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live-gonの日記: 彼女は探索の呪文を唱えて先回りする 前編 - IT観察

日記 by live-gon

色々考えたけど結論は簡単だ。飲み薬と香水を組み合わせればいい。チョウトリバナの根を乾かして土江〈つちえ〉パターンの呪文と組み合わせれば自分が好意をもった異性へのマーカーが得られる。制作者である自分の署名をそれに組み合わせて、フェロモン型の香水の惚れ薬を同じ署名で動作するようにする。香水を異性にのみアピールするように限定して、飲み薬の否定と論理積で反応するようにすれば、自分が好意を持たない異性だけに反応するフェロモン型の惚れ薬の動作になる。

錦織志摩はシンプルな実装に興奮してそのまま実作業に入った。設計図はコピー用紙の裏側にシャーペンで書き出しただけだ。惚れ薬なんて枯れたレシピだから自分が作る部分はほとんどない。

欠点は些細なものだ。まずフェロモン型の惚れ薬全般に言えることだが、ゲイなどで使用者を性的に意識していない対象には効かない。ちょっとでも意識すればいいのだけどすべての人間が反応するわけではない。これはもとの意識をきっかけにするものである以上仕方がないことだ。それにそのおかげで小さい子供には影響がないという利点もある。影の薄い人間が町を歩いている場合には反応しない異性も多いが、目が合うとかちょっと手をあげるといった動作で気を引けば異性が反応する確率は格段に上がる。意識されればいい。好意を持たれる必要はない。無視や無関心でなく異性としてのありなしを使用者に対して判断したときにその意識に作用する。日常生活に影響を及ぼす程度には充分だ。

制限を考慮しつつ、目的には充分だと判断し、すぐに作成に入る。

「気にする方にも問題があるだろ。そんなことでいちいち反応するのか?」

セクハラについて男と何度か話して理解できないことが理解できたのはその点だ。

「じゃあ女性が机の上に男性のヌードの写真を飾っていたり周りの人から変な目でじろじろ見られても平気なんですか? 不愉快でしょう? セクハラというのはそういうことなんですよ」

「いや……」職場の小甲イサオは錦織の言葉をしっかり聞きつつも、それじゃあまるで魔法のない世界でのカオス理論ですよと言われたような顔をした。カオス理論などよく分からない。魔法のない世界も分からない。「そうなの?」

錦織は言葉を失う。誰だって気持ち悪い目でじろじろ見られた経験ぐらいあるだろうになぜそれが分からないのか? そして話は戻るのだが、そんな視線を男性が感じることは普通はないということをようやく理解して、今回の調合になるのである。どうやら議論が不利になるからとぼけているのではなくて本当に分からないらしい。

当然だがこの薬のキモは、自分が好意をもった相手は反応しないことにある。その気のない相手のみが反応するし、途中から使用者が好意を持ったとしても効力を失う。

一週間後に薬を完成させた錦織は意気揚々と飲み薬と香水を持って職場に出かけた。これがうまくいけばセクハラの教育や治療薬としての道もある。個人的な動機からスタートしているが商用も視野に入るなかなか作り甲斐のあるポーションだ。

プレゼンはうまくまとめられた。薬の説明をするのではなくまずセクハラを男性にも意識させるという目的から入り具体的にどういうことになるのかを説明した。

「これは好きでもない異性に言い寄られる薬です」

上役は最初無反応だった。それから言葉が頭に入り、それが咀嚼されて理解される。まるで感情のスローモーションだ。好きでもない異性というのを考える。それに言い寄られることを考える。ブスに逆ナンされるようなものだろうか? その事象とセクハラというキーワードを組み合わせる。錦織はたっぷり五秒以上の沈黙を用意した。ゆっくりと口を開く。何か質問はありませんか?

最初の質問は笈川という、最初に質問するのを自分の義務だと思っているような役員だった。彼の質問は嫌いではない。たまにその質問によって質疑応答の流れが予定外の方向になってしまうこともあったが概ねよい点をついていた。今回もそうだった。「薬の効用とセクハラ教育という目的がピンとこなかった。もう一度説明してもらえるか?」

「大抵の企業にはセクハラのガイドラインがあります。例えば(操作して)これが我が社のガイドラインです。これらの行為をした場合にはセクハラと認定され、処罰の対象、あるいは訴訟のリスクになります」そして全員を見る。「ちゃんづけや今夜デート?と言ったり、誰かが言っているところを黙認するといったことはなくなったとは言いがたいです」

聴衆の警戒が伝わった。聞き手を敵にまわすのはまずい。あくまで世間の話にして商売に結びつけないと。

「セクハラをしていたり、それを見て見ぬふりをする人間は、されている人間のことがうまく想像できていないと考えていいでしょう。実際、セクハラの教育は小芝居などで身をもって体験させるという方法がとられることも少なくありません(ここでセクハラ教育をしている様子の映像。上司役の男が女性社員の肩に手を置いて何が喋っているという寸劇の様子)。一方、セクハラの定義は、相手の意に反して性的に不快な思いをさせたり、そういった環境を放置することであり、このポーションはセクハラの環境を作り出すものと言えます。つまりこのポーションによって効率的にセクハラを学習することができるというわけです」

よろしいでしょうかという確認に笈川は礼を述べて席に着いた。

一気に挙手が増えた。

「効能としては興味深いし、セクハラと結びつけた点も納得は出来ます。しかし売れますか? 私だったら買いませんね。企業としてもこれは使えないでしょう」

「私はすべての男性に飲んで欲しいと思いますね。少なくともセクハラが何かを理解していない男性には。そういう意味で、男性より女性が買うのではないでしょうか? あるいは性犯罪者に対して」

「魔術師にではなくてあくまで一般人に売ることを考えているのですか?」

「そうです」

「私は男性にこれを飲んで欲しいとは思いません。言葉はきついですが、正気とは思えませんね。名目はともかく、フェロモン型の惚れ薬は洗脳装置にほかありません。あなたは魅力を感じない異性に惚れてしまうのを甘んじて受け入れるのですか?」

「確かに使用はコントロールされるべきかと思います。しかし学習して欲しい男性がいるという思いには変わりありませんね。それに大抵は言い寄られた男性が女性を意識した瞬間に解除されます」

さて、ここで錦織の誤算があった。そもそも効能がすぐに切れるといっても一般販売されるとは思えない代物だった。世間が受け入れることはないだろう。彼女のミスの原因は、自分が美人であることを中途半端にしか意識していなかったことだ。彼女のことは大抵の男性が目に止めるし、何人かに一人は話しかけてくる。それは彼女はこの薬の影響は受けないということを意味する。モテる女は安全なのだ。質疑応答を続けるうちに、聴衆は錦織が安全圏から話していることに気づき始めた。言外にモテすぎて迷惑しているんですという主張があるように感じるようにさえなった。それらは目に見えないが反発の空気を招くことになった。

媚薬や化粧品の一種としては売れないということが決定された。ここから先は会社員ではなく魔術師としての仕事だ。

思いつきからプレゼンまで一週間もなかったので友達との相談もしていなかった。友人の反応もイマイチだった。

「それは会社の決定が正しいと思うな」電話でそう話したのは福井にいる魔女の鏡原キイだった。「っていうか誰に飲ませたいわけ?」

どうもこういう風に詮索されることが多くて困る。「セクハラをする男全部よ」“よ”とか言っちゃったよ。

「うーん」“よ”はスルー。「どうしてもそれに引っかかる女の人に同情しちゃうんだよなー。それが一般人でも」

「魔術師は対象外って条件をつけたらどうですか?」

「……それはなかなか興味深い」

錦織が鏡原の好きなところはこういう素直なところだ。

専門的な話なので飛ばしてもらってかまわないが、この魔術師を対象外にするという条件を追加するのは言葉よりも難しかった。これが飲み薬のように本人に作用するものは簡単だ。フェロモン系の惚れ薬のように周りに作用するタイプの薬は――惚れ薬にはノウハウがあるからいいとして――条件を複雑にするのが難しい。この枯れた技術も、異性を判断する瞬間を判別してその判断に割り込んで好意で上書きするという動作なのだけど、前述したように最終的な効果としては充分だけど綱渡りをしているのは分かると思う。ましてや、対象が魔術師であるかどうかを外部から判断するなどちょっとした離れ技で、それができれば魔術師にだけ効く薬だって簡単に作れそうなものだ。そしてそんな薬は今のところ存在しない。これは運用でごまかすしかない。飲み薬の方に仕込むのである。飲み薬の方を使うのが非魔術師であると限定すれば、使用者と同じ魔力の異性で使用者が好意を持っていないものという条件で動作させることができる。一般人の魔力はゼロだから、影響を受ける人間の魔力もゼロということになりなんとかいけるはずだ。魔力を隠している魔術師は反応することになるが、完全にゼロにしている魔術師というのはまずいないので、運用上は問題ない。大抵はお守りとかおまじないの類を自分にかけているものだ。そうじゃなかったら何のための魔術だ?

その他の意見を受けて改良が重ねられた。効果が八時間になった。さらに、飲み薬の方の条件に、好意だけでなく性的な欲望の対象も除外するように加えられた。これによって好きでもない異性とセックスできる男性がいたとしても女性は被害に遭わないことになった。使用者から相手に触れたらアウトだとかそもそも肉体的接触が発生したら効果が切れるようにすべきという意見もあったが、どちらがどちらにどういう心情で触ったのかまで考慮しての実装が難しかったし、セクハラとして代表的な馴れ馴れしく体を触るという不快感は残しておきたかったのでそのままにしておいた。女の人に触れられてそこまで嫌がる男もいないだろう。

魔術師は除くという改良の影響が――口にこそ出されなかったが――大きかった。この改良がなければその他の参考意見も集まらなかっただろう。

二度目のプレゼンも失敗だった。口先では駄目元と言いつつちょっと期待していたので精神的に堪えた。錦織は自分がセクハラに神経質な要注意人物として見られつつあることに気づいた。ショックだった。直接的な言葉はなかったが態度で分かる。こうなると失地回復は難しい。ヒステリー持ちと見られることがどんな気分か身にしみた。

「どのような条件をつけてもそこまであからさまな惚れ薬は販売できないでしょう」

くそったれめ。薬の効果や作用に気を取られるな。使用者の精神への影響に注目すべきなんだ。これこそまさにウィットに富んだ上で人の役に立つ魔術師の本分じゃないか。

彼女は自宅の風呂場の鏡の前で両手を上げた。鏡の中の自分も降参している。セクハラセクハラと連呼したせいで警戒を招いたことは素直にミスとして認めようじゃないか。「あれは自分のミスだった」両手を下ろす。「この薬は人の人権を侵害する反社会的な毒薬か?」鏡の中の自分は笑っている。まだ諦めるようなタイミングじゃない。誰に使えば効果的にモニターできるだろう?

「錦織さん、東武鉄道に清楚な萌えキャラ「姫宮なな」登場って知ってる?」

「知りません。何の用ですか?」

「噂の薬なんだけど、試させてくれない?」

「あなたが試すんですか?」

「いや、ちょっと知り合いに試すんだよ。それに魔術師には効かないって聞いたけど?」

栗原刀夜とまともに話をするのは初めてだ。肩や首まわりには筋肉がついているのに全体的には痩躯。顔はつるんとしていてオフィスの照明を反射していた。髪は軽く立てている。タレ目だが、口の端が笑ったような形になっているので胡散くさい芸能マネージャーのように見えなくもない。心にもない賛辞をいくらでも言えるのではないだろうか?

「効果は一日だって?」

「八時間です」

栗原は八時間かと繰り返す。「まあ八時間でいいや」

栗原と錦織は職場が違う。仕事中にやってきて話しかけられて驚いたが、彼女はモニターのシミュレーション画面から目を離して話し込む体勢になった。「座りますか?」

「あ、いや」

錦織は舌打ちをしそうになった。言外の、お前にセクハラなんかしねーよというチンピラ風の声が聞こえるようだった。こっちも仕事の話をするだけのつもりなのに、好きでもない男にフられたような。

気を取り直す。栗原だけが立っている。

「モニターをしたいので、使う相手を教えて欲しいんですが」

薄ら笑い。「ちょっと使いたいだけなんだ」

その笑いが何に似ているか錦織は気がついた。教壇におもちゃの蛇を突っ込んで反応を待っている小学生の表情だ。無邪気といえば無邪気。不愉快といえば不愉快。

「まあ、けど、観察するだけなら観察していいよ」

錦織は手を口に当てて少し考える。

「じゃあ俺にも薬を分けてくれ。俺が作用を確認した上で安全だと判断した相手に使うから」

錦織は栗原の顔をチラリと見る。栗原は男前の顔を錦織にぶつけてニコリと微笑む。そこからでは有能なのか判断できなかった。錦織が分かっているのは自分の薬には自信があるということだけだ。

「じゃあ上司の許可があればいいか?」

そこまで言われて錦織は頷いた。栗原はすぐに彼女の上司である伊集院のデスクに行き、彼女に聞こえない声量で言葉を交わした。見ると、伊集院は彼女の方をチラリと見て頷くような仕草をした。まるで彼女の方が頼み込んで間に挟まれた栗原に同情しているような、そんな風にも見えた。私が悪人になっているんじゃないだろうな?

すぐに栗原は戻ってきて、「いいってさ」と告げた。

錦織にも反対する理由はない。試用のために香水も飲み薬も小瓶に分けたものが用意してある。香水は百円ショップの容器で、飲み薬の方は自社製品の飲むコラーゲンの容器を流用している。彼女の机にあるわけではなく、研究室の鍵付きのロッカーの中である。渡すのはいいが使うところから確認したいと告げる。

「ありがとう」

「それで、誰に使うの?」

「明日の朝に使うから、朝イチで俺のところに来てよ」

錦織は頷いた。

「オーケー。それじゃ」

ウキウキした様子に錦織は少しだけ不安を覚えた。

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後編

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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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