live-gonの日記: What you get - IT観察
浅沼の妻が最初の子供を流産したときに、会社の同僚は月並みな慰めの言葉を口にした。それらは何一つ彼の心に響かなかったが、彼も妻も三十歳を越えていたので、それを言う人間がどういう心情でその言葉を口にしているのかは充分に理解できた。
立場が違っていたら同じことを言っていただろう。
同情は人間の美徳だが、あまり意味はない。社会人になってしまうと、「まあ、俺には関係ないし」とは言えない。それはロックじゃない。ただの非常識だ。
流産にも色々原因はあって、その中でもとくに納得のいかないものが、へその緒がよじれてしまったというものだ。何か外部的なショックがあったわけではない。薬物的にも遺伝的にも、何の原因もない。運が悪いと、胎児が身をよじったときにそういうことが起こる。
当たり前だが、浅沼本人より妻の敦子の方がショックは大きかった。妊娠七ヶ月。まだ生まれてもいない子供に本人も驚くくらいの愛情を注いでいた。今思うと、不謹慎だが、こういう悲劇的展開のための伏線か演出だったようにも思う。死ぬと分かってたらあんな風にお腹に語りかけたりしてなかったのに。
検診して胎児の死を知り、すぐに処置をした。死んだ子供でも七ヶ月だと生むのにもリスクがある。死んでいると分かっている子供のためにいきむのは大変だったと思う。浅沼も立ち会ったが、途中で涙を浮かべながらいきむ妻を見てもらい泣きをしてしまった。クールな方だと自覚していたが、もらい泣きをしながら、自分も子供のころはこんな風に泣いていたんだと思い出していた。看護師や医師が見ていて、非常に恥ずかしかった。若い看護師はもらい泣きしていて、それは浅沼にとって慰めとなった。
いくらでも泣けた。その気になれば妻より泣くことができた。自分で自分の気持ちを盛り上げていく技を久しぶりに思い出したような感じだ。浅沼にとってはそれは禁じ手として長らく封印していた行為だった。
妻の処置が終わった後、トイレに行った。顔を洗い、また泣いた。また顔を洗い、病室に戻ろうと思ったが、その前に廊下のベンチでまた泣いた。再び不謹慎な話だが、泣くことのストレス発散の効果を実感することができた。
廊下を歩く人にさんざん泣き顔を見せて多少すっきりして病室に入った。妻がぼんやり天井を見ていた。彼の方を見ると、「事故なんだって。気持ちを切り替えないとね」と言った。子供が子宮から取り出されてすぐに原因を医師から告げられていた。浅沼も聞いていた。
服の袖で涙を拭いながら、「今はなにも考えられない」と言った。そしてベッドの横の椅子に座る。
しばらくしてから、彼女の手を取って両手で握った。ぽつりと漏らす。「泣きすぎたよ」
彼女は笑う。「そうね」
浅沼は彼女を見る。なんだかんだいって自分より彼女の方がショックが大きいのだ。自分は、子供のように泣くことで一つ乗り越えてしまった感覚があるけど、彼女にはそれがない。理性で、自分がどう振る舞うべきかを考えながら喋っているように感じる。彼女が泣き、そしてそこから立ち直るまで、まだ時間がかかるだろう。
彼は言った。「大丈夫かい?」
「うん」
当日のうちに病室を移り、さらにしばらくして妻は退院した。本当のことを言うつもりはなかったのだが、会社に休みを申請するときに結局口に出してしまった。妻が流産したので、休ませてください。
最初の話に戻るのだが、現代の日本において流産というのは日常的ではない。だから月並みな対応になる。それはお気の毒です。上司はそんな感じの反応だった。
さて、退院してしばらくすると妻も動けるようになった。風呂を掃除し、洗い物を片付け、洗濯物を干した。泣くということはなく、淡々と日常に戻ったような印象だった。男は鈍感な生き物であり、浅沼も例外ではなかったが、妻が本調子でないことぐらい分かった。死んでしまったという自覚と、それを受け入れるという段階を踏んでいないと思ったのだ。幸いなことに涙の効用を知った彼は、休みの間にマメに泣いた。色の悪い子供の遺体を抱き上げては泣き、看護師に慰められては泣き、両親や義理の両親に会っては号泣した。いい年した大人が泣くなんてみっともないと思っていたが、どんなに泣いても周りの人が優しい対応をしてくれると分かったので、安心して泣くことができた。風邪のときは寝てていいというのと同じように、子供が死んでしまったときは泣いていいのだ。そんな子供のような三日間を過ごすと、自分が完全に回復したのを感じることができた。今までありがとうと周りの人に礼を言い、改めて妻を見ると、彼女が日常生活をこなすことで子供の死を忘れようとしていることに気づいた。
一週間が過ぎ、浅沼の両親は実家に帰っていった。妻の母もしばらくいたが、やがて帰ることになった。
義理の母は二人きりになると言った。「治郎さん、ありがとうね。敦子のこと、お願いね」
「はい。まだ調子が悪いみたいだけど、頑張って支えます」
「うん」
なぜか義理の母は浅沼の手に現金を握らせて帰って行った。
出社すると、同僚は口々に同情の声を寄せた。同僚と仲が悪いわけではなかったけど、浅沼は、ここで号泣しても誰からも慰めてはもらえないだろうと思った。今までのうちに泣いてよかった。親戚にも流産した夫婦がいて、などと話をしてくれる人もいたが、なんと言っていいか分からなかった。受け入れなさい、泣きたいときは泣きなさい、事故だったんだ、何の責任もなかったんだ。
浅沼が思うに、悲しいことというのは原因や責任とはあまり関係がない。悲しいことというのはそのままの形で前後関係もなく存在し、自業自得だろうが単なる事故だろうが、自分のことだろうが赤の他人の無関係な出来事だろうが、人の心に入り込むと悲しい気持ちになる。慰めというのは大抵の場合、言葉で説明するものだけど、そういう理屈抜きで襲ってくる感情というものを防ぐようにはできていない。
世の中には悲しいことがある。それだけだ。慰めとは、そばで一緒に泣くか、いつでも泣いていいよという態度で接することなのである。
それが分からないと、伝わらない。既に泣いていた浅沼は同僚の言葉に傷つくこともなかった(慰められることもなかったが)し、その立場も分かったので責めるつもりにはならなかった。ただ、悲しいことを理解する前には戻れないというだけのことだ。
それからも生活は続いた。夜の生活はなかなか復活しなかった。浅沼の方が遠慮していた。妻がいつまでも、一度も息をすることのなかった子供のことを考えている限りは、家の中ではそれを同じように感じていた。世の中には悲しいことがたくさんあるのだ。
やがて、子どもが「ネットいじめ」を親に言わない理由なんてホームページを見ているときに、妻が泣き始めた。
「どうして?」と彼女は呟いた。「どうして?」
浅沼は彼女を抱きしめた。彼はもう悲しくない。一緒に泣くことはできない。だけど、涙をうっとうしいとは思わない。彼女は泣くべきだったのだ。だから、泣いていいのだ。
彼女は静かに泣いていた。何度も言うけど、泣いていいのだ。
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