kazunosukeの日記: 歴史とは 5
「聖徳太子はキリスト者だった!?」
いやー、なんかバカバカしくも観てしまったんですが「時空警察」。。
そういう見方もあるかなと。特に「忠臣蔵は幕府の陰謀説」は「へー」という
感想と共に見入ってしまいました。当時の時代背景などを考えると
腑に落ちるところはありました。
まぁ、歴史好きが高じて(か、どうかわかりませんが)今の職業に就いてる
という部分はないわけではないです。
小学校の時の愛読書は『日本の歴史』でしたから。
(本当の)歴史は時代の事実のみを映し出す鏡です。
だから僕の中では数学などと同様の直線に位置づけています。
たとえゴットハンドの座散乱木のようなことは日常茶飯事だとしても、歴史に携わる
人間は本当に真実を求めて「何がそこにあったのか?」を純粋に探求するだけです。
そして「もし…だったら」は禁物です。
僕は小さい頃(以前にも書いたと思いますが)、「どうして?」を連発する子供でした。
「どうして日本は戦争に負けたの?」「どうして本能寺の変は起きたの?」
「それはどうにもならなかったの?」「もしそうなってなかったら今はどうなっていた?」
あぁ、もう本当に鬱陶しいガキです。
だけど、その鬱陶しい質問攻めに合っていたうちの親父が偉かったことは、
笑って「わからないなぁ」「自分で考えてごらん」と答えらしい答えを与えなかったこと。
ただ単に答えるのが面倒くさかったのかもしれませんけど(その説有力)。
でも答えない親父のお陰で、歴史の何たるかを知ることができました。
歴史はただそこにあって何も答えてくれないということ。
これは、簡単に理由や答えを求めがちな人間が陥りやすい性分を真っ向から
否定するものです。でもそれで良いのだと、今はそう感じます。
受け入れがたい過去も受け入れるしかないのだと、突き放すようではあるけど、
それにより新しくそこに「次」を生み出すことができる。
「学問の歴史はクリエイティブじゃないなぁ」と仰った数学の先生がいました。
もう、本当にわかってないなぁと反論する気もおきません。
大事なのは今かもしれないけれど、全ては積み重ねなのです。
たとえ人間というやつは過去から何も学べなかったのとしても、そのような
「歴史に学ぶ姿勢」が大切なのではないでしょうか。
次のステップで、上手くいくいかないは二の次なのです。
今は全て過去へと繋がっています。今を大事にするなら歴史を知らないといけない。
結果として人間は歴史から、何も学べないし、うまくいくとは限らないけれど、
歴史が未来をつくるものだと考えれば、これ以上クリエイティブな学問も
ないのではないでしょうか。
僕はそう思います。
[0312290125ちょっと更新]
歴史は物語である (スコア:1)
反論。
歴史は事実について史観を持って語られる物語である。
話者の異なる歴史署を比較すれば明らかですよね。
もちろん (スコア:1)
「歴史」にもいろいろな意味がありますから。
この場合の「歴史」は真実の部分と考えてください。
(解釈のズレはあっても)それは1つですから、その真実を探る過程を学ぶ学問だと。
argonさんの仰るように支配者や権力者によって「歴史」は塗り替えられます。
だけど僕も伝えられている全て、「それが事実だ」という言い方をしたかったわけではないということ。
伝えることを職業としているものとして、もちろん初歩的な鵜呑み丸呑みはしていないし、
また伝えていないつもりですよ。ま、それは当たり前ですね。
ただ誤解を招くような日記の書き方が、いけませんでした。
話し言葉で書くようにつとめると、自分の言いたいことを1から10まで
的確につたえることは難しいものです。
だけどそれは(この日記での)自分のスタイルなので、やめないつもりです。
当然のことながら話し言葉のように書いても、自分の会話ほどの文字(会話)量はありません。
もちろん、ずらずらと、とんでもないほどの文字量の日記も書くつもりもないですし。
そのへんは目をつぶっていただけたらと。
何かまた異論反論がありましたらお願いします。。
Re:もちろん (スコア:0)
ふつうある時点でおきたことに関してある程度の量の「事実」(物的、客観的証拠によって、ほぼ事実として受けとめてよいもの)があります。もちろんそういう「事実」のもたらす情報量は通常不完全で、本当に過去のある時点で何が起こっていたかを「事実」だけから完全に再現できません。そこで矛盾する「事実」を合理的に選り分け、既知の複数の「事実」を矛盾なく説明できるような解釈を考えることが歴史(学)なのです。だからこそ遺跡や古文書の発掘や発見が歴史の構築に先立って行われます。既知の「事実」を無矛盾で説明しきれても解釈に自由度が残る
海外の歴史の教科書 (スコア:1)
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例えば、昨日銀行強盗の事件があったとする。
それを目撃した人は、何人もいるが、皆の証言はどれも食い違って
いるものだ。ゆえに、歴史をいくら正確に語ろうとしても、それは
人間の記憶という本質的なあやふやさから、明らかに無理なことだ。
歴史とはつまりhistory = his storyというように、一人の人の視点
からみた物語に過ぎない。
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そして、最終的には自分で知りたいことに対する情報を集め、
自分の視点の歴史を手に入れることが重要だよ、みたいなことを
言っているのですが、それも結構大変です。
昔、この話を教授が聞かせてくれた時、history = all bullshitと
頭の中に出てきたのは、今も記憶に新しい思い出です。
There is no spoon.
「俺さ、俺が、俺の…」(森本レオの名前の由来) (スコア:1)
某SF歴史小説(日本とドイツが第二次大戦で戦っちゃうようなやつ)
に書いてありました。
「自分の視点の歴史を手に入れることが重要だよ」
この言葉の意味は深いですよね。
歴史が全くのフィクションになるのは困るけど、いろいろな解釈の仕方が
あっても良いでしょう。そのためには証拠と考察が必要なんだなと思います。
職場の日本史の師匠は「自分の目で見なさ~い」とよく仰っています。
書籍、教科書などの2次資料だけに目を奪われるだけでなく、わかりずらくても
その場所に行ってみろ、と。