kazunosukeの日記: しんやにっき 2
きょうでんしゃでざせきにすわっていたら、あたらしくのってきたおじいさんがじぶんのまえにたちました。ぼくはとくになにもかんがえず、ざせきをゆずろうとしました。でも、そのおじいさんにおこられました。ぼくが「おじいさん」あつかいしたことにおこったのか、なんだかそのへんはよくわからないんだけど。しばらくしてそのおじいさんはでんしゃからおりていきました。ちょっとしょげていたらとなりのおばさんが「ああいうひとはよくいるものだから、きにしなくてもいいのよ。まったくやんなっちゃうわよね」といってくれました。ちょっとだけげんきになりました。ぼくはべつになにもかんがえもなく、おとしよりがでんしゃないでたっていたら、せきをゆずってしまうんだけれど、きょうみたいなできごとははじめて。このおこりっぽいおじいさんに、もし「はじめてざせきをゆずります」みたいなひとがこえをかけたら、そのひとはもう「せきをゆずろう」とはおもわなくなるかもしれない。そうかんがえたら、いわれたのがぼくでよかったのかな。んー・・・どうだろ。むずかしいな。たとえばこうかんがえることがある。せきをゆずるというこういはたんなるぼくのじこまんぞくなのかもしれない、と。なんかそうおもったら、どこまでもくらいきぶんになる。そういえばさいきんどこかのしてつで「ぜんせきしるばーしーと」というようなしゃりょうがおめみえしたらしい。かんがえとしてはすばらしいとおもう。だけどじっさいどれほどおとしよりやしょうがいしゃのひとにおもいやりがつたえられるのだろうか。「やさしさのおしつけ」にならないだろうか。きょうのぼくみたいに。よくよく、かんがえたら「ぼらんてぃあせいしん」というものもいっしゅのじこまんぞくなのかもしれないな。・・・でも、でも・・・じこまんぞくでもいいじゃん? かんしゃされてうれしくおもうのはとうぜんでしょ? ぼくはかんしゃされたい。だれかのやくにたちたい。あいうぉなびーあどあーど。それがだいさんしゃに「おしつけ」だといわれてもめげません。もとめられたらこたえる。もとめられなくてもささやかなきづかいはする。いやがられたらやめればいいだけだし(それぐらいはいくらぼくでもきづきます)。こんなひとがひとりぐらいいてもいいよね。でも、こんどからはなるべくさりげなくするようにこころがけよう。いやがられたらもともこもないもんな。「ひとのために」とおもうことはなかなかむずかしいものですね。「ひとのために」とおもわなくても、さりげなくこうどうできるひとになりたい。おしつけじゃないほんとうのやさしさ(さっきの「“おしつけ”だとおもわれてもめげません」はていせいしよう)。きょうのできごとをきょうくんにするんだ。うん。
#ねたです。
お年寄り (スコア:1)
まだ自分は若いと思ってるときに席を譲られてしまって切ない気持ちになった
というような50代の人は結構いるみたいですが。
でも私は座席を全く譲らないヒドイ人です(ぉ
「まだ私は元気だ!」 (スコア:1)
考え方によっては、若い気分でいられるというのも良いのかも知れませんね。
日本は高齢社会なのだから、どんどん元気の良いお年寄りが増えてくれないと
逆に困ります(ぉ。