kazunosukeの日記: 0417『キル・ビル vol.2』
『キルビル vol.2』を観ちゃった。
Vol.1を観た人の中にはVol.2を受け入れられないという人がそこそこいるらしい。
僕もVol.1よりはレベルが落ちたと思う。音楽面での。音楽が完璧だったら100点満点。
なんでVol.1を受け入れた人がVol.2をダメなのかなぁと僕なりに考えてみた結果、ある結論に至った。
「滅茶苦茶さが足りない」
あぁ、なるほどね。映画サイトを巡回してみたら、やはりそのようなコメントがたくさんあった。
1を観てしまったら観客が「もっと」を求めるのは当然わかること。
そうしたら2ではいったいどれくらいの血が流れる必要があるのか。
僕が1を観て感じたのは「滅茶苦茶さはここで限界」ということだった。
1でも「もうダメ」と感じた人はたくさんいるでしょう?
でもアレを耐えられる人はあの、ちゃっちいバイオレンス具合が快感になる。
しかし2が1以上の血糊たっぷりバイオレンスで仕掛けてくるとしたら…観客は醒めるでしょう。
だからバイオレンスは「目潰し」などの最低限度で留めつつ(それでも「痛さ」を失っていないのが凄い)、
映画評論家に言われるところの「動」から「静」への転換を図った。
前作の売りだった「動」と同じでもダメ、それ以上でもダメ、そうなると別の路線で仕掛けるしかない。
そしてタランティーノが考えたのは「ラブストーリー」だった。
「え? あれのどこがラブストーリーなの?」
と、2を観て感じる人はたくさんいるだろう。だけどあれは監督なりのラブストーリーであった。
ビルはヒロインのユマ(ウマ)・サーマンにこれでもかの愛情を捧げる。
その愛情の注ぎ方は間違っている。ユマはビルの愛情を充分理解しつつ、それを受け入れることができない。
しかし・・・それだけでラブストーリーか?
僕は不思議だった。
自分の映画で「マドンナの"ライク・ア・バージン"は巨根男を歌ったものだ」と言ってのけ、
ざくろのような死体を持ってきた殺し屋に「女房が帰ってきたら離婚される!」とブチ切れる
俳優タランティーノが出演しない理由はどこへ?・・・と。
だけどVol.2を観終わって全てを理解した。タランティーノはもう既に出演している。
タランティーノよりもタランティーノらしい"ビル"に姿を変えて。
ビルはタランティーノそのものだ。
そしてその狂った愛情は受け入れられることはない。
前作の血糊に騙されてはいけない。彼はサディストではない。QTはマゾヒストだ。究極のマゾヒストだ。
そう僕が感じるさなか、突如挿入される1のいちシーン。オープニングタイトル前のあのシーンだ。
ビル(= タランティーノ)は血まみれのユマに言う。
「俺のことをサディストと思うか?…違う。俺以上のマゾヒストはいない」
そういうことだったのか。
押さえきれない狂った愛情は他者を巻き込み最愛の人をも失い暴走し続ける。
そして彼はユマの五点掌爆心拳の前に散る。彼は最初からわかっていた、そこに彼女が来ることも
自分がそうなることも。わかりつつそれを止めることができず、そしてそんな自分を黙って受け入れる…
マゾヒスト・タランティーノの真骨頂だ。
この映画が本当に理解されることなく、「B級」と呼ばれ、全米(全世界)のPTAから叩かれても
全米No1を獲ってしまう凄さ。ちゃちな仕掛けと『子連れ狼』がこの映画の醍醐味ではない。
この映画は100%のタランティーノのラブストーリーであった。
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採点・☆☆☆☆★
(☆20点、★10点、100点満点)
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