ken_non_sumの日記: 「平積み」は言い過ぎたw 1
私の幼児性は否定すべくもないのですが、ただ最低限壮年らしく正直かつ誠実であろうと努めてはいるつもりです。
そう、たとえば記事の掲載意図を重んじて一応ながら本の紹介もするくらいには。
;; ISBN と書名との対応を完全に把握しているような方は想定外です、ごめんね。
;; 我ながらオモテの流れが存外に好ましいので
;; せっかくのツリーを汚さないためにもこっちに書いておきます。
;; もっときちんとした返答を思いついたらあっちにも書こうと思います。
1月14日追記(#1702418への返事)
本当に掲載意図を重んじる人ならば、うだうだ言わず、本の紹介だけしていました。
掲載意図を重んじつつ、率直に自分の考えを表明することがこのようなサイトの趣旨だと私は考えています。
まぁ、反感を買うような表現を用いて気を引いたのは事実で(ほんとうは更に別の意図もあったので)すが、おかげで聞くべき意見が集まったので意味はあったと思います。
あなたは真剣らしいので真剣にお答えすれば、あれはわざとらしい誇張に見せ掛けた偽らざる本音です(このエントリのタイトルのほうが嘘なんです)。
あと、私は自分の主張をもっぱら個人的感情に立脚するものとして表現し、一切の正当化を試みませんでした。
私が被害者感情をあらわにするような表現をして恥じないのは、仮にこのような企画が心を蝕み私が憤死することがあったとしても、私を含め誰一人として企画者を責めることはないと自ら確信していればこそです。
これは調べる調べないの話ではありません。
理屈的には書名を挙げてしまっているのですから、
「自分がやられたら嫌なことを、他人に対して行っている」わけで、
単純に表現すると、「独力で」本に出会い読み理解するという過程が大事であるということなんです。
他人から書名を「教わって」しまってはいけないんです。
それが偶然知った結果、そうたとえば街中ですれ違った人たちの会話から漏れ聞いたものであったとしても。
そうなってしまっては、いつまでたってもその書名を教えてくれてしまった人に対して負い目を抱いてしまうのです。
私にとってそれはおそろしい「事故」であるといえます。
本ツリーでは親の言うことを聞かない子供というたとえを用いて批難する例がありますが、親のように半ば絶対的な上位者だったり、また自ら選択して得た権威者(高校や大学の教員)、そして自ら手にとった本の著者に対して謙ることは私にとってなんらの苦痛もありません。事実彼らは私自らが望むこととして上位に立っているわけですから。
しかし私は、あとから嫌いになった著作から得た知識などは、別の独立した典拠を探しだして以後はもっぱらそちらから引用するという形式でその知識を利用する、などということもしています。まぁこんな例は稀ですが。
さて、私が人にそう望まれたとして紹介したいと思う本の ISBN を載せた理由はまさに「自分がやられたら嫌」ではなく、あのエントリで本来望まれている書き込みに近いことである、と考えたからです。
私にとって、「これは調べる調べないの話」に過ぎず、私が関知しない世界のどこかで誰かがどんな書名にせよ「挙げてしまっているの」だとしても私には関係ありません。「事故」が生じなければそれでいいのです。
私から書名を知ることが苦痛でないと思う人だけが調べることを期待して、「事故」の起こる可能性を下げうると考え ISBN を記載しました。
そして、私はこの追記の冒頭に挙げた理由により、「事故」を辞さずにあのエントリを読み、コメントをつけた次第です。
万が一、あなたが「事故」を何とも思わないが、しかし私のような者を嫌い、しかも私の挙げた ISBN をもつ本を気に入っていたがためになお私に敵意を向ける結果になっているのだとすれば残念です。
1月14日追記その2
上の追記は時間の都合であまり推敲せずに書いたものなので,書き足りないと思ったことをここで補っておきます。
私は本が紹介されるところに立ち会ってしまうのは嫌だ,とは書きましたが,そのような企画が不当である,とは一言も主張しておりません。
当然,このようなサイトでは書名をはじめとしてさまざまな知識が紹介されるようなことはありえますし,私自身もそうするでしょう。
だからこの場合たとい「自分がやられたら嫌なことを、他人に対して行っている」としてもそれは不当ではありえないでしょう。
嫌がっている私こそが特異であり,嫌がるのが不当であるに過ぎないのですから。
今思えば,あの場で書名を書いてしまったとしても問題はなかったとさえいえます。
まぁそもそも私がスラドに親しみを感じているので,そこから知識を得ることは辛くはない,ということもあります。
自分が心に抱く感情を,自分自身決して感心しないものとはいえ正直に表明することが何らかの意味があると思ったので,ああして与えられた機会にあのように書きました。
それと上の追記を書いてから気付いた流行に関してのことを書きます。
流行のその標的にごく近い人々が,いわゆるみぃはぁな人々を嫌うというのはありがちな話です。
私が誤解によってそのみぃはぁの括りに含まれ尊敬すべき彼らに遠ざけられてしまうのではないかという危惧があるために,自分が好むものの流行を歓迎しないのです。
あるいはまた,私は自分の知性や器用さに自信が持てないがために,流行によってやってきた後発の者に先んじられてしまうことを恐れるというのも大いにありうる話です。
つまるところ,こうした私の感情は虚栄心みたいなものであろうと考えています。
;; それにしても,自分の日記エントリへのコメントをモデレートできるなんて欠陥以外の何者でもない。
自覚無いご様子 (スコア:0)
本当に掲載意図を重んじる人ならば、うだうだ言わず、本の紹介だけしていました。
自分の思想が大切ならそのことだけ言えばよく、本の紹介はどんな形であれ
すべきではありませんでした。
ISBNがわかれば、その本をある一冊に特定することができるわけですから
すなわち貴方は書名を挙げたのと同じです。そこはお分かりだと思います。
しかし、「書名を挙げてお勧めされると自尊心が傷つけられるからやめてほしい」と言う一方で
自分は「ISBN≒書名を挙げてお勧めする」。
オススメされたくなければISBN調べなきゃいいじゃないかと思われるかもしれませんが、
これは調べる調べないの話ではありません。
理屈的には書名を挙げてしまっているのですから、
「自分がやられたら嫌なことを、他人に対して行っている」わけで、
その理由と合わせて、子供だなんだと言われているのです。
# いいとこ取りの八方美人を(無自覚に)演じ(ようとし)ているあたりは、
# (誰に対しても)誠実な態度とは言えないでしょう。