live-gonの日記: 主人公はどこに消えた? - IT観察
携帯小説が話題になったりならなかったりしているが――私のアンテナにはぎゅんぎゅん来てるんだけど、「なにそれ?」という人もいるんだろうなと思う――ライトノベル関係のブログに、携帯小説について、意見が書かれていた。
○ケータイ小説×電撃文庫=?では、以下のように書かれている。
ケータイ小説も、ライトノベルも、メインターゲットは同じ10代ですが、購買層は余り重なっていないと思われます。
主眼はあくまで、ケータイ小説の文庫化、かな? いわゆるライトノベル・レーベルにはならないような気がします。もしそうするなら、電撃の冠をかぶせるんじゃないでしょうか?
もっとも、私は読まないのでさっぱりなのですが、ケータイ小説にもライトノベル的な作品の投稿が結構あるのかな?
以下、世間の言葉に合わせて「ケータイ小説」と表記することにする。「写真で解説する「EXILIMケータイ W53CA」」ってことだけど、ここでもケータイ表記になっているし。
ケータイ小説の波については、「もはや、「文芸=ケータイ小説」の時代なんだろうか?」を見ると分かりやすいです。2007年上半期ベストセラー十冊のうち六冊がケータイ小説をルーツとしています。
ライトノベルとの比較だけど、ケータイ小説はリアルに立脚していることが大事なのかと思っていた。失恋とかその他の不幸を文章にして書かれたものを、「あー、わかるわー」と共感するのがケータイ小説の醍醐味であり、得意とする技だと思っていたのである。
話はちょっとズレるが、インターネットで小説を発表するなら一人称しかないと思っていた。「深瀬は落ち着かない夜を過ごしていた」というような文章は、モニターで読むには距離がありすぎると思ったのである。大体、ネットの文章のほとんどが一人称であり(この「IT観察」もそう)、私は俺は、な文章を読み慣れてしまっているから、そこでたまに三人称の文章に遭遇しても、うまく入り込めないだろう。フィクションの物語を語るときでも、モニターでは「私は」から入った方が読みやすい。読み手がフィクションだと分かるまで多少時間がかかるだろうが、そこまで読んで続きが気になったら読むだろう。これは作り話だと思って読む気が失せたら損することになるが、最初から読まれないよりは最初の何行かで勝負できるだけ書き手にもチャンスがある。
ケータイ小説にも似たものを感じていたので、自分のことを書きましたという感じ(リアリティと言ってもいいけどフィクションに対して「この作品はリアリティがある」というときのリアリティとは別のリアリティ。スポンサーの付いたアフィリエイトブログに対してリアルではなかったというときのリアリティ)が必要なんだと思っていた。文章は下手でもいい。一生懸命書いてる感じ。誇張のない感じ。生の声の手応え。そんな感じが小説っぽくまとまっているのがいいんだと思っていた。プロの語り部が作り話をするときの――アラジンと魔法のランプのような――空想や想像の限界を勝負するのとはアプローチが違うんだと思っていた。
ケータイ小説が、「これはフィクションですよ」というお約束の上で読者と勝負すると、ほかの小説より不利だと思っていたのである。
だから、ライトノベルでケータイ小説っていうのは、あくまでケータイ小説であり、ライトノベルとはかぶらないという最初に挙げたブログの意見に同意するのである。
一歩進めよう。パソコンで本を読むことはなかなか普及しないと言われてきた。普及しようという動きはあるが、今でも見通しは立っていない。一方でパソコンユーザもケータイユーザも文章は読みまくっている。パソコンで映画は観ない。テレビも厳しい。けど、五分くらいの動画はみんな好んで見るようになった。どこかで見た意見の受け売りだけど、オンラインのコンテンツは短さが重要なのだ。ケータイ小説もブログのように毎日細切れに更新されているという。五分どころか、15秒くらいで読み切れる長さが適切なのではないかと思う。
そして、人称や、さっき挙げた「自分の話」感は実は重要ではないのかもしれない。短く山場を作っていくことがポイントになるだろう。そう考えると、ケータイ小説、パソコン書籍で心がけるべきポイントが分かってくる気がする。
俺は文庫本を持ち歩いているので読むものには困らない。けど、ほんのちょっとした時間。連れがトイレに立って戻ってくるのを待つ時間に読み進められる小説というのが、いま求められているんじゃないかと思う。
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