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ken_non_sumの日記: 39

日記 by ken_non_sum

公教育を目の敵にする手合いというのは珍しくもなんともない。
一人びとりの子女ごとに特に好ましくない事例があったとしても、総和で見れば良好、というものを目指すしかないから。
だから、どっちの言い分が不当というものでもない、ということは稀ではないんだろう。
;; 時代が変わりつつあるならもう少し考えてもいいんじゃないかとは思うが。

それよりもむしろ /. に教育制度の現状を擁護する声が多いことのほうが注目に値する。
アカデミックな、あるいはアカデミック崩れなユーザがやや多めなのも一因だろうか。
;; あるいは「公」教育だからかも知れないけれど。

それでもって、エントリに私怨をぶつけるコメントに対して、見くびったような態度で反応する例が散見される。
;; ほんとうは ID を名指しして指摘したい過去の事例があるのだが、こっちに矛先が向いたらたまらないのでやめておく。

教師は尊敬される存在から、空威張りだと憎まれる存在へ変わってしまった。
それは生徒だけでなく、教師が大衆化したのも一因だろう。
不条理、あるいはそこまで大袈裟でなくとも、不便、というのは、それが誰にも免れ得ない事情がない限り、それを強いる側は必ず反感を買う。
おなじ教師の指導でも、昔は受け容れられ、今はそうでないのは、そういうことなんだろう。
「おなじ価値の人間なのに」一方に許され、他方に許されない物事がある、と思われてしまっているのだ。
;; あるいは、昔は露呈しづらかっただけかも知れないが、
;; ただ、今と昔の教師どっちが立派だったか、ということを話したいわけじゃないので、この議論には無関係だ。

教師の言動が、教育的指導なのか、それとも単にその職権を示威する行動なのか、生徒たちから区別して貰えないのだとすれば、その非は教師に帰せざるを得ない、と、ボクは思う。
それくらい、教師の権限は、名目としてはともかく、生徒たちに与えうる影響を鑑みれば、大きい。
;; ここまでで分かるように、ボクもまた冒頭の「目の敵にする手合い」のひとりなんだろう。
;; 学校が権威を手放さないかぎり、いじめを原因とする自殺も、学級崩壊も、教員による犯罪も、改善しないとも思っている。

教員がもともとそういうしょうもない人間によって占められがちなんだという意見もあるけれど、むしろ実態はスタンフォード大学の例の実験、映画 es のそれに近いんじゃないかと思う。
「己に如かざるものを友とするなかれ」というが、どこかの元首相と違って、客観的に反省できないわれわれには、上位者(少なくとも、油断のできない相手)が傍に居るほうが結局は幸せになれるのかもしれない。

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