kazunosukeの日記: 今日の(泳げないけど)水泳部-その4 2
日曜日にプールに行ってきました。そして僕は着実に進歩しています。
ま、それはいいとして、水泳をしているときに少しショッキングな光景を目の当たりにしました。
僕がばしゃばしゃと泳いで(溺れて)いる横で小学生低学年ほどの男の子が平泳ぎを練習していました。
その子の隣にはいかにもおっかなそうなお父さんが。
あ、そうそう、僕は平泳ぎだけは出来るんですよ。25mは足を着かずに泳ぎきることが出来ます…
それは置いといて。
で、そのお父さんが男の子に言うのです。
「何でこんな簡単なこともできないんだ!!!」
えっと、隣で僕が怒られているみたいでした。はいはい、すいませんね。
男の子はすっかり萎縮してしまって見ていてかわいそうでした。
「何でできないんだ!」って、ものすごい台詞ですよね。
僕はできない人間だからよくわかるのですよ。
できないから練習しているのに、できないこと自体に意味はあるのでしょうか?
できる人間が教えているなら、隣のお父さんが何で男の子が泳げないかの原因を探るべきです。
その台詞に奮起をして「よーし!」となる人ならけなすことも良しでしょう。
そしてその方法で結果的に泳げるようになるのなら。
しかし明らかにその子は嫌がっていましたよ。泣きそうでしたよ。まるっきり逆効果です。
これが会社の仕事だったら、ある程度は致し方ないのかもしれません。
やっぱり慈善事業ではないのですから、まず利益ありきの部下への叱責もやむをえないでしょう。
でも、水泳は強要されているわけではないのですよ。
その子がサラリーもらっているわけではないのですよ。
お父さんは単にその子が泳げないことにイラついていただけ。
「何で?」じゃねーよ。お前が何でだよ?
・・・しかし、
少し時間が経って冷静に考えてみると自分も少なからずそういうように思う瞬間は
あるのかもしれない・・・と思いました。
社会のテストを採点していると「こいつら本当に勉強していないな」って思ってしまう。
それは間違ってますよ。本来は「何で俺はこいつらをやる気にできなかったんだ!」と
自分に憤るべきなんですよね。だってそれは僕が教える人間だから。
教える人間は知識や技能を与えるだけではありません。
本当に必要なことは(教えている)「彼らをいかにやる気にさせるか」なのです。
やる気があれば勝手にやります。
だからプールのお父さんは男の子に泳げる楽しさを教えるべきだった。
そしてしばらく練習してモチベーションが下がるようだったら「今、泳げるようにしておかないと…」と
いうように危機感を煽るとか、手を変え品を変え、どうにかやる気を引き起こすべきでした。
もちろん、その方法が「ぬるい!」と感じる人もいるでしょう。
そういう人は自分は出来る人間かも知れないけれど「教える」ことに適している人とは言えません
(仕事での「教える」とは多少、意味合いが違いますよ。何度も言いますけど)。
趣味やスポーツは決して教える人間の自己満足やストレスの発散の場であってはならない筈なのですよ。
水泳は面白いですよ。本来楽しいものである筈なのです。
少年が水泳嫌いにならないことを切に願います。
微妙に (スコア:1)
いや、それだけなんですけどね :-P
自分が教えて学ぶこと (スコア:1)
えー。それだけなんですか?(笑
次は熱いコメントでお願いします。。
この記事はとても感じが良い記事ですね。うなずくところも多いし、とても興味深いです。
自分のような仕事についていると、どうしても「教える側」と「教わる側」に圧倒的な
実力差があるために(ないとそれはそれで問題です)、油断をしていると高圧的な感情が
自分の中に生まれてきます。
でも自分は、仕事に関してもそうですし人生の側面からも、まだまだ勉強中の身ですから
自身も一緒に学ぶことは山ほどあり、またそれを意識して日々を過ごさねばならないですね。
頑張る自分の姿勢を自然な形で見せ、そして共に学ぶ…それが大切なことであると
この記事を読んで感じました。