ken_non_sumの日記: 笹子の迂回を講じ維新の第三極をおもう 1
桜田門外の変で知られるように、幕末にあって、水戸藩は尊皇攘夷の一大派閥であった。天狗党はそうした水戸藩士とその浪人らを中心に組織され、筑波山にて挙兵、北関東を転戦ののち、当時禁裏に近かった水戸徳川家の一橋慶喜を通じ、朝廷の信を受けるべく上洛を企図した。彼等は佐幕勢力と交戦しつつ中山道を西に上ってゆくが、上洛は果たせず、その慶喜によって敦賀へと追討された。このゆえに、のちに明治維新の中心となった薩長や土佐の攘夷派とは明暗を分かつ形になったともいわれる。
和田峠は中山道の和田宿と、諏訪湖畔の下諏訪宿との間にあり、天狗党の交戦地のひとつであった。下諏訪側に水戸藩士の墓が残っている。この峠は、八ヶ岳、蓼科から車山、美ヶ原へと、糸魚川・静岡構造線の東で信州を斜めに分かつ山地を越えるもののひとつで、かつ最も重要な経路である。歴史的価値はいうまでもないが、比較的道路状況が好ましい上に、新和田トンネル有料道路や長野道岡谷インターチェンジへの短絡路もあり、冬場や悪天候時にも走りやすい。国道 142 号線となった今も大型トラックが往きかう。
おもての記事へのコメントで伊那谷への迂回路について詳説されているが、ボクからは、この「忘れられた王道」とでもいうべき中山道ルートを提案しておこう。東京からだと、関越を北上し、藤岡から上信越道に入る。佐久北 JC 佐久小諸 JC で作りかけの中部縦貫自動車道中部横断自動車道に折れて、R142 を浅科の東に出る。あとは道なりで諏訪まで行けよう。佐久 IC で降りて、岩村田から県道 44 号線で直接望月に向かうのもよい。
用心しておくところは、やはりというか、芦田(望月の西)から長久保へと降りる笠取峠と、和田峠とである。笠取峠は佐久の高原から、下流で上田に通じる谷へと降りる、そこそこカーヴの多い峠らしい道である。
;; 実は、ボクは冬場に一度スリップさせたことがある。
和田峠は、諏訪側に、直線的な急勾配が長く続き、沿道のそこかしこに非常退避所が設けられている。ところどころに急カーヴもある。速度超過に用心しなければならない。
;; なお、小型車通行料 600 円を惜しまず有料道路の利用を断然おすすめする。旧道は 4 月でも雪が残っているようなところである。
中央道に出るなら、下諏訪に降りきる手前で西に分かれ、木落し坂、湖北両トンネルを抜け、R20 バイパスから長野道の岡谷 IC へ向かうのがよいだろう。
佐久に出るためにいちど北へと向かうのが、一見損のように思えるからか、見過ごされがちな印象である。しかし、実は中央道でも、韮崎から諏訪へと、南アルプスを北へと迂回する形になっているので、そんなに差はないのではないか、と思う。
2100 JST 追記
[Re: JCについて (#2285508) from AC]
ご指摘感謝します。訂正致しました。あと、自動車道の名前も、別の計画線のと間違えていたので直しました。
それにしても、誘致合戦の結果として、新幹線駅や JC は市町村の境界に設けられることが多い、そういうものだと思っていたのですが、設置の計画がまとまったあとでさらに名前で争う例が少なくないのはよく考えれば不思議な気もします。
関越にも本庄児玉 IC というのがあります。もっとも、児玉郡児玉町も今は本庄市ですが。燕三条の例もあるので、その近所の新幹線駅は当然児玉本庄駅になるものとばかり思っていたのですけれども、土地を提供したからか、早大の名を冠した(履いた?)ものになってしまいました。
;; 驚くことに、公募で一位だったそうです(児玉本庄は二位)
JCについて (スコア:0)
JC=女子中学生ではありません
文中のJC名は「佐久小諸JC」ですよ!と小諸市民でかつJC近傍に住むところの私は強く主張したい。
いや、最初は佐久JCとなる予定だったんですがJCの半分くらいは小諸市なんで小諸の名前もつけろ
ともめたんですな。で、「佐久小諸JC」に落ち着いたと。
ちなみに、料金所は「小諸御影料金所」です。(こちらは通称のようですが)