kuremaの日記: 「進化」の持つ「意識」 9
インテリジェント・デザインという考え方がある。
要するに、生物は何らかの「知性ある存在」により設計された、というものだ。
この主張は以下のような点で問題がある。
- 生物が進化により発生したという事はほぼ疑いの余地が無い。
- 「知性ある存在」による設計は、進化による設計に対して以下の制約が有り、総合して設計の困難さに有意な利点があると言えるか疑わしい。
- 極めて短時間に、かつ大量の実験的生物の創造なしに設計された事。
- 恐らくヒューマンデザインの延長にある設計手法を用いている事。
以上の点を逸脱すれば、進化さえ一種の設計手法として認められ、そうすればインテリジェントデザインと進化論の関係は対立ではなくなりうるためだ。
私は概ねインテリジェントデザインを支持しない。
ただ、少なくとも一つの点でこの理論は示唆的であると考えられている。
つまり、生物は意図的な設計が存在したと思えないほど精巧で完成されている、という事だ。
暫時話を変える。
機能的には意識があるように見えて意識を持たない存在、つまり哲学的ゾンビは存在するのだろうか。
「存在しない」と主張する者に対して、私たちは一つの明確な反論を持つ。
それは小説の登場人物であり、或いはごく単純なアルゴリズムで設計されたボットあるいはブロックヘッドだ。
前者は本を読むという極めて限定された観測に対して、後者はチューリング・テストと呼ばれる文字による会話という観測に於いて、人間と区別できない。
一般的には彼らは意識を持たないと考えられている。とすれば「哲学的ゾンビは存在する」と認めざるを得ないだろう。
私はその考えを支持しない。彼らは時間を超えた意識を有するというのが私の立場だ。
小説の登場人物は作者や作者が引用・参考にした文の作者の脳内に、ブロック・ヘッドはそのプログラムやデータベースを作った設計者の脳内に分割された形で意識を有する。
纏めれば、私の立場は機能的に意識を有するように見える存在は意識を有するという事だ。
私が提唱したい可能性は、「総体としての進化は意識を有する、そしてそれは知性をも有しうる」というものだ。
確かに進化の仕組みはごく単純なものだ。小学生ですら理解できる。
しかし、神経細胞が単純な振舞をするからと言って人間は意識や知性を有しないという結論を下す者はどこにもいないだろう。
進化が意識を有しないとするものはそれと同じ誤謬を犯していないだろうか。
人間が意識を有するかの判定は総体としての機能から判断されるだろう。
同じ方法で判断した場合、進化は意識を有すると判断する他ないだろう。
(もっと明確で強力な論証を期待していた方には申し訳ない。現状の根拠はこの通り無いに等しい。飽くまで可能性の提唱としてとらえてほしい。結局我々には意識を有するかの判定関数など持たないのだ。)
意識を持つとしてどのような物だろうか。
実験室でも進化は起こりうる。隔離された二つの存在が一つの意識を有するとは考えにくい。意識を有するとすればその内部では極めて頻繁な情報流通が行われているはずだ。
恐らくは遺伝子の交流が行われる範囲、おそらく一つの動物種に対し一つの意識を持つ、言ってみれば氏神の様な存在だろうか。
勿論、時間意識は極めて緩慢。そして私たちと同様の思想など殆ど有しないだろう。ただ「美しさ」の感性は多くの点で我々と共有するだろう。それは我々に教えられたものだ。
無論我々の創造主であり、神に近い存在だろう。
では我々はこの地球最初の知的存在と対話できるだろうか。
それは種の虐殺や生態系の破壊を意味する。
困難だろうが、可能性としては存在する事は認めておこう。
将来、謎の宗教や或いは地球外の知的存在がこのような対話を試みない事を望む。
答えがYESなら1回、NOなら2回 (スコア:1)
なんだか面白そうですね。グレッグ・イーガンあたりと共著のSFに仕上げると傑作になりそう。
進化・知性・自意識 加えて 宗教・神・異星人 etc. 単語だけ並べると月並みになりそうですが
「対話」を試みるあたりを練り上げれば・・・。
相手が普通の生き物なら信号の点滅回数とか使えそうですが、そもそも数とか時間とか空間
の概念からして違いそうですし。
総体の知性は良い物 (スコア:0)
とは限らないわけで。
今の人間の社会を見ればわかる。
個々が総体になったら進化するのでなく、進化はごく一部の個体が社会に対して起こしている。
人類総体としての知性は常に少しずつ堕落していて、それを一部の個体が引き戻してるのが現状と認識してる。
神の視点に立ったデザインが、良い結果を生むとは限らない。
問題はこれからどうするかであって、作ったのが偶然でも神でも、知ったことじゃない。
そもそもさあ、人類を作ったのが宇宙人で、それに反逆するSFなんていくつもあるのに、
なぜ神様なら、人類を作ったのが神様だとしても、神様が悪いやつで人類はいずれ反逆しなければならない宿命にある、という可能性を思いつくより前に「信仰」できるのだろう。
妄想 (スコア:0)
または、実態を持たないものに(勝手に)意識を見出しているだけ。
またはトートロジー、
犬やイルカに高等知性がある。と見えるときは確かにあるが、多くの場合、それは見る人の心の中にある何らかの期待が、動物の行動結果から何かを「見て」しまうだけだ。
あなたが、なにかとてつもないものから「意識」「知性」を見出すのは勝手だが(そしてそれはほとんどの宗教と完全に同じ思索なのだが)、
それは、犬やイルカがあらわす実在の反応よりも検証不可能で、非実在で、よって非科学であるのだよ。
「機能的に意識を有するように見える存在は意識を有する」
ではなく
「機能的に意識を有するように見える存在は意識を有するように見える」
でしかなく。
あんたの雑文は、あなたの立場なるものを何も論証していない。いわんや、思考実験すら提案していない。
だとしたら、これは科学ではなく、すべての意味で宗教である。
なお、科学ではない思索の存在は否定されてはいけないし、宗教の存在も否定されるべきではない。
否定されるべきは、科学のようにふるまう偽科学。宗教のようにふるまうオカルト。
Re:妄想 (スコア:1)
可能性の提示として受け止めて頂ければ幸いです。
Re: (スコア:0)
いや、「可能性の提示」って、なんの可能性を提示されているのやら。
「生物は意図的な設計が存在したと思えないほど精巧で完成されている」
これはどこまで確認されましたか?設計ミスは無いの?
「同じ方法で判断した場合、進化は意識を有すると判断する他ないだろう。」
なぜ?ここでいう「意識」とは何?未定義の用語をぶんまわすな。
ご自分の文章で「結局我々には意識を有するかの判定関数など持たないのだ。」と言っているのに?
この妄想を公開するなら、せめて「意識」という言葉の持つ意味を、もう一度(他人の文章などに
Re:妄想 (スコア:1)
「意識」はいわゆる「現象的意識」の事で、貴方や私が持っていたり、或いは多くの動物も持っていると考えられているものです。
現状、明確な定義など有りませんし、出来るとしても困難でしょう。
取りうる多くの定義に於いてこの文章は成り立つでしょう。そのような場合、明確な定義を示さない事が論理の汎用性・頑強性の為に有用だと考えています。
また、この文章は論証を目的としていません。
簡単に言えば「人間に対する意識有無の判定を適用すれば、進化も意識を持つという立場も有りうる」という程度の事しか述べていません。
そのような可能性は無視されていましたし、少なくとも一般には知られているとは言えません。
ここでそれを示し、誰かが「面白い考え方だ」と思うだけでも文章を書いた価値があると思います。
これは日記であり論文ではありませんし。
なお、これは寧ろ「心の哲学」の領域です。
この分野における論証がどのような方法で行われるかは私は知りませんが、所謂科学(自然科学?)におけるそれとは多少異なるところもあるだろかと思います。
実際の所、「他人に意識があるか」という極基本的な問題すら論証も証明もされていません。唯一確かとされているのは貴方にとっては貴方、私にとっては私の意識が存在する、ここまでです。そういう分野です。
Re:妄想 (スコア:1)
示唆的なものを感じました。
が、分からないのは「進化」が何かを「持つ」というところ。
「進化」が「持つ」の主語になるのはちょっと難しいような気がします。
>恐らくは遺伝子の交流が行われる範囲、おそらく一つの動物種に対し一つの意識を持つ、言ってみれば氏神の様な存在だろうか。
とおっしゃっていることから考えて、
進化して種が意識を持つようになる、その意識が次の進化を方向づける。
というようなことでしょうか?
(遺伝子プールとしての)種に属する個体間の相互作用(gene flowなり、communicationなり)により「意識」が生まれるかどうかは分かりませんが、個体の単なる集合ではない総体としての「何か」が生じるかもしれません。
おっしゃっていることとは違ってしまいますが、
進化により生物は意識を持つようになり、その意識により自らと関連するそれ以外の種の進化じたいが影響を受けるようになる。
ということなら、普通に起こっていることで、人間が行っている家畜化・栽培化などはその一つの例ではないでしょうか。
Re:妄想 (スコア:1)
想定しているのは、概ねそうです。種として意識を持つ、と云ったイメージです。
ただ、現状根拠の薄い提案程度の物なので私が何を考えているかはあまり重要とは言えません。
より正確に言えば、以下のような事です。
「進化」はその環境・表現形・膜とDNA等の細胞のシステム等を合わせて広義の乱択アルゴリズムと呼べます。
意識を持つのはこのアルゴリズムとしての「進化」です。
表現形には脳・意識を持つ生物の振舞やさらにはそれが生み出すものも含まれます。
なお、最後の例に関して言えば、人間が想定通りに生物を設計・品種改良した場合、それは人間が機械を設計したり文章を書いた事と同じで、その機能的な振舞の源泉ははっきりしています。
なんら不思議な事は有りません。
このような場合、人間の意識と「進化」を併せて一つの意識を持つ…という様な可能性は特別に考慮する必要はないと思います。
Re:妄想(訂正) (スコア:1)
すみません。
貴方の文章を読み返した所、貴方は独我論者のようですね。
少なくとも、貴方の態度を厳密に適用するとそうなります。
明確には書いてませんでしたが、この文は「他人には意識がある」という立場を前提とし、その立場に基づけばこうなる、という形を持っています。
つまり独我論の否定を自明の前提としています。
確かに、科学的な検証の立場を前提とすれば厳密には自分以外の意識の存在は証明できません。現にそういう立場もあります。
そのような議論を無根拠に否定した上での議論ですから、貴方の(最初の)疑問にはこの文章は答える事が出来ません。
独我論をどう考えるかという議論についてはまた別の機会とさせていただきたいと思います。