live-gonの日記: 根無し草で行こう - IT観察
「mixiコミュニティー“乗っ取り”にユーザー困惑」ってことである。手法を見て、「なるほどなあ」と感心してしまった。
リンク先の記事には避難所となったコミュニティーが紹介されている。何だろうと思ってつい検索してしまった。そういう人も多いだろう。
乗っ取られたコミュニティーを覗いたら、なんとか立て直そうというトピックがたくさん立っていて、乗っ取り側の卑猥なトピックは数が少なかった。とはいえ、その気になれば真面目なトピックを削除する権限が乗っ取り側にあるわけで、相手の陣地で話し合いを展開するのは負け戦ではないかと思った。亡命先にはニュースサイトに紹介されてしまったことへの反応もあるようだけど、基本的に、ニュースとして紹介されるのは困っていないようだ。元が「コミュニティー」なので、内容と関係のない野次馬に注目されるのは本意ではないだろうけど。
頭のよさそうなフリをして、今後の対応策とか予防策について語るのもいいけど、私が思うのは、ネット上のリソースに思い入れをあまり持たない方がいいのではないかということである。思い出を軽視するわけでない。けど、インターネットの世界では濃い人間関係は弊害が多く、別の考え方を身に付けた方がいいと思う。
具体的に言うと、別のコミュニティを作って、そこでやり直すのがいいということである。実際、亡命先のコミュニティも、元のコミュニティの奪還のための行動を起こすことはしないと明言している。これはなかなかうまいスタンスだ。
ネット上のリソース――この言葉はすごく幅が広いけど、ほかに言いようがない――は永久に存在するものではない。コミュニケーションでさえそこに含まれる。ネットゲームの友人はゲームのサービスが終わると消滅する。掲示板の書き込みは時間が経ったり不慮の事故によってログが失われるかもしれない。アカウントがなくなることもあるだろう。今回のような事件を踏まえて、管理人の複数委任制度や定期的な信任選挙制度、そして副管理人や警察的な機構まで、色々な対策が考えられる。しかしそういったシステムはその導入コストに見合うものなのか。それよりもおかしなことが起きたらとっとと新しいコミュニティを作れるようにしておいた方がいいのではないか。私はそのように考えたのである。
乗っ取りや、長期政権による腐敗などの対策として新しいコミュニティの形成というものが用意されたとする。こんなものはわざわざ用意するようなものでもないだろう。そちらへの移行についての最大の障害は、参加者の思い入れだと思うのである。今までいた場所を離れるのはそれがネットであれ辛いものだと思う。自分だけでも最後まで留まりたいと思ったとしても愚かだとは思わないし、単にめんどくせーと思っている人に対してもそれが極端な横着だとは思わない。
だけど、ネットでは農耕民族的な粘り腰はよくないと思うのである。乗っ取られたり心変わりした管理人に対して、正常化を求める時間はそれほど短いものではない。永久に分かりあえないかもしれない。とっとと見切りをつけるのも薄情な気がするが、正常化したら戻るのも自由ではないかと思う。その辺の心理的ハードルを低くするためにはバックアップというのも大事だと思うが。
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