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kubotaの日記: 続・日本発

日記 by kubota
つっこみに関して。

読んでいただいてありがとうございました。

「ある機能に関しては特定の国・文化圏で開発したほうが効率が良い」、ないし「ある機能を生むモチベーションは特定の国・文化圏にしか存在しない場合がある」とも言えるのかもしれない。

は「かもしれない」どころかまさにそのとおりだと思います。ただ、日本人にとって使いやすいソフトウェアを実現するために、プロジェクト全体をまるまる運営したり、その意思決定権を握ったりする必要はない、ということです。パッチを送って、議論して、取り込んでもらうので十分なはず。というか、それで十分でなければならない。

というのは、それだと、複数の国や言語や文化の人々にとって使いやすいソフトウェアの存在が、原理上、不可能になってしまうからです。日本人が主導権を握っているということは、日本人以外が主導権を握っていないということですから、日本人以外にとって使いやすいものにならない、という結論に至ってしまいます。つまり、国際化や多言語化というのは原理上不可能だ、と言っているに等しいのです。

多くの日本人がソフトウェアの「国際化」に情熱を傾けてきましたが、しょせんそれは、日本人にしか使えないものだったのでしょうか? 実際問題として日本人の自己満足にすぎない結果になってしまった国際化プロジェクトというのはあるかもしれませんが、「国際化」はそもそも原理的に不可能なのでしょうか?

それに、日本語化をやりたいだけなのに、まるまるプロジェクト全体を抱え込むのは、得策ではありません。日本語化は完璧かもしれないけど、日本語化以外の部分がいいかげんなソフトウェアができあがってしまう可能性もあります。

「きれいな国際化」「美しい日本語化」を体現したと言われているソフトウェアがあまり広まらない、ということについては、まさしくその点 (国際化・日本語化以外の面で、他のソフトウェアに劣っている) ということなのかもしれません。

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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア

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