live-gonの日記: より過激・笑える殺人方法・創造と表現 - IT観察
「ソニー陳謝、PS2用新作ゲームの宣伝に残酷シーン」ってことだけど、インパクトを強調するためにこういう手法を使うことは、卑怯だし濫用する物でもないけど、完全にアウトということはないだろう。リンク先にもあるようにソニーは宣伝にこういう物を使う傾向があるようで、これは一部の人間の趣味が出ているようにも思う。下品だったというのもあるけど、中途半端だったとも言えるかもしれない。
印象に残すための手法というのは結局のところ、過激にしていくしかないわけで、以前なら女性のキスシーンがあるだけで宣伝になっていた映画が、背中や胸の裸だけでなく、下半身やセックスシーンまで出るようになった。ここに至るのに五十年もかかってない。残酷シーンも同様で、昔だったら単に人を殺していたのに、今じゃ、連続婦女暴行監禁殺人が当たり前の世界になってしまった。現在、この殺人の部分をいかに過激にやるかで人間の想像力の限界が問われていると思ってよい。個人的にも、今さら銃乱射やカニバリズム、その他もろもろのありがちな殺人方法では退屈してしまうだけである。
ギャグ漫画にもネタはある。私が見たものでは、「おかんが自分の子供のころの話を近所の人に披露するのを延々聞かされる」とか「おばさんのどうでもいい愚痴を三時間聞かされる」とか「思いつかないギャグマンガのネタ出しを100本課せられる」とか、そんなんがある。
個人的には、「イランのシーア派とスンニ派を同じ会場に集めて漫才で笑わせる」とか「アイドルのグラビアでオナニーしているところを生中継」とか、なんだか居所のない残虐な殺人方法もあるんじゃないかと思う。
話がズレた。インパクトの話に限って言えば、歴史は繰り返すとはならないのではないかと思う。レトロブームとしてのインパクトもたまには発生する。しかし、基本的には、「今まで見たこともないもの」「ええっ、そこまでやっていいのと思うもの」というのがインパクトの基本路線だ。もっともっとが基本で、古臭いものは古臭い。
そうなるとやることはタブーへの挑戦になり、以前の話の繰り返しになってしまう。大して面白くならない。この先十年で表現がどれだけ過激になるか、予想しようと思えば大体予想できるのである。作り手もそんなことは百も承知だろう。インパクトと過激を予想を越えた領域にまで持ってくる必要があるのだ。私に予想できるのは、せいぜい低年齢化である。殺人手法の過激化というのは思いつかない。人を殺す方法なんて出尽くしている気がする。新しい物が作られていく中で、そんなところからまた新しいアイディアが出てくるのだろう。
話によると、殺人手法にも完全なオリジナルというは存在せず、過去の殺人事件の組み合わせや応用によって少しずつ発展させてきたということである。よく、物語のパターンはギリシアの演劇で出尽くしていたなんてことが言われるが、殺人のパターンだってそういうものかもしれない。
なんにせよ、現実の殺人犯はクリエイターではなくデストロイヤーなので、変な妄想を持っている人は芸術家を目指したらいかがだろうか? ソニーのように世間から叩かれることもあるかもしれないが、突き抜けた発想にはおそらく賞賛と尊敬が与えられるはずである。
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