだろ。
俺はそうは思わない・・・」という別の可能性を、常に模索しないといけない。
一辺倒の考え、判を押したような答えだったら世の中には腐るほどある。
その考えが世界を停滞させ、退屈にさせる。でも自然科学の世界の常識の多くは
以前は非常識だったわけだろ。「大陸は移動している」「地球は丸い」なんて
ナンセンスな考えだったわけだ。でも今はどうだ?・・・と、いうより本当に丸いのか?
下らないと思うかもしれない。だけど大事なことだよ。それは時間の無駄にはならない。
無駄なものなんてない。「今はそれをすべき時ではない」というのはあるとしても。
君たちは大変だけどやらなければいけない。
「常識」を体に覚えさせながら「非常識」の可能性を探る。
それはほんとに難しいと思う。でも絶対にできる」
・・・また、演説しちまった。
普段、人の話を聞かないような奴も何故か黙って耳を傾けている。
頼むからそんな真剣な眼差しでこっちを見ないでくれ。
僕の意見が正しいわけではない・・・そういう話をしたのに頷くな。
色々な人の話を聞け。反対意見と比べてみろ。
そして考える。
考えて、考えて、考えて、考えて・・・。
もどかしいですね (スコア:1)
マルつけてもらえる解答をすみやかに用意できるよう学習し続けて
会社に入ったら、個性的な斬新な角度で考えんかい!
と言われる。
少し違いますが、こちらを思い出しました。
(既知かな?)
http://www.1101.com/essay/2002-12-04.html
全部が評価の社会 (スコア:1)
イトイ新聞よみました。なるほどですね。
やっぱり自分と同じような考えを持っている人もいるんだと思いました。
最近では論述や小論文に力を入れている入試方法なども、考えられてはいますが、
「実は小論文にもテクニックがあって・・・」という話を聞くとゲンナリしますよ。
評価の仕方もまずいです。
僕は「良い文章」よりも「面白い文章」の方がよっぽど“良い文章”だと思うのですが、
なかなか、そのように評価を下すと当然ながら風当たりは強いです。
あ、でもほんとのことを言えば「評価」だけを求めすぎてしまう
世間の風潮にも問題があります。
何をしても点数付け、自分の考えまでも点数が付けられてしまう今の社会。
電車でおばあさんに座席を譲った。どうして?
「誉められたいから」
違いますよね?そんなの。
そんな社会では、独創性溢れる考えなんて生まれるわけがありません。
ほんとうに難しい問題ですね。
「どうしたらいいんだろう?」「何か良い方法はないのかな」と、悩める日々です。。。
Re:全部が評価の社会 (スコア:1)
そっちのほうが評価が楽だからなんですよね。
でも、少し考えれば文章に点数をつけるとか、
そんなことってできるはずないってわかるはずです。
文豪の文章にしたって人によって好き嫌いがあるくらいですから。
点数のつけ方がひとつ決まれば、みんなそれに合わせた文章を書くようになるんです。
それが独創性を失わせているんではないでしょうか。
個人的には褒められたいからって理由で席を譲る人がいてもいいと思いますよ。
私はそういう人は「自分に正直で好ましい」と考えます。
譲らない人だってたくさんいますし、なによりそれがその人の個性ですから。
褒められたいから譲る、がダメっていうのはkazunosukeさんの主観によるもので、
みんながみんなそれをしない世界はひとつ独創性が消えています。
# もちろん、みんながみんな「褒められたいから譲る」では全くもって面白くありませんし、
# 「褒められたいから譲る」人を不愉快に思う人もそれがその人の独創性ってことですよね。
たとえば、LED ZEPPELINのギタリストJimmy Pageは
ボーカルのRobert Plantをメンバーに誘う際にこう言ったという伝説があります。
「金儲けをしないか?」
私はこのバンドのそういうところが大好きです。
金儲けを動機にしたバンドだってあってもいい。
そしてまた、私は金儲けをする人々を守銭奴と呼んで嫌う人々がいることも認識しています。
# 私はそういう人々とは仲良くなれませんが、いること自体は悪いことではありません。
独創性・個性って受け取る人によってはいいことばかりじゃないですよね。
自分が認めたくないものの存在もある程度は許すようでなくては、
独創性を育てるなんてできないのではないかと思います。
すると、独創性あふれる人々ばかりの世界って案外不愉快な世界になるのかもしれません。
ひとつのものさしに身を委ねて、個性は全くないけれどもみんないっしょ。
刺激はないけれども、不愉快になることもない。
今までの(これからも?)教育はこんなところへたどり着こうとしているのかも。
そうですね~ (スコア:1)
>そんなマークシート式になるのはつまり、
>そっちのほうが評価が楽だからなんですよね。
そうですねぇ。そうなんですよ。
以前にこういうこと [srad.jp]を書いたのでそちらのコメントなども参照に。
>褒められたいから譲る、がダメっていうのはkazunosukeさんの
>主観によるもので、 みんながみんなそれをしない世界は
>ひとつ独創性が消えています。
や、そうですね。仰るとおりです。
僕もよく決め付けて勢いで書いてしまうことが多いので、大いに
反省しなければいけませんね。
確かに自分も中学時代に国語の作文を「とってもユニークで面白いです」と
先生に誉められて(誉められていたのか?)、文章を書くことが好きになりました。
そんなことを忘れていました。ご指摘ありがとうございます。
僕も全て「独創性万歳!」というわけではありません。
企業などでも、クリエイティブな人だけいたのでは成功しないでしょう。
クリエイティブな人間がいて、そして、その優れたアイディアを
支持し忠実にこなして行く人間もいて、初めて企業は成功するのだと思います。
ちょっと僕の書き方がマズかったかもしれません。