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keitaの日記: テクノロジーという視点 2

日記 by keita

hatokuさんの"よくよく考えたら"を読んで愕然としました。
正確にはコメントの方なんだけど。

私は背景として文化人類学の思考方法があるから
どうしても文化が人間の側にあることを強く主張したギアツの
文化定義に慣れ親しんでいて、イマイチ
「人類はネットを解釈する哲学も思想も持ち合わせていない」
の感覚に共感することが出来なかったわけなのだけど、
hatokuさんにコメントもらってこの言葉の源泉がどこにあるのか
ようやく理解できた気がします。

で、すぐに思い出したのが「テクノロジーの人類学」です。
今迄単純にテクノロジーを民族誌のやり方で記述しただけだ
とばかり思っていたのですが、本当の狙いはギアツへの批判
だったんですね、見抜けなかった自分が情けない。
ようやく先生の発言と研究の意図がつながった。
なんてこった。

やっぱりなんでも書いてみるもんだよな、と思う今日このごろ。
学ぶことは尽きないもんだ。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • こっちが愕然としました。

    おれには哲学学問的背景はなにもないし、そもそも大学も出てない
    から専門教育なんて受けたこともないです(^^;;;。

    ただ、個人的に興味があったので、哲学宗教関連は、
    オカルティズムからポスト構造主義あたりまでの本をまったく興味
    本意だけで拾い読みしただけだったりするので、頭の中で
    攻殻機動隊とドゥールズ&ガタリの千のプラトーが全く同じレベルにあったりします(笑)んないい加減や奴の意見が、ちゃんと勉強
    してる人をして「愕然とした」となっているのに愕然としてる
    わけです(^^;;;;;;

    おれが文化を人間のものと考えないのは、社会心理学の影響が
    強いのかなぁと思います。人が2人いれば、当然相互作用があって、
    その中でお互いを変質しあう。そして生きていくために様々な
    様式やルールを決めざるをえず、それはその2人と環境で決まる。
    それが文化文明と考えると、少なくとも、人間が思っている
    よりも多くの影響を環境から受けているのは事実かと思う
    のですよ。だから「ネット」という新たな環境から人類は
    影響を受けている最中であって、当然、その解釈も哲学も
    まだ無いと。そしてネットは今後も革新と拡大を続けていくから、
    今のうちにそれを見定め解釈する哲学や思想が必要だなと思う
    次第です。そしてそれはきっとhttpなどのプロトコルの仕様や
    オープンソース、プログラミング言語などに基盤があると
    思うわけです。そういったものを押さえないと、地球人の
    言葉を知らない火星人が見た目だけで地球についての論文を
    書くのと同じことになるだろうと思います。

     もっとも、少なくともおれの手にはあまりまくり(^^;;;
    • いや、人文科学にとっての大学は学ぶ機会の場所であるだけであって
      そこにいればなにかを理解できるようなものじゃないから
      むしろこうやって人から意見を頂ける具体的な機会こそが大切。
      四年間の違和感がはっきりしたから、とてもいい勉強になりました。
      本当にありがとうございます。

      >文化を人間のものと考えないのは、社会心理学の影響

      これどうなんでしょう?
      社会心理学の現場は自分には失望しか与えてくれなかったんですよね。
      あのやり方でなにかを理解していけるとは思えないというか。
      うーん、偏見なのかなぁ、もう少ししっかり勉強してみるしかないかな。

      >「ネット」という新たな環境から人類は影響を受けている最中

      でも変な話でそのネットワークを形成したのは人間自体。
      だから予定調和的に人間は進んでいると思うんですけど
      テクノロジーはなおも進み続けるから人間とテクノロジーの
      選択理由というかどこまで人間のやり方はかわってなくて
      どこから人間の手につけられない未知の要因が働いているのか
      見極めないといけないように思います。

      文化人類学は振り返ってみればいつもこの問題とはぶつかっていて
      ある時点で民族誌を書いても後から検証しようにも文化が変質して
      ギアツも指摘していますがこの変化に目をつぶってきたように思います。
      だからこそ"記述"という抽象化された技法としての民族誌を
      強調しているように思いますがそれで文化の内外の関係を捉える
      ことができても変化を理解することができないし。

      インターネットはいみじくも変化そのものが文化の核をなしてますから、
      実際現段階では文化人類学は静的な記述しかできないので
      うまく民族誌としてこの文化を記述できないでしょう。
      あと数年もすればプロトコルも言語も倫理も変容しているうえ、
      文化を形成する人間構成自体激変するかもしれません。
      これを理解して記述するのは至難のわざかと思います。

      これを打開するにはテクノロジーと人間との関係自体の解明を
      進めていくしかないような気がしません?
      しかしこの分野を本当に実のある理解をするには当のテクノロジーに
      明るくなきゃならないわけで、人文科学にとって本質的に困難。
      かと言って自然科学のやり方は人間科学の理解を軽視することが
      多いので(ミームもそのひとつのような気がします)、
      その解明を自然科学にまかせるわけにもいかない。

      >地球人の言葉を知らない火星人が見た目だけで地球についての論文を
      >書くのと同じことになるだろう

      文化人類学は異文化理解においてその問題をフィールドワークという
      技法で解決したはずなんですけど、再度困難に直面した感じですね。
      どういう解決方法が提唱されるのか、これからが楽しみです。

      ……と、自分もこれは手におえないので、他人事のように書いてみたり。
      親コメント
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー

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