kazunosukeの日記: 「生きていないとしょうがないから」 5
ちょっと思い出した話をひとつ。
いつもながら相も変わらずの脱線で、その時は死刑制度の話に。
40数人の中で死刑制度反対派はわずか数人。中途半端に時間が余っていたので
それぞれ紙に理由を書かせて提出してもらいました(こういうのが文系科目の強みだな)。
あとでじっくり目を通していくと、支持派はみんなだいたい同じような理由。
「犯罪抑止」「被害者感情考慮」「社会的制裁」などなど。もっと様々な理由を期待していたんだけど
ちょっと難しいかったかな・・・なんて思いながら。
しばらく書いてもらった文章を読み進めていくと「死刑反対派」の、ある紙が目にとまりました。
他の子はずらずらと文章を書いている中、その用紙にはたった一言だけ、こう書いてありました。
「死刑は反対。人間は生きていないとしょうがないから」
・・・すごいな。
唸ってしまいましたよ。しばらくホケっとしてしまいました。
それを書いた子はふだん全然授業に無関心で、成績もあまり良い方ではありません。
その意見も、もしかしたら何気ない気持ちで書いたのかもしれない。
でも、それにしても深いなぁ・・・と、しばらく考え続けました。
しかし、あんまり考えてもその考えの真意は計りかねるので、次の休み時間に聞いてました。
「あの理由はどうやって思い付いた? 読んでてハッとさせられたよ」と。
するとその子は「お父さんがいつも僕に言っているんです」と答えました。
「“しょうがない”ってどういう意味?」と聞くと、「“しょうがない”とは言ってないかもですけど
たぶん似たような感じです。でもその意味は“自分で考えろ”って・・・」。
ふたたび僕は物凄いカウンターパンチを彼のお父さんからもらってました。
彼の話を聞いて「とっても立派なお父さんだね」と僕が言ったら、その子、笑いました。
彼の笑った顔、ほとんど授業中に見たことなかったな。
そして、なぜかそのあと僕はその子に「ありがとう」って言っていました。何も考えずに。
その宿題をもらってから丸2年経ちました。
僕はまだ、その言葉の意味・答えを出せずにいます。
いつになったら僕なりの答えが見つかるのだろう。
そして僕もまた、いつの日か人生の後輩に「その意味は自分で考えなさい」と
言える時が来るのだろうか。
深い。 (スコア:1)
生と死という両極への執着が薄くなってずいぶん経つせいか、この一文に「生きていることを、何ゆえに続けたいのか。」という問いへの自分の答えを、すぐに思い出せませんでした。
(「野垂れ死に希望」のため、答えが思い出せるわけもなかったんですが。)
うーん、どちらかに執着する人の、その理由って、何なんだろう。
深いな。
++ ftsh ++
とっても深い (スコア:1)
いくつかの考えは浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。
あるとき、ふと自分の中で答えらしきものは思い付きますが、それを文章にしたり
言葉にすると、とたんに陳腐な言葉に変わってしまいます。
意味を考え出せないということは、僕はまだまだ人生経験浅く、思考が単純なんでしょうね。
Re:深い。 (スコア:1)
"要らない/誰にとっても無駄なモノは処分する。維持するに値しないから。"という単純な論理が、単純ゆえに間違いようが無く正しいのか、単純ゆえに何かを忘れているのか。
いままさに、松本被告が判決を言い渡されようとする今、考えさせられる人は多いのかもしれない。
何が正しいかは、何を正しいとするかによって決まるのではないか。
"正しいとする"、絶対的な正しさの存在があれば判断はラクなのだが、どうやらそんなものは無いようで、人間はその判断にケースバイケースを持ち込まなきゃならない。
より多くの同意?あぁ、なんと陳腐なのだろう。
誰もが納得する回答はないのではないだろうか。何をどうしても批判も出るだろうし、複数の勢力間で衝突もさけられないのだな。
そうだ、だから生死について考えるのを止めたのだった。
それぞれの生死に、それぞれの理由があるのだから、勝手に考えても、それこそしようがない。
判断する権限を持った人が、責任をもって判断し、多数はそれに従い、時にそれぞれ後悔すればいい。
人の生死を、他人が判断しなくてもいいっていうのもアリかと考える。
そもそも多数決という手法を正しいとするかも、また判断しなくてはならないな・・・
『それは人の世の法則』とかいって思考停止するのもいいか。
と、他人様の日記に自分の日記にも書かないような真面目なことを書いてしまうftsh。
++ ftsh ++
殺してはいけません。 (スコア:1)
そうバクダッドで出会った男性は僕に言った。もっとも僕が
その意味を理解したのは、ずっと後になってからなのだけれ
ど。それでも、殺人を犯した罪を死刑という形で罰している
限り僕らは原理主義を疑わなくてはならない。
例えばそれは、イスラム教が、飲酒を宗教で駆逐することに
成功したけれど、喫煙を阻止することには失敗したような
ものだった。そう、、、弱点は誰にでもある。
ネパール出会った仏教徒はこう言った。
『殺してはいけません』と。
仏教徒は輪廻転生を信じており、虫も殺さない。
彼らは彼らなりの宗教観に法り生と死に向かい合い、それらを
信じることで生と死の苦しみから解放されていた。
信じるものは救われる。
昔の人は、上手いことを言う。。。
もっとも、そのことに僕自身が気づいたのは、これまたずっと
後になってからのことだ。
例えばそれは、ビフィズス菌を胃酸で殺してしまうことを恐れ
てヨーグルトを口に出来ないようなものだった。それ故に胃で
死なずに腸に届くビフィズス菌を作り上げた特許を持つ雪印に、
少なからず感謝の気持ちすら抱いたほどだ。
気が向けばそこにフルーツを混ぜ、グラニュー糖をまぶし、あま
つさえジャムさえ加えて食べるだろう。腸内細菌は善玉菌だけで
溢れ、ついには踊りだし、僕たちは健康になる。
つまり、あれだ。殺すなってことだ。
There is no spoon.
「殺すな。人っ子ひとり殺すな」 (スコア:1)
仏教は、あれです、解夏 [www.gege.jp](このサイトの「解夏キーワード」にその意味があります)。
この意味は映画を観る前から宗教の先生に聞いて知ってました。
仏教徒がキリスト、イスラムその他の宗教と違って積極的に(時に暴力を伴った)
布教活動を行わないということとも関係しているのでしょうね
(一部、スリランカでは仏教徒の非主流派がテロリズムを繰り返した過去はありますが。
あれ、日本も僧兵が・・・ってあれは宗教者じゃないね)。