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kenfujitaの日記: 科学について

日記 by kenfujita

昨日、国立科学博物館で開催中の「江戸大博覧会」を見物して来ました。かねてから江戸時代に興味はあったので、2~3ヶ月前から行きたいと思っていましたが、やっといけました。いろいろ考えたことはあるのですが、とりあえず科学について思ったこと・・・

現代社会で技術が発展するのはいわば当然のことである。研究して技術を発展させたものは称えられるし、それで生活もできる。現代における「科学」とは、職業的なものになるのではないだろうか。自分は本来やりたいとは思っていない、興味を持ってない事柄についても研究しなければならない、生活するために。
ところが江戸時代の科学については、研究者たちは実用性を意識していただろうか?もちろん意識していたものもあると思う。例えば和算である。西洋では物理などのほかの学問を扱うために数学は発展してきたと言える。しかし和算には、そういった他分野の背景は特になかったと聞いている。科学ではないかもしれないが、工芸品についても、「現代って、この時代と比べて本当に進歩したのか?」と思えるほど精巧なものがたくさんあった。おそらく職人が何年もかけて丹精込めて作ったのだろう。職業ではあったかもしれないが、自分のやっていることが数年後完成して、役に立つかどうかはわからない、という中で江戸時代の人々は研究してきたのだろうと思う。
私は「役に立つかは別問題として、とにかく気になるから研究する」ということこそ科学だと思う。一般的には科学は客観的な学問などと解釈されていると思う。しかしそれでは、人間らしくないのである。人間は地球上でもっとも考えられる動物である。だからこそ科学などの文明が発達したのだと思う。考えること、探求することは人間のみができるので、そうすることで人間らしくなると思う。それが私にとっては「科学」なのであり人間であることの証とさえもいえる。
現代では多くが生活するために研究している。この、「生きていたい」というような希望は地球上のどんな動物にもある。しかし「時には自分の命を犠牲にしてまで興味のあることを知りたい」ということは人間ならではだと思う。そしてそれこそが科学である、と言いたいのだ。科学は地球上では人間のみに与えられたものであると。
私は江戸時代に、「科学」を見た。同じ場所で最先端のロボットも見た。実は私はその2つに共通するものを感じたのだが、それについてはまた後日ふれよう。

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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell

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