kazunosukeの日記: 部活動(その22) 2
今日の村上春樹部
「
僕が怖いのは青木のような人間ではありません。
ああいう人間はおそらくどこにだっているのです。
僕はそういう人間の存在についてはもう諦めています。
僕はそういう人間を見ると、何があっても関わりを持たないようにしています。
とにかく逃げるんです。それはそんなに難しいことじゃありません。
~(中略)~
でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、
そのまま信じてしまう連中です。
自分だけは何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、
受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。
彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、
これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。
彼らは自分が誰かを無意識に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに
思い当たりもしないような連中なんです。
彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も
取りやしないんです。
僕が本当に怖いのはそういう連中です。
~(後略)~
」
----------------- 村上春樹『沈黙』より
イジメの話です。
「イジメられる側にも問題はある」とよく言われる人がいますが、それは詭弁に過ぎません。
当たり前ですよね。その人が悪いのなら、その問題行動をやめさせるなり、
総括する立場である人間が懲戒を加えるなりすれば良いわけです。
「言ってもわからないからブン殴る」というのでは私刑ですよ。
どうやっても賛同できません。
春樹の文章に僕はよく腹をえぐられることが多いのですが、短編の『沈黙』は
最も考えさせられた話でした。
「見過ごす周りの人間の方が余程たちが悪い」
重い言葉ですよ。目の前がチカチカします。
自分の過去と振り返ってみると後悔します。どうしてあの時、ちょっとの勇気も
なかったのかな…って。。
#『レキシントンの幽霊』(文芸春秋社)という作品集に収められています。
#気になりましたら、ぜひ、読んでみてください。
#そのうちこの日記は消すかも。
邪悪な子供? (スコア:1)
が、「邪悪な子供」の話は人間の経験則による行動が
ビザンチン障害に対して非常に弱いものである
ということのほかは何もわかりません。
どうにかするといじめを肯定しているようにも見えます。
元いじめられっ子としてどうしても一言つけたくなりました。
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コンピュータサイエンスに疎い方のために注釈をつけると、
「ビザンチン障害」とは、分散アルゴリズムの耐障害性を考慮する際に用いられる概念で、
ネットワーク中に可能な限りの嘘をついて計算を妨害するような
プロセッサ又は人 が ネットワーク又はコミュニケーションの場 に存在する場合のことです。
邪悪な (スコア:0)
教師が「いじめられる側にも問題がある(から多少いじめられてもしかたない)」という態度だと、この子供は有利な、いい訳の用意された、いじめる側に立つのではないでしょうか。
また、「いじめる側が(無条件で)悪い」という態度なら、過剰な「いじめられたボク」を演出し、クラスメートにプレッシャーを与えわがままを通すでしょう。自覚的でなくわがままを通用させてしまうかもしれません。教師に悪い印象をあたえるよりは、まわりが引くでしょう。
そしてこんな場合、クラスメートは目の前の例から、どちらに問題があるのか、教師と逆の常識を身につけかねません。目の前の一例で判断すればそうなります。
「問題があるからいじめていい訳では無い」これこそ「どちらが悪い」かの発想を凌駕してすばらしいことだと思います。
#そんな教師が増えてくれたらねえ