ken_non_sumの日記: 3/1 ad novissimum diem
ここ数日、いつもなら Web 1.0 的なところばかり巡回していたのを、ふとしたきっかけから、暫く離れていたところまで見てみることになった。
そして、そこに集う人々の様変わりに大いに困惑することになった。
ここも含め、ふだん見ているところは、実はかなりあやうい均衡の上に成立、少なくとも、ボクが望ましいと考える場として成立しているのだということを思い知った。
おもえば、2ch も過疎板かまとめサイト経由でしか見てなかったので、「前線」がどうなっているかなんて気にしたこともなかったし、ふたば二次裏はまだ 1 つだった頃の、OS 擬人化とか、たまにプロの人がこっそり「作品」をアップロードしていたとか、そういった印象しかなかった。そりゃ打ちのめされもするか。
;; まああの頃だって「ネットランナー」とかデジャヴとかあったけれどさ。
話をうまくまとめられないが、なんだか、インターネットが自分の居ていい場所という気がしなくなってきてしまったのだ。
自身がこんなに臆病だったのだということじたいにもおののいた。
見たくないものは見ない、というのは、道義的につらいものがあるのだが、いちいち向き合っていたら身の保たせようがないんじゃないか。
もう潮時なのかな。
これまで SNS というものにはただただ嫌悪しか覚えなかったのだが、それらを利用しようという人らの気持が少しだけ理解できた気がする。
結局ボクには見るべきものが見えておらず、すべき覚悟もさとっていなかったのだ。
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なんだか抽象的な表現に終始してしまっていて、読む側はさっぱりか。
公開される日記だから腰が退けているのだろう。
たとえばきのうの日記の主旨もそうなのだけれども、話題を提供してくれることが望まれている、少なくとも、ボクがそう望んでいる人々に対して、その気を失くさせるようなことをするのはやめて欲しいのだけれども、かといって、仮にそういった邪魔者を排除しようとしたら、同じその理屈で、ほかの、望ましいものまで、つまり、声を上げるべき人々の機会まで奪いかねないのではという懸念があって、それでボクなんかは強く葛藤するのだけれども、なんのためらいもなくそういう過激派に消極的でも賛意を示す人々がひと隅には集まっているのだが、ボクには、彼等の足許をも撒かれたガソリンが濡らし始めているように見えて呆然とするしかない。
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原理原則というのは大事だ。
でも、原理原則によって支配されるべきか、というところに議論の余地がないと言えるのかどうか。
自分の利益を主張するのに、それらを盾にすることを悪いということは出来ない。
出来ないけれども、その利益の源泉がなんなのか少しはかえりみてほしい。
たとえば法の埒外にあるということは、恣意性に委ねられるということであって、自分が冷たく遇されることもありうるのだということを忘れてはいけない。
片手でなぐりつけながらもうひとつで握手しようとするかのような態度をとるのは望ましくない。
徒に権利だ領分だを振りかざしているうちに、誰からも見捨てられることになりはしないか。
へこませてやったつもりの相手は、それを知っているから、下手に出て向き合ってくれていたのではないか。
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ボクにとって人をふたつに分ける方法は、敵か味方か、という判断だ。
ところが、どうも世の中には、支配するか、されるか、という分けかたを持っている人もいるようだ。
前者はひとの幸福を奪うが、後者はひとの不幸を糧にする。
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