kazunosukeの日記: こんな本を読んだ(その11)-綿矢りさ『蹴りたい背中』 4
綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んで強烈に何かを思いだした。
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高2か高3の現代文の時間。内容は中島敦の『山月記』だった。先生は授業を進めていく。
僕はいちばん後ろの隅っこの席で、先生の授業を無視して『山月記』をひたすら読み続ける。
『山月記』の主人公、李徴は「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」という相反する
ふたつの内面を持ち、その平衡感覚を微妙に保ちながら生きてきた。
彼は科挙試験をパスしながらも、詩文の世界での立身出世の夢を捨てることができなかった。
奉職の機会を捨てながらも詩文の才能を開花させることもできない。自分の限界を直視することも適わない。
しかし他者との交わりを拒絶する。
そして彼は発狂し、気付いたときには一匹の人食い虎になっていた。
僕は何回も何回も教科書を読んで
「ああ、僕も虎になるのかな」
と本当に悩んだ。また悩みながらも「僕は他の人とは違う」という根拠のない自信が時折、頭を持ち上げ
そのたび僕は「何バカなことを考えているんだ」と羞恥心で打ちひしがれた。
数日、そんなことばかり考えていた。
そして授業の『山月記』は佳境に入っていた。先生は咆哮する虎になった李徴の場面でこのようなことを
言った気がする。
「さて、このクラスには自分が虎になると思っている人は何人ぐらいいるかな?」
今まで先生の話なんて聞いてなかったのに、その言葉だけが僕の頭にこびり付いた。
そしてその瞬間笑ってしまった。先生と目が合った。先生も笑っていた。
おかしくてしょうがなかった。みんながみんな自分のことを特別と思う反面、力を伸ばす努力を
(個人差はあれども)怠っていてる。そしてみんなが「俺だけが」「私だけが」とどこかで
同じようなことを考えている。友人関係を築かない、あるいは友だちと馴れ合いながらも
その中で「本当の友人はいない」と孤独な自分を演出し、その役を演じている。
みんなが「自分ほど孤独な人はいないだろう」と思ったら、この世の中でいちばん孤独な人は誰なんだろう?
そう考えたらおかしくてしょうがなかった。
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『蹴りたい背中』の主人公は高校1年生の女の子。
彼女はクラスに馴染んでいない。クラスメートの表面上の友情には中学時代からヘキヘキしていたし、
高校でもそれを続ける必要がないと考えて、あえて複数ある「友だちグループ」の中へは
入ろうとはしなかった。部活には入っているが「個人で出来るから」とストイックなスポーツである
陸上を選んだ。中学からの友人(と言える)絹代はそんな彼女を心配し、何かと「友だちグループ」に
入れようと世話を焼いてくれるが自分には改めて入る度胸も気もない。
そして彼女以外にも、もうひとりそんな人間がクラスにいた。
その彼は女性ファッション誌モデル“オリちゃん”の強烈過ぎるファンだった。
たぶんこの本を読めば何人かの人は「自分はこの主人公(もしくはオタク的な彼)に似ている」と
感じることだろう。また人付き合いを難なくクリアしていた人の中にも「(本心は)主人公の彼女に近い」と
思う人も多いかもしれない。僕もそうだった。
そして読み進んでいくとわかることなのだが、主人公の彼女は、表面だけの付き合い・馴れ合いとして
他者から距離を置いているにも関わらず、中学からの友人である絹代との友人関係は「失いたくない」と
必死で思っているし、部活の顧問に誉められれば“不覚にも”涙が出そうになってしまう。
また一方でオタク的な彼に共感しながらも「もっと孤立すればいい」と思ったり、自分と同じような
ポジションの彼の背中を見れば蹴飛ばしてみたくなるし、それ以上の感情も・・・?
彼女は人から距離を置きながら人を求めずにはいられない。
相反する自己矛盾を抱えて、それでも自己を貫こうとするには如何せん無理がある。
自己矛盾を打開するためには様々な方法があると思うが、それは健全なものではない。
考えないようにするか、自分の良いように解釈するか、開き直るか、外敵要素に押し付けるか…エトセトラ。
僕はそういう感情は誰にでもあると感じる。人間関係が複雑に入り乱れる学校というところは、
その自己矛盾が多く噴出する場所であると考える。そして多くの人がその学校生活を潜り抜けなければならない
ような社会システムに(日本では、今のところは)なっている。
「人間は個の生き物か?それとも集団の生き物か?」
と聞かれれば、間違いなく人間は集団の生き物であろう。
人間は虎のように単独行動では生きていけない。山にこもって洞窟に住み何から何まで自給自足という
生活はかなり難しい。その難しさを理解しながら人は集団で自分という「個」に囚われ、そして考える。
「ひとりが良いや」と嘯きながらひとりになるのを恐れ、ひとりで生きていけないと判っていても
「人間が嫌い」と、のたまう。自分で望みながら外されたり、のけものになってもどこかで人を求める。
人間は「世界の中心で愛を叫んだけもの」ではない。人間は絶対に虎にはならない。
どこか勘違いしている“のけもの”である。「世界の中心で愛を叫んだのけもの」なのである。
人間関係は悩み、考えればキリがない。
この『蹴りたい背中』は誰かの日記のように、本当に日記なんじゃないかと思うほど
話し言葉のような文章で書かれている。つまり共感をしやすい本である。
自分を虎だと思っている中高生にはお奨めの本。
僕が先生の言葉を必要とした『山月記』よりはわかりやすいと思う。
#余談だが、主人公の女の子を自分の中で「かわいい子」「かわいくない子」どちらで認識し
#読み進めるかで本の楽しさが全く違うという、しょうもない男の一面も恥ずかしくもなく記しておく。
小説 (スコア:1)
きっとすでに書いてるか、書いてないならいつか書く気がする。
小説ですか (スコア:1)
そのうち書きたくなったら自然に書いていると思います。
その手の文章って「書こう」と思って書くものじゃないでしょうから。
僕はどうして唐突にさなえさんが僕の書いた小説を読みたくなったのか、
その理由が知りたいですよ(笑。
Re:小説ですか (スコア:1)
ぼくも虎になるんだと本気で悩んだ高校生の男の子の話。
ウソ日記 (スコア:1)
書くとしたらウソの日記のように書いたら良いのかもしれませんね。
100%ウソ日記。もうぜんぶ。ぜんぶ。