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kazunosukeの日記: 0537『TAKESHIS'』 2

日記 by kazunosuke

 『TAKESHIS'』を観てきましたよ。

 満を持しての観賞だったわけですが、最初の5分で「ア、コレハマニアニシカワカラナイナ」と思いました。近年の映画に限らずハリウッド映画(日本映画)は「映画=感動」「映画=涙」「映画=恐怖」「映画=笑い」というわかりやすさが映画会社の宣伝・CM等で前面に押し出されています。いくつかのパターンがあっても結局は「映画=○○」としなければ気がすまないような風潮。それに対して強烈なパンチをお見舞いする作品だということは(おもしろい・おもしろくないは置いといて)誰の目からしても明らかなわけです。支離滅裂で分裂状態のフィルム。大スターたけしの前に無名俳優のたけしが現れて、その後ふたつの世界が滅茶苦茶に重なり合います。混沌状態に慣れ「わからなさをわかりかけた」頃、唐突にエンドロール。「映画=○○」のかたちで観ようとしたら溜め息しか出ません。

 アンチメジャーだからイイ、メジャーだからダメ(あるいはその逆)…なんて不毛なことを今さら言うつもりは毛頭ありません。ただ「○○は◇◇である」という決め付けがどれだけ可能性を縛ってきて、その可能性を頭打ちにさせているのかという部分に着目すれば、この映画を理解できない人でもこの映画を許せるのではないでしょうか。「現代はわかりにくい時代」なんて言われて久しいですが、本当かなぁと思います。価値観は多様化されていると言われながらも、民族意識やむら社会から脱却できない部分は危機感を煽り煽られるような退廃感の中で、益々先鋭化されているとも感じられます。「セカチューはスゲー感動できるよ」とか「全米が泣いた」なんて会話やフレーズを聞くと不安な時代だからこそ、みんなは個を捨てて帰属意識の中で安心したいんだなぁと妙に納得してしまうのです。

 「エンターティメントだからわかりやすくていいんじゃない?」と言う方がいるのはもっともです。伝統が生き続ける能や落語というものは型が制約されている中で、それぞれを演じる人が個性を100%放出しています。でも映画は「泣ける!」「感動した!」のスタンダードなものほど出揃っているので、このように万人受けしないような作品があってもいいと思うのです。映画はエンターティメントだからどれが上等でも下等でもない。けれど個人が選択する幅があればあるほど、その奥行きは広がっていくのは事実でしょう。わかりやすいのがあってもいいんです。わかりにくいのがあってもいいんです。それぞれの作品がそれぞれのニーズを代表しながらの価値がある。そのような多様性が認識されることを北野武は狙っているのではないかな?…と僕は勝手に思っているんですけど(全然違うかもですね)。

 これを読んでもらえばわかると思いますが、映画は好みの問題と僕は思っています。いつも点数をつけているのは「評価を下す」とかそんな偉そうな話ではなく、あくまで自分の中の位置付けですから。しかしながら『TAKESHIS'』は長年の作品のファンである『スターウォーズ』も含めて今年観た映画の中でマイベストです。それはキタノ映画を観続けてきたからそう思うのかもしれないですね。一番最初に「マニアしかわからないかも」と書いたのはそのためです。村上春樹のファンだってその作品を読んだことない人にいきなり『ねじまき鳥クロニクル』は薦めないでしょう? キタノ映画の中で『TAKESHIS'』は今後そのような位置付けになっていくのではないでしょうか(自分が好きな村上春樹というわかりにくい比喩でごめんなさい)。

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 採点・☆☆☆☆☆
(☆20点、★10点、100点満点)

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  • by NyaNya (12681) on 2005年12月07日 22時07分 (#844224) 日記
    満点は初めて見るような気が。

    マニア・・・マニアねぇ。
    北野映画に限らず映画一般をほとんど見ないわたしには、
    多分さっぱり分からんのでしょうなぁ。
    でもちょっと興味はあるかも。


    #1200エントリおめでとー
    #ですのですの★
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