kazunosukeの日記: かわいい女の子 3
男はかわいい女の子の彼女やともだちがいると嬉しいのはなぜだろう…と考えてみる。それは安心するからではないか。「あぁ自分はメジャー集団に属しているんだ」という安心感。とうぜんかわいい子が自分の周りにいると嬉しい。眼福かもしれない。でも結論はそこに帰依しない。
高校や大学でマイナーグループに属してしまうと、もれることなく周囲から女の子がいなくなる。単独行動ともなると絶望的なほど女っけがなくなる。それは集団の生き物である人間において、女性より男性の方が個で生きていける環境が整っていることがそうさせていると考えられる。男性の中には「別に俺一人でもいいな」という人は一定数で必ずいる。でも女性は「私、ともだちがいなくたって彼氏がいなくたってひとりで生きていけるわ!」と握りこぶしを作っている人はあまり見かけない(当然いるんだろうけど男性よりは少ないという話)。女性の集団(あるいは個)は男性の集団に惹かれる…惹かれるというか安心する。「みんなで出かけましょう」「みんなもよぼうよ」なんてさ(イエスアグリーメントの諸兄の顔が浮かぶようですよ)。
さて、そのような中で単毒行動の男性(あるいはマイナー理系電脳集団の男性)が女性に出会う可能性は天文学的に低くなるわけだが、そうするとその因子を持つ男性の考えは2つに別れる。「仙人厭世タイプ」と「メジャーに這い上がり隊タイプ」 前者はそのまま、いろいろ悟ったようになってしまって、自己批判・他者批判を繰り返し同性さえも近づきづらい人物へとなっていく。後者は自己啓発と自己プロデュースの楽しさに目覚め、人として垢抜けるか勘違い将軍に生きるようになる。
しかし両者に共通することは、根本的なベース部分はほぼ変わらないということ。かわいい女性に興味ない(と思っている)けど興味ある・興味あるから興味あるという点だ。そしてセクシャル的な魅力を持つかわいい女性というのはもれることなく社会を内包している比喩的な存在であり、かわいい女の子、それが世間そのものだということを認識できる場合はあまりない。
人間はどうやっても集団でしか生きれなくなってしまった。21世紀になっても無干渉時代にはなりえないのである。山に入ってキノコをとって動物を狩猟する生活・無人島に流れ着いて魚を…という選択肢はない。「個で生きている」という認識は間違っていて、「個で生きている」と思っている人でもあくまで他人と喋らない程度。それだけで「自分ひとりで生きている」なんて笑ってしまう。モテナイ軍団で自分と似たような友人とひしめき合っていても、そこには新しい血は入りにくく煮詰まっていく場合が殆どである。だから集団は世間を取り入れて濃度を薄めようと必死になる。かわいい女の子を求めるという原始的とも思える男性の欲求が同時に人としての社会性も取り入れるということになるとは何とも皮肉なことだ。
うむむ。 (スコア:1)
「仙人厭世タイプ」というのは、あぁーこれはオレのことか、と思ってしまいました。
最近、必要最低限のコトしか他人と話をしないので、たまに事務室の人と話したりすると声帯に妙な疲労感が....。
waku (-o_o), 今年こそ痩せるといいな。
シニカル (スコア:1)
wakuさんは「仙人厭世タイプ」なんですか? 人と話すことや自分の気持ちを書くことは大事なことですよ。心で思っていることは自分ではわかっているつもりでも案外わかってないものです。口に出すことで、文章に書いてみることで、自分のセリフを自分が聞いて見て、再認識することはたくさんあるのではないでしょうか。相手なんてどうにかなるもんです。僕みたいに鬱陶しいほど人の話を聞くことが好きな人間は、世の中にはごまんといますから。
Re:シニカル (スコア:1)
確かに自分であらためて書いてみる、話してみるというのは良いことだとは、
頭で理解してますが、なかなか上手くいかないもんです。
# 自分の性格としては、多分に「言わなくてもいいんだったらだまってよう」という方かもしれません。
waku (-o_o), 今年こそ痩せるといいな。