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kazunosukeの日記: 0418『パッション』 2

日記 by kazunosuke

 『パッション』を観てきました。
この作品は観なければいけないんだろうなと思いました。そして観ました。
映画を観た小泉首相は「いや~、、残酷な映画だったね」と言っていたけれど、この作品の
論点はそこではないと僕は思いました。映画を観た教会関係者がショック死したり、
殺人犯が自首してきたり、ましてメル・ギブソンが私財を投じてハリウッドとしては破格の値段で制作し、
フタ開けてみたら大もうけ・・・なんて、それはこの映画をアピールする要素であり、
作品としてのPRであって、そのもの自体を語ってはいないです。

 この映画はイエスがイエルサレムの聖職者に捕まり、ゴルゴダの丘で処刑され、
そして・・・。みなさんが知っている話です。
限られた空間の中だけでカメラはまわり、イエスはなぶられ続ける。
その痛さからは小泉首相じゃないけれど目を背けたくなります。
だけど観てしまう。決して目を逸らすことなく。
作品ではイエスの心が揺らぐとき、その後ろには悪魔が見えます。しかし最後には己の悪魔に打ち勝ちます。
イエスは許しを請う。それは自らが虐待をする聴衆にではなく、自らに虐待を行う聴衆を
神に対して許しを請うのです。

 「神よ、この者たちをお許しください!」

 僕も以前は他の人がそう感じるように「宗教なんて・・・」と考えていました。
例えばカインとアベルの話を聞いても絶対に納得できなかったし「神を信じる者が何故争いを起こす?」と
その矛盾を支持することはできませんでした。でもそれなりに僕も社会に出て多くの納得できないことや、
矛盾に突き当たったことによって、段々と「世の中は決して白黒付けられるものだけではない」と
いう考えを受け入れられるようになっていきました。子供のころは自分が正しいと思うことは
みんなが正しいと思っていると受け止めていました。自分の考えの中には他者の考えは存在していなかったから。

 当然、世の中の人は反発し合います。正義を振りかざして相手の正義を非難する。
それは矛盾そのものです。だけどそれを受け入れなければならない。
聖書がもし矛盾なく白黒を付けているものならば、その聖書自体が矛盾しているのです。
社会に目を向ければ矛盾しかない。だから宗教はそれを説いているのだと思うのです。
自己の弱さは、イエスのように普通の人は払拭できないでしょう。
だけど皆、自分の中の悪魔を振り払いたいと思うはずです。

 『パッション』を観て中学のときのキリスト者だった先生を思い出しました。
その先生は宗教の話は全くしなかったけれど、教室の黒板の上に、でかでかとある3つの言葉を掲げていました。

 「愛し、信じ、許す」

先生はイエスやキリスト教や宗教、矛盾だらけの社会をどう考えていたんだろう?
映画を観て、そんな関係ないことを考えていました。

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 採点・☆☆☆☆★
(☆20点、★10点、100点満点)

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by nidak (2008) on 2004年05月17日 0時21分 (#549559) ホームページ 日記
    相変わらずレヴュー上手いね。

    キリストは人の手によって立てられた神殿を打ち砕し、3日で
    人の手に依らざるそれを建て直すと言いました。でもそれは
    心の中の教会。精神の話。

    自分にはこの部分が特に大きかったかな。人によって、この映画から
    得られるものは違うと思うけど。キリスト教も、結構心の自由を与え
    る宗教だと感じました。
    --

    There is no spoon.
    •  僕が宗教を受け入れられるようになったのはホンの最近の話ですよ。
      自分たちの心を救いそして豊かにし、誰かを強要しないのであるならば
      これ以上素晴らしいものはないです。
      おそらく宗教者の持つ「強さ」というものはそういうところからくるのでしょうね。
      親コメント
typodupeerror

計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである

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